気分じゃない

「そう、わかった。こんなご時世だけどゆっくりして言ってね」


 弥月先輩はあっさりと神戸さんを受け入れた。なんか一揉めあるかなあと思ったけどそんなこともなく。


「それで、2人は今日どうするんだい?」

「そうですね……、食料の調達に行こうと思います」

「後は、娯楽用のものとか、燃料とかもあったら持ってきたい」

「いいんじゃないかな。まあ、何かあったらトランシーバーで連絡してくれればボクか譲が対応すると思うよ」


 まあ、たぶん僕が飛んでいくことになるんじゃないかと思ってるけど。


「んじゃ、今日の活動方針も決まったところで、解散っと。あ、譲はついてきて」

「分かりました」


 さて、今日は助手としての仕事があるのかな。そう思って食堂を後にする。けれど、弥月先輩が向かったのは地下室のラボじゃなかった。衣裳部屋から取り出した外套を僕に向かって投げる。


「丸田に作ってもらったんだ。ヴァンパイアっぽくてかっこいいでしょ」

「え、ええ。まあそうですが……」


 確かに、いかにもというようなヴァンパイアが着てそうな衣装だ。ついでに言えば仮面付き。


「今更だけど、不特定多数に顔を見られない方がいいと思ってね。特にこれから行く場所には誰かいるかもしれないし」

「って出かけるんですか!?」

「そうだよ」


 振り返った弥月先輩が悪戯っぽく笑う。それじゃあボクはこれにするかな、なんて仮装パーティーに行くみたいに無邪気だった。


「ということは、今日はワクチン作らないんですか?」

「そうだね。気分じゃないし」

「気分じゃないって……」


 そんな気分で決めていいものなのだろうか。


「そろそろ彼女たちは知るべきなんだよ。この世界ではボクらが絶対的な上位者だってこと。ボクらの気分1つでどうとでもなるんだって」


 そう言うと、弥月先輩は左耳からワイヤレスイヤホンを取り出した。


「これ、なんだと思う? 盗聴器の受信機なんだ。相楽さんに着けさせてもらった」

「……はい?」

「全部聞いてたから知ってるよ。彼女たちがボクに不信感を抱いてたことも、君を勧誘しようとしていることも。まあ、譲君の方はなびいてなかったみたいだけどね」


 知られていたのか……。


「でも、僕は弥月先輩の味方ですから」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、世界には君のような人だけじゃない。ボクがゾンビウイルスを作ったと知って、それでもなお味方してくれるような人は君くらいのものだよ」


 それは確かにそうだ。僕は弥月先輩を知ってる。マッドサイエンティストで倫理観も薄い。必要とあれば自分の体だって実験体にする。そんな弥月先輩だけじゃない。何気ない仕草がかわいくて、優しくて、小さな背中にはそうとは思えないくらいの知識と知恵が詰め込まれていて、でもその重圧に押しつぶされそうになっていた弥月先輩を知ってる。優しすぎるよなんて言って泣いていた弥月先輩の顔を知ってる。

 だからこそ、僕は何があっても弥月先輩の味方をする。たとえ世界から疎まれようと、彼女を守りたいって思った。


 ……だけど、誰もが弥月先輩のことを知っているわけじゃないのだ。むしろ、ゾンビウイルスを作ったという事実をもって心無い言葉を投げかける人間がほとんどだろう。頭のおかしいいかれた奴なんて言うかもしれないし、危害を加えるかもしれない。


「だからボクは、君以外には真実を話すつもりはない。なら、彼女たちが不信感を抱くことも無理はない。真実を離さずに説得できるとも思えない。なら、いずれ決裂することを念頭に入れた方がいい」


 グッとつばを飲み込んだ。弥月先輩は、そんなことを考えていたのか。僕は……誰かと敵対するなんてことは考えたことがなかったから。他人への興味が薄かったのもあるし。


「懐柔できないなら支配するしかない。それがボクの、時井のやり方だよ。軽蔑したかい?」

「……そんなこと、ないですよ。言ったじゃないですか。僕は弥月先輩の味方だって。ただちょっと驚いただけです」

「そっか」


 そう言った弥月先輩は少し寂しそうに見えた。


「なら、ちょっとわがままを言わせてもらおうかな、ボクの騎士様」

「なんなりと」


 弥月先輩がおどける。さっきまでの空気を吹き飛ばしたいとばかりに。僕もそれに合わせてひざまずいた。


「じゃあ、ボクの足となり指示する場所まで連れて行ってくれたまえ」

「えっと……、はっ!」


 そうだった。ヴァンパイアの体はパワーが強くなってたんだった。お姫様抱っこで弥月先輩を抱える。綿みたいに軽くて、ふわっとフルーティーないい香りがした。


「あはは、なんかちょっと、恥ずかしいね」

「それではいきますよ、っと」


 赤くなる顔を抑える。顔に出したら負けだ。


「知ってる? ヴァンパイアって肌が青白くなるから、血の動きがよくわかるんだよ」

「うなっ、そんな!」

「やーい引っかかったー」


 弥月先輩が笑う。ったく、酷いなあ。


 壊れてしまった世界で、せめて彼女の笑顔だけは大切にしたい。そう思った。

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ゾンビパニックはヴァンパイアに敵わない 蒼原凉 @aohara-lier

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