#12
小寿は息を吸うと覚悟を決めて槍をしっかりと握り直す。覚悟を決めているのは自分だけではない、自分の愛する者のため、自己犠牲を決めた彼女もまた覚悟をしている者だ。彼女は自分の頭を人差し指で指し示す。心臓ではダメなのだろう。頭部を刺し貫くことで死ぬ、ということを小寿に伝える。
「お願いしますね。」
その言葉を聞くが早いか、小寿は素早く鋭い突きを放つ。果たしてグラディーヴァは悪夢の額に深々と突き刺さり、その先端は後頭部から覗いている。血が流れる。人間と同じ赤い血だ。悪夢から目の光が消えて、しかしその顔は満足そうな笑顔を浮かべている。
「あっ、あっ……。」
その声に小寿は心臓が止まりそうになる。ゆっくりと横を向くと、木の陰から隠れて様子を伺うように聡がいた。小寿が自分の大切な母親の頭を槍で刺し貫いている悪夢のような光景を前に、彼は絶望と不条理に対する行き場のない感情で全身を震わせる。
「聡くん……!」
心の底から湧き出る憎しみに身を任せて、聡は小寿を睨み付ける。彼女はその瞳に深く傷ついたが、これは正しいことなのだと自分に言い聞かせた。悪夢を殺さなければ聡は元の世界に戻れないのだ。自分の行いを正当化しないと心が壊れてしまいそうだった。
自分が殺したのは夢世界が作った偽物だ。だが、本物と同じように愛情を持ち、本物と同じように愛されていたもの、本物と同じように大切にされていたものは、果たして本物とどれほどの違いがあったろうか。少なくとも彼女は本物の母親と同様に聡に愛されていた。彼は本物と同様に悪夢を愛していた。小寿はそれを奪ったのだ。その事実が彼女の心に重くのしかかる。
「人殺し……!許さない!絶対に許さない!必ず、必ず殺してやる!今は無理でも絶対におまえを殺してやるからな!!」
人殺し。現実の母親と同じくらい大切なもの。それを殺した。彼にとって、それが人を殺されたのと何が違うだろうか。きっと変わりはしない。彼は母親を殺されたのだ。人殺し、人殺し。
「わ、私は……。」
「人殺し!人殺し!人殺し!!」
腕の傷がメリメリと開いていく、中からあの時刺された刃物が生えてくる。小寿は痛みに顔を顰める。これは夢の主による能力だろうか。まるで小寿がグラディーヴァに目覚めたように、聡も何かしらの能力に目覚めたということか。その瞬間、木々や悪夢が水しぶきとなって弾ける。
水しぶきが雨のように降り注ぎ、辺りの景色が元の世界へと戻る。目の前には戸土井がいる。彼は小寿の泣きそうな顔と腕からの流血を見て、彼女に上着を被せると、急いで車へ連れて行く。
「話は後だ!先ずは病院に行くよ!」
「聡くんは、やはり虐待を受けていました。恐らく、叔父さんから身売りに近いことをさせられていたと思います。どうか彼が無事に日々を過ごせるように、手配を、お願いします……。」
「ああ、わかった!だが今はキミだ!深い傷だぞ、それは!何故あちらの世界で治癒できなかったんだい!?」
「悪夢を倒した後の出来事だったので。恐らく、聡くんも何かしらの能力に目覚めました。それで私を攻撃してきた。」
「ケケ、あれは確実に私やグラディーヴァに近い性質を持っていた。夢世界の中でのみ作用する特殊な能力だ。」
「だが、彼の夢世界は破壊されたわけだよね?もう彼の能力に狙われる心配はない。一体どうしてそんなことになったんだい?」
「……悪夢の姿が、彼の大事な母親の姿をしていました。それを殺したので、憎まれてしまった。多分許しては貰えない。」
「確かに、彼の気持ちも判らなくはない……。これは難しい問題だね。しかしこれだけは確実だ、キミはもう彼と会うことはない。どうか気に病まず忘れるんだ。どうあれキミは正しい行いをした。彼が狂気に囚われ消滅してしまうのを未然に防いだ。どうかそのことを誇って欲しい。僕はキミを称賛する。」
「はい……、ありがとうございます……。」
戸土井は小寿の重荷を少しでも軽くできたらと思いそう言ったが、なかなか上手くはいかないようであった。小寿の表情は相変わらず暗く、辛い選択をして、助けた少年から剥き出しの敵意を向けられ、少なからず打ちのめされていた。戸土井は少女に対して適切な態度というものが判らず頭を掻く。それから二人は無言のまま、やがて車は病院に着いた。
* * *
「おはよ~、って小寿どうしたのその腕!」
「あはは、ちょっと料理中に転んじゃって。」
「うわあ、痛い痛い痛い!ドジっ子ってレベルじゃないわよ!すごい大怪我っぽいけど大丈夫なの?」
「大丈夫です。動かせないってわけではないです。しばらくは安静ですけれど。」
「本当気を付けてね……、さすがにびっくりするよその怪我は。もう。」
幸いなことに腕の傷は刺された傷口が少し開いただけで、貫通した穴まで再び開いたわけではなかった。深さ3センチ程度の傷で、数十針縫うに留まった。だがあのまま聡に能力を使われていたらどうだろうか、傷口から生えたあの刃物はどうなっただろうか、この程度の傷で済んだのは休心すべきかもしれない。
怪我をしても、心にしこりがあったとしても、学校だけは休みたくなかった。ここは自分が普通でいられる場所だから、どんなに荒んでも、この世界で生きたいのだ。これは小寿が狂わないようにするために必要な生活であった。戦いと、良明と、そして今回のような夢世界を見ては、正気を保つには、普通の学生であることは非常に重要だ。
「ねえ、今日もジェラート屋寄っていこうよ。」
「良いですね。甘いものは好き。」
学校の帰り道、友人の鴻巣亜弓とジェラートと食べながら座っていると、無精髭の男が二人に声をかけてきた。
「やあ、こんにちはお嬢さんがた、山入端小寿ちゃんという子を知らないかい?」
高そうな黒い薄手のコートにつばの広いウールのハット、高級ブランドのサイドゴアのブーツ、年の頃は40代半ばと言ったところだろうか。女子高校生に話しかけるには見るからに胡散臭く、亜弓は身構える。
「は?おっさん誰?」
「おおっと、まあそうだよな。そう構えんなよ。俺は
「知らないわよ、それであんたの怪しさが軽減されるとでも思った?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!知らないおじさんもちょっと待って!私が山入端小寿です。ちょっと向こうで話しませんか。亜弓はここで待ってて。」
「良いけど、ヤバそうだったら警察呼ぶからね。」
男はにやりを笑うとそれに小寿に従って少し先の高架下で話をする。
「いきなりF.Y.D.の名前を出すなんて何を考えているんですか!?」
「いや、知らねえやつには意味不明、知ってるやつには効果覿面だからな。おかげでお嬢ちゃんが山入端小寿ちゃんだとわかったわけだ。」
「ハア……、おじさんは一体何者ですか。我々の敵でしょうか。」
「そう睨むなって、敵味方とかあるのか?F.Y.D.の問題に直面している同士、どちらかというと仲間じゃあないかね。」
「わかりません。私はこの問題を解決したいと考えています。」
「俺もそう思ってるぜ。俺の名前は
「それで、噂になっているから会いに来てくださったんですか?」
「それもある。そして俺もソフトブリテンのみんなと協力し合えたらいいな、と思っているわけさ。」
「それで私に案内をさせようと?残念ですが私は……。」
「いやいや、場所は知ってるよ、案内はいらない。ただ本当にキミの顔を見ておきたかっただけさ。とても可愛らしい顔だ。はい、親愛の証にどうぞ。」
そう言うとまるで手品のように手からコデマリの花を出して小寿に渡す。そうして困惑する彼女にウィンクを送って、手をひらひらとさせて去って行った。
少女は人類の為に夢を破壊することにした 柚木呂高 @yuzukiroko
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