別れの朝が来た。

 早朝でないと、この日は潮が満ちない。潮が満ちないと出島の周辺は海が干上がってしまって、小舟が接岸できないのだ。

 別所様は私がガリヴァー氏を見送りに行くのに、あまりいいお顔はなさらなかった。

 ガリヴァー氏はもはや奉行所の手を離れた。すなわち我われの管轄外に出て、阿蘭陀商館に委託されたのだ。もしくは出島に入った時点で、彼はわが国を出国したともいえる。だからこれ以上はかかわるなというのが、別所様のおっしゃり様だった。しかし私にはそのようなことで納得できない事情が、感情の領域で芽ばえてしまっていた。

 私は別所様がまだお休みになっているうちに、道を隔てた出島への橋を渡った。同じ季節では、長崎は江戸より日の出が遅い。まだ明けやらぬ空を洋館と洋館の間から眺めながら、私は出島の中の小径を歩いた。入口から向って扇型の右端の、道の行き当たりが舟着き場だ。そこにはこれから出航する商館員や船員、見送りの商館員などの人出が遠くからも認められた。

 ガリヴァー氏の姿は、すぐに分かった。彼の脇では船長が日本の煙管きせるに似たパイプをくわえ、忙しそうに人々に下知を下している。

 その船長の方がガリヴァー氏より先に私を見つけ、たちまち相好を崩して近寄って来て、手を握るために腕を差し出してきた。一面に体毛で覆われた、図太い腕だった。

„Goeie morgen. Het is mooi weer vandaag. De vaart zal ook goed zijn.”(お早う。今日は天気もいい。航海もうまくいきそうだ)

 髭面の船長のその言葉にガリヴァー氏もふり向き、私が来たことに気がついた。

 二人ともしばらく、言葉がなかった。私は彼に会ったらあれも言おうこれも言おうと思っていたが、いざとなるとすべてを忘れてしまっていた。

„Ik wens U een goede reis.”(お気をつけて)

 ガリヴァー氏を見上げて、私はやっとそれだけを言った。

„Dank U.”(ありがとう)

 彼は微笑んでいた。このような時、どのような表情をしたらいいのか、私にはわからなかった。いや、どの日本人でもわからないであろう。万里の波濤を乗り換えてやって来た彼ら異人ばかりが、やけに陽気なのである。

 私は少しばかり港へ目を向け、小舟への荷積み作業を見ていた。

„Dat is de Amboyna.”(あれがアンボイナ丸だ)

 ガリヴァー氏が指さした沖合に、飽ノ浦を背に三本マストの巨大な阿蘭陀船が碇泊していた。日が昇れば彼は、あの船でこの国から去っていってしまう。

 私はなるべく感情を表に出さぬようにしてニコリともせず、何くわぬ顔を装っていた。

„Ik ga dit cadeau U geven als mijn onthoug.”(これを私の記念として、あなたにあげよう)

 ガリヴァー氏がくれたのは、鎖がついた時計だった。私はかわりに何をあげたらいいか咄嗟には思いつかなかったが、懐から寛永銭を一枚取り出して彼にわたした。彼は四角い穴からあたりをのぞいたりして、おどけて笑っていた。

 やがて荷積みが終わり、乗組員達の乗船となった。まず船長が先に行く。ガリヴァー氏は船医として乗り込むので、船長と同じ小舟に乗るようだった。

 私とガリヴァー氏は、最後の手を握り合った。

„Danku U voor uw vriendelijkheid.”(親切に、いろいろとありがとう)

 ガリヴァー氏はそう言ったまま、握った手に力を入れてきた。

„Niet te danken. Tot straks!”(なんのなんの。では、いずれまた)

 虚しい挨拶だった。我われの再会は、およそ今生こんじょうでは無理だろう。

“Good bye, see you again.”

 突然ガリヴァー氏は、声を落としてそのように言った。私には全く解せない言葉だった。

„Dit is ‚Tot ziens’, in Engels.”(これが英語での『さようなら』です)

 そこで私も、日本語で言った。

「さらばでござる。お達者で」

 するとどこで覚えたのか、彼も、

“Katajikenou gozatta. Sarabaja, Yokoyama-dono.”

 と、言うので驚いた。

 握った手を、離さなければならない時が来た。

 笑顔で手を横に振って、彼は小舟に乗り込む。私も彼のまねをして同じように、手を横に振った。

 小舟はすぐに、沖へとすべっていく。アンボイナ丸へと進む。そしてその船の上は、私の全く知らない世界だ。見送りの商館員たちも、引き揚げ始めた。

 思ったよりもあっけない別れだった。

 私は加比丹に頼み、商館長邸の二階にあげてもらった。ここからなら、沖のアンボイナ丸がよく見える。欄干にもたれかかって、私はしばらくその阿蘭陀船を見ていた。甲板を動きまわる人々が、蟻のように小さく見える。やがてマストいっぱいに、帆が張られた。もう太陽はすっかり、風頭山の上あたりに顔を出していた。

 錨が上げられたようだ。風を帆いっぱいに受けて、アンボイナ丸は動きだした。その中に確実に、ガリヴァー氏はいるはずだ。

 私は彼と過ごしたわずか三ヶ月間のことを、鮮明に思い出していた。

 船は山影に入って行く。この国から出て行こうとしている。

 思えば阿蘭陀人はこの国においては、出島から一歩も自由に外には出られない。ガリヴァー氏とて江戸では長崎屋が、道中では駕籠が、宿場では本陣が、彼にとっての出島だった。

 ところが出島から出られなかったはずの彼が、今この国を出て行こうとしている。

 私は自由に出島から出られるが、この国からは出られない。すると私にとってはこの日本国が、巨大な出島ということになる。

 そんなことを考えているうちに、船はとうとう見えなくなってしまった。ガリヴァー氏がもはや、私にとって手の届かない存在になってしまったことを実感した。

 私は二階の外廊から、部屋の中へと入った。

„Blijft U bij ons ontbijten?”(朝食をとっていきませんか)

 加比丹が声をかけてくれたが、私はそれどころではなかった。

„Neen,Dank U. Ik heb geen tijd.”(いえ、時間がないんです)

 何の時間がなかったのか……私は一気に階段を駆け降りて、出島の中の道を船着き場とは反対の方へと走った。急がねば武士にあるまじき姿を、人目にさらしてしまうことになる。

 出口の橋への曲り角も、曲がらずに直進した。すぐ左側に薬草園があり、その隅は石造りの倉庫が建っていた。その倉庫と隣の洋館との間に、私は駆けこんだ。ここなら誰にも見られはしないと、少しだけ私は安堵した。

 とうとう私は目からあふれ出る熱いものを、こらえきれなくなってしまった。手でぬぐってもそれは、あとからあとからこみあげてきた。

 とにかく私は泣いた。士道不覚悟といわれようと、とにかく私は泣いた。


(EINDE)

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ガリヴァー渡来記 John B. Rabitan @Rabitan

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