家族について

かほ。

第1話

私は元々父と母と兄の4人家族です。

私は今母の実家で母と母親側のおじぃちゃんおばぁちゃんと4人で住んでいます。離婚したのは去年のことです。私は父について行くか母について行くかすごく悩んだ末母について行くことにしました。今は昔に比べるとすごく生きやすい環境です。怒られることも減りました。おばぁちゃんがご飯を作ってくれたり色々やってくれるので助かってます。昔は母とすごく喧嘩になったりすることが多かったのですが今では喧嘩をすることが無くなりました。怒られて洗濯物を私のだけ洗ってくれなかったり、ご飯をつくってくれなかったこともありました。ですが、全て今なら理解できます。

ここで、離婚した理由とその時の私の心情を話します。離婚した主な理由は父と母が毎日のように喧嘩をしていたことです。父は口が悪く棘のある人を傷つける言い方をします。「おめぇ」「てめぇ」と人のことを見下したように話します。それは母に対しても私に対しても兄に対しても同じです。自分の意見が合っている。自分は間違っていないと意見を押し付けて来ることもよくありました。父の口癖は「俺は間違ってる事言ってるか?そんなに難しいこと言ってるか?簡単な出来ることしか言ってないと思うんだけどなぁ」と言います。たしかにそんなに難しいことは言ってません。例えば机の上にものを置かない。言われたことはちゃんとやる。などです。父は綺麗好きだったので机の上にものを置くとすぐに怒ります。私はそれで何度も勉強道具を捨てられました。そして、言われたことというのは私もですが母がよくその事で叱られていました。それは、母が仕事が休みの日に父が色々と頼み事をしてひとつでも抜けがあると怒るのです。買い置きが常にできていなかったり、(トイレットペーパー、歯磨き粉、シャンプーなどの日用品や調味料など)父はすごく細かい人でした。私がよく叱られていたのは「女なんだから」です。何かと女だから家事をするのは当たり前と言われ料理は毎日手伝っていました。助かることも多かったですが、手伝いをせずに携帯をいじっていたりテレビを見ていたりすると殴られました。私が中学2年生の頃から父は長距離トラックの仕事を初めて週に何回かしか帰ってこなくなりました。平日は帰ってきても私も学校に行っていたのですれ違いでした。会うのは週末の土日くらいです。そんな日が続いていました。母も仕事が忙しく帰りはいつも遅かったです。家では兄と2人の空間で私は部活で疲れてよく家のリビングで寝てました。そんな時兄が寝ている私の体を触ってきたのです。毎日毎日続いて行くうちにエスカレートし、触るだけではなく下半身部分の精器を触らせてきたり口の中に入れようとしたり私の大事なところにくっつけたりしてきました。私はどうしたらいいのか分からずに寝たふりをするしかありませんでした。それから月日が流れ今お付き合いしている彼のおかげで無くなりました。(後でその彼については書きます。)私はその事を父にも母にも友達にももちろん学校の先生にも相談することは出来ませんでした。1人で悩むのはすごく辛くて自分を傷つけたり自殺することも考えました。それから少しずつ食事も喉を通さずに鬱状態になりました。(これも後で書いて載せます。)話が脱線しましたが、戻します。また、父はすごく厳しかったです。携帯には常にGPSが付けられ、カレンダーには全ての予定を書き込み(バイト、遊ぶ予定など)、出かける時には誰とどこで遊ぶか何時に帰ってくるかなど全て言わないと行かせて貰えませんでした。バイトもしていましたが給料を好きに使うこともおろすことさえも許されなかったのです。

長距離トラックを初めた理由は母がストレスでパチンコ屋に行き100万円の借金をしたのが理由です。(私が生まれてすぐの頃)ですが、母によると父は元々結婚する前借金を抱えており、母は自分の親(おじぃちゃん、おばぁちゃん)に負担を掛けたくないので結婚式は自分たちのお金でやろうと言って貯めていたお金を使い父の借金を返したそうです。結局結婚式は自分たちの親からお金を借りてしたそうです。私はその話を聞いた時に父は都合のいい人だと思いました。自分の都合の悪いことは言わずに隠すずるい人だとも思いました。また、父は長距離トラックの仕事を初めてから毎日毎日母に電話を掛けて説教をしていました。週末は家で怒鳴ったり夜遅くまで話をしたりしていました。ひどい時には朝まで母に正座をさせていた時もありました。そんな日が続き何もしてあげられない自分がすごく嫌でした。助けてあげたいけど父が怖くて何もしてあげられませんでした。

そして母の口から離婚の話が出ると父は1番初めにこう言いました。「借金が返し終わったら逃げるのか?」私は絶望しました。何日も何日も泣きました。ここからは記憶が曖昧なので覚えてることだけ言います。私はもともと母について行くつもりでした。そして月に1回父と会えればいいなと思っていました。父も初めはそれでいいと言ってくれました。そして次の日やっぱり母について行くなら会えないと言われました。会ってバイバイするのはすごく寂しい事だし、耐えられないと言ってきたのです。そして私は父に電話で自分の思いを伝えました。別に父を攻める訳でもないし、母の肩を持つつもりもないけれどお互い悪いところがあったわけでどちらかが一方的に悪いことなんてないと思う。そう言うと父からは衝撃的な言葉が出てきました。「死にたいなら死ねば」私は何も言葉が出ませんでした。そして気がつくと病院にいました。死のうとしたのです。私が何を言ってもこの人はわかってくれないと確信しました。私はずっと保育士さんになりたかったので高校卒業後進学しようとしていましたが父が母について行くなら一切お金は出さないと言われました。そして母の親(おじぃちゃんおばぁちゃん)と、私の家族(父、母、兄、私)で話し合いをした時に兄にされたことを告白しました。過ぎたことで今更何も出来ない。その当時に相談できなかった自分が悪いと責められました。私はなら、相談できる環境を作ったのか、気をかけてくれたのかなど思い当たる節がありましたが怖くて言葉が出ませんでした。ですが、その時母が自分を責めるようなことを言った時に父が「かほは誰かが一方的に悪いなんて言ってないんだからお前は悪くないんじゃね?」って、言われた時に父は悪いとも思ってないことや助けてあげようという気もないことに気づきました。父は最後まで私のことを理解しようとはしてくれませんでした。ここまでが離婚までの流れです。


話がまとまってなくてすみません。そしてここからは父の家族について話したいと思います。母の親の話は出てきたのになんで?と疑問になる方もいると思います。

父の母(おばぁちゃん)には私はあった事がありません。あるかもしれませんが記憶にはないです。(会ったとしても幼少期)なぜかと言うと犯罪者だからです。父が子供の頃両親は離婚しました。おじぃちゃんが女を作って出ていったのが原因出そうです。それを知り、おばぁちゃんがとった行動はおじぃちゃんが女の人(不倫相手?)と住んでいたアパートに火をつけたそうです。その事は何度か周りの人(友達の親とか近所の人)に言われた?聞かれた?ことがあります。苗字を言うと「あぁ、あの〇〇さんね」と言われることが多かったです。それが原因で従兄弟には会ったことがありません。父はひぃおばぁちゃんとひぃおじぃちゃんに育てられました。ひぃおじぃちゃんは会ったことないですが、ひぃおばぁちゃんは一緒に住んでたし、入院してからも何度もお見舞いにも言ってました。去年の5月に亡くなりました。そこで初めて従兄弟に会い事になり、そこから仲良くなり今でも遊びに行ったりしています。父は妹2人の3人兄弟です。妹2人は結婚していましたが既に離婚しています。父の家系はすごく複雑で、私は聞いてからものすごく恐ろしい気持ちになりました。ですが、父のことが昔はすごく好きでした。母がサービス業なので土日は基本休めないので父と遊んだ記憶しかほとんどないからです。でも、あの一言から私はもう二度と父とは分かり合えないと思いました。


最後まで読んで頂きありがとうございました。離婚は悪いイメージばかりでは無いと思うのでプラスに捉えていい方向に進んでいけたらいいなって思ってます。

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