終演

 フィオゼン王の后であったリリネス王妃は、文化芸術を奨励し、国民憩いの場でもある図書館、美術館、博物館、そして特に劇場の整備に力を入れた。社交界よりも演劇、特に歌劇に傾倒したと言われる。経費がかさみ破綻しかけた公演において、自身がつけていた耳飾りを置いてきた。まだ新しいドレスを衣装として提供した、などの逸話も数多く残っている。

 経済が不安定な時世にあって、その行為は“浪費癖”と言われ、また『芸術家』と称する卑しい身分の者たちと交流したことにも多くの批判があった。そしてそれは、凡庸な治世をしいたフィオゼン王の評判をも貶めることになった。

 ところが芸術面においてその評価は高く、王朝末期でありながら文化は隆盛を極めた。多くの作家、役者、演奏家などが才能を開花させ、王宮への出入りが許されたことによりその地位も向上した。次第に貴族の間でも観劇はむしろ奨励されるべきものと認識されるようになっていった。

 中でも見直されたのが照明技術であった。ディム市民演芸館の改修工事にあたり、王妃は私費を投じて照明装置を充実させ、その発展に寄与した。

 しかしその思い入れも虚しく、人々は魅力的な物語に入り込み、役者の歌声に酔いしれても、照明の素晴らしさが口にのぼったことはない。照明技術の向上は目覚ましかったが、それは舞台関係者の間でだけ認められていたに過ぎなかった。


 舞台照明の黎明期において、ある一人の照明技師が長きに渡ってその技術の向上と後継者の育成に貢献したと言われている。彼はディム市民演芸館の照明責任者を長く務め、コッパード電気製作所(現・コッパード・カンパニー)と協力して燈体の開発にも携わったようだ。当時舞台照明を志す者にとっては、避けて通ることのできない人物であったというが、名前ははっきりと残されていない。

 王立劇場で配光係を務め、後にコッパード電気製作所内にエルヴァ舞台照明研究所を作ったノーナン・エルヴァもその弟子であったという。ノーナンは、著書『舞台照明基礎読本』の中で師匠の名を記しているものの、それが本名であったのか通り名であったのかも不明である。


 照明が芸術として一般に認知されるようになったのは、ノーナンの晩年。王妃リリネスが世を去った後のことである。



 ヨーゼン・ハーウェイ著『舞台照明の歴史 上巻』第一章 1ー2 「舞台照明の黎明期におけるサンティエール王家との関わりについて」より






fin.




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