第十四幕 村娘と王太子

 終演を迎え、舞台上にいた役者たちが客席にむかって一礼する。舞台袖にいたリリネスもサンドラに手を引かれニコールの手を引いて、ふたたび舞台に上がった。

 万雷の拍手の中深く礼をして顔を上げると、照明室には今度こそラニがいて、頬杖をついてじっとリリネスを見ていた。込み上げる想いが目から溢れそうで、リリネスは唇をつよく結んで目を伏せる。

 主演のイゾルデと騎士役のグレンが声援に応え、改めて全員で礼をする。涙でゆがむ顔をうつむくことで隠していたリリネスは、客席などまったく見えていなかった。

 本来ならここから順に袖に下がって行くのだが、イゾルデは客席の一点に向かって捧げるように手を伸ばし、これまでで一番深い礼をとった。役者一同全員がその方向に向かって深く頭を下げる。リリネスはわけがわからないまま、周りに合わせて同じように頭を下げた。

 するとガツガツという無粋な靴音が舞台に上がるのが聞こえた。誰も顔を上げないので、リリネスも同じ姿勢のまま上目遣いでその人物を探った。


「きみの歌は以前王立劇場でも聴いたことがあるが、今日もすばらしかった」

「ありがとうございます」


 イゾルデと握手をしていた茶いろの髪の青年は王太子であった。舞台の上では華やかだった彼女の衣装も、本物の王族の前ではさすがに見劣りするようで、緋いろがさきほどよりけばけばしく感じる。役者とはまったく異なる種類の他を圧倒する存在感で、フィオゼンは光の下にあった。


「今日は約束していた相手と会えなくなってね。気まぐれに寄ってみたのだが、いいものを観させてもらった」

「大変光栄でうれしく思います」


 リリネスはさらに深く頭を下げた。隣り合うサンドラとニコールに隠れるように身を小さくする。客席がざわついていた理由、開演直前に舞台裏が騒がしかった理由が、いまになってわかった。

 早く帰って、とそれだけを必死に祈った。ところがその祈りは最初から届かないものであったのだ。グレンと魔王にも労いの言葉をかけたフィオゼンの靴音は、狙いすましてリリネスの前にやって来た。


「名は何と言ったかな?」


 動かないリリネスに隣のサンドラとニコールが背中をたたいた。逃れることができず、


「アニカ・バートンと申します」


 と小声で答えた。喉がひりついて声がうまく出ない。


「ではアニカ。すばらしい歌だった」


 さし出されたフィオゼンの手をリリネスはおそるおそる取った。ほんの指先触れたそれを彼はしっかりと握る。


「鈴虫のように澄んだ歌声だね」


 リリネスが顔を上げると、フィオゼンはおだやかな目で彼女を見つめ、ほんの少し眉を上げる。


「ありがとうございます」


 そう答えると、フィオゼンはリリネスを引き寄せ、その耳元でそっと言った。


「高熱で全身が腫れ上がり、しかも感染する病気だそうだね。治ったら、今度はぜひフルートを」


 舞台照明の下で明るい茶いろの瞳がリリネスを射抜いていた。

 不問。しかし次はない。

 寛大で容赦のないフィオゼンの言葉に、リリネスはただ頭を下げて従うしかなかった。

 去っていく彼の靴音も歓声も拍手も、リリネスの耳にはもう届いていない。崩れ落ちそうな身体を舞台袖まで運ぶことで精一杯だった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る