04-16

 それは、粗暴で強引、身勝手で奔放、そんな形容がしっくりくる口づけであった。

 しかし、唇どうしが触れあう瞬間は、ちゅっ、という擬音が似合いそうなほど、やさしかった。


 ただの薄い皮膚のはずなのに、これほどまでにやわらかく、どこまでもあたたかい。


 甘美な感覚は脳が溶け出すようであったが、比喩ばかりでもなかった。

 ジェリーの思考はドロドロに溶け、流れ出し、唇を伝ってアシュランの中に流れ込んだ。

 そしてアシュランの思考も、ジェリーの中に流れ込んでいた。


 舌を絡め合うように少年と少女の思考はまざりあい、そしてひとつになる。


 ジェリーの頭の中には、夢のようにぼんやりとした光景が広がっていた。


 そこにはルクとプルがいて、森の中の道をトコトコと歩いていた。

 森は不気味な暗さであったが幼い天使と悪魔は臆することなく、初めてのお使いのように揚々と進んでいた。

 時折立ち止まり、何かをさがすようにあたりを見回す。


 そうしてしばらく歩いていくうちに森を抜け、大きな山脈の前へと出た。

 行く手を阻むような山の頂上には、ムンクの叫びのような顔がいくつもあり、さながら、大統領の顔が刻まれているラシュモア山のようであった。


 顔たちは揃った動きで、麓に現れたルクとプルを見下ろすと、叫びの顔にふさわしい驚きの声をあげる。


(せ、聖天使様!? それに、熾悪魔様までっ!?)


 鏡のように寸分たがわぬ動きで、合唱する顔たち。


(やっほー! おっきいねぇ、キミ!)(こんにちは。わたくしたちのこと、ご存知なんですね)


(おふたりを知らぬ者など、天界にも魔界にもおりませぬ! こ……このような所に、なんの御用で……?)


(悪いんだけどさぁ、アシュランちゃんのこと、ほっといてほしいんだ)


(人間を介して人間の命を奪うのは、憑死霊のあなたの本分であるのはわかっております。ですがここはわたくしたちに免じて、許してあげてほしいのです)


(ほっとく!? それに……許す!? それはつまり、人殺しをやめろということですか!?)


(はい。あなたが取り憑いているこの銃は、定期的にモンスターの命を奪っているようですから、それで我慢していただけませんか)


(そ……そんな、殺生な! それは、憑死霊にとっては生きながらに死ねということに等しい! 聖天使様と熾悪魔様の頼みとはいえ、そう簡単には……!)


(わたくしたちはお願いに参ったのではありませんよ)


(聞き分けのない子ってキラーイ! それ以上ダダをこねるなら、メッ、てしちゃうよー?)


 後ろ姿だったので、天使と悪魔がどんな顔をしていたかはわからない。

 しかし憑死霊たちは最恐のモノを目の当たりにしたかのように(ヒイイイイイイイーーーッ!?!?)と断末魔のような悲鳴をあげた。

 恐怖のあまりただでさえ歪んでいる顔を限界までひん曲げ、三日月のような顔になっている。


(ヒッ、ヒッ、ヒイッ……!! わ、わかりました、わかりました!! 聞き分けのいい子になりますぅ!!)


(そうそう、素直がいちばん!)


(では、よろしくお願いしますね)


(ああ……せっかく、高慢ちきなガキの頭を吹っ飛ばすところでしたのに……できれば、おふたりにもお見せしたかったのに……!)


(だーかーらー、それをやめてって言ってんの!)


(わたくしたちは、その高慢ちきなガキのお使いで来たのです)


(えええっ!? 聖天使様と熾悪魔様ともあろうお方が、なぜ、ただの人間に使役されているのですかっ!?)


(それはねー)(それはですね……)


 天使と悪魔が最後の言葉を紡ぐより早く、ジェリーの意識は白く霞んでしまった。


 我に返ったジェリーがハッと顔を離すと、そこには安らかな顔をしたアシュランがいた。

 最初は死んだのかと思ったが、違った。寝ているだけのようだ。


「ジェリー様っ、ご無事ですかっ!?」


 ドスドスとキリーランドが駆け寄ってくる。


「こやつめ! 一度ならず二度までも、ジェリー様に銃を向けるとは! 二度と目を覚ませぬようにして……!」


 意識を失っているアシュランに掴みかかろうとしたが、ジェリーは目で制した。


「コイツはもう、身の程を知った。二度と俺様に歯向かうことはない」


 アシュランの身体を持つようアゴで示すと、キリーランドはあまり気の進まない様子ではあったが、村娘をさらう山賊のように肩に担いだ。


 その様子を離れた所で見ていたバルカン三兄弟。

 めくるめく衝撃の連続に、絶叫マシンに乗った直後のように呆けていた。


「当たり前みてぇに、ユニコーンに乗って現れただけでもすげえってのに……」


死を運ぶ鳥ヴォルデドートの唇を奪って、手なづけやがった……」


「普通の男はあんなことしたら、頭を吹っ飛ばされてるぞ……」


「と……とんでもねぇ……どこまでとんでもねぇんだ……あのお方は……」


「お……俺は、ジェリー様についていくぞ!」「俺もだ!」「もちろん、俺もだっ!」


「よおし、俺たちの偉大なるボス……ジェリー様を胴上げだっ!!」


 おおーっ!! と蛮声をあげた男たちは、諸手をあげてジェリーに駆け寄ろうとしたが、クルリと後ろを向いたユニコーンの後脚によって蹴飛ばされていた。



 その後、ジェリーたちは夕暮れの森をあとにし、マスランシティへの帰路につく。

 帰ってきたジェリーの姿を見て、街中は大騒ぎになった。


 幻の聖獣に跨る神々しき姿にだれもがひれ伏し、そして、人々の忠誠は信仰へと変わる。

 もはやジェリーが極至天導キョクシテンドであることを疑う者はいなかった。


 神話とされていた魔術師が数百年の時を経て降臨したという噂は、瞬く間にザンドゥ王国を駆け抜けた。

 キョクシテンドあるところに奇跡あり、そして革命あり……と、人々の間でも噂でもちきりとなった。

 当然のように領主たちの耳にも入り、大いなる勢力が動き出すきっかけとなる。


 それは、新たなる強敵の予感……少年のさらなる激闘の始まりを意味していた。


 彼は、そのことを知ってか知らずか……自分を讃えてくれる大衆のなかにあっても、戦いに向かう覇王のような厳しい表情を崩さずにいた。


 そして、人知れず見つめていた。

 街外れ、沈む夕陽をバックに……抱き合う父娘の姿を。

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