第3章 最期
第1話 救急
「もしも~し、もしも~し!聞こえますか?もしも~し!・・・少しも反応がないようです。」
「もしもし~、お姉さん、わかりますか~?・・・う~ん、これはダメかもしれないな。」
「ですよね。少しも動かないんで、これは厳しいかもしれないです。」
「この人、名前は何ていうのかな?何かわかるものあった?身分証明書とか。」
「カバンに財布が入ってましたよ。やむを得ないんで、見させてもらっちゃいますね。・・・え~と、ハガユキコさん?50歳みたいです。」
「ハガさ~ん、聞こえますか~?ハガユキコさ~ん!」
「名前を呼んでみてもやっぱりダメか。」
「ほう、市内に住んでいるのか。とりあえず119番して、住所はここの住所を言うしかないな。この人の家の住所を言っても仕方ないんで。」
そういう会話がずっと体の左右を行き来して聞こえている。
聞こえている。聞こえているってば。でも何も動けないし、答えられないんだってば。
もどかしいことにその言葉すらも伝えられない上に、目もまったく開かない。
二人の男性の声がしているようだった。
彼らはどこの誰なんだろう。
さきほどから私の右肩を何度も強く叩き、耳元のかなり近い距離から大声で呼び、鼓膜が割れそうなほどに聞こえている。
もうやめて欲しいので、たった一言でも応答したいのだが、小さな声を出すどころか口を動かすことすら出来ない。
意識はある。それだけは伝えたいのに。
ここは屋外で、私は硬い路面の上に仰向けになっているということは何となくわかる。
下はアスファルトなのだろう。
私の背中や腰に小さめの石が数か所ゴロゴロと当たって痛い。
「・・・もしもし、はい、こちらは札幌市北区北7条西4丁目。イシバシカメラの斜め向かいのビルの前です。女性が倒れています。え~と、名前ですか?ハガユキコさんという方のようです、はい。
え~と、50歳というふうに身分証明書に書いてありました。あ、いいえ、私はたまたまここを通りかかっただけでして。知り合いではないです、はい。私ですか?ヨシダコウスケと言います。はい、わかりました。このままお待ちしております。」
ヨシダコウスケと名乗る男性が電話をかけたようだが、内容から推測するとこれは救急車を要請したのだろう。
どうやらここは北7条西4丁目らしい。
私の職場のすぐ近くではないか。
職場を出たところまではかすかに記憶があるが、その後私はどうしたのだろう。
突然倒れたのか、はたまた事故か何かに巻き込まれたのか。
記憶がすっぽりと抜け落ちている。
「あら、どうされたんですか、この方。急病人?呼吸はあるの?」
突然、今まで登場しなかった年配の女性の声が聞こえ始めた。
「ええ、ここで倒れているのをたまたま見かけて、今救急車を呼びました。5分くらいで来るようなので、もうすぐじゃないですかね。呼吸はあるようですよ。応答はまったくないんですけど、まぁ救急車がくるまではここで待ちます。」
先ほど電話をかけていたヨシダさんらしき男性の声がそう返答している。
電話をかけていた内容と口調からすると、ヨシダさんは常識的で良い人だろうと思えた。
「あ、そうなの?じゃあ大丈夫そうね。」
野次馬なのだろうか、年配の女性は適当にそのような言葉を返して遠ざかっていったようだ。
とにかく、二人の男性以外に次々といろんな人の体臭が私に近づいてきて、誰かの息がかかったり、唾液か何かわからないしぶきのようなものが時々顔にかかる。
興味本位で近寄ってくるギャラリーか。
気持ちが悪くてたまらない。
薄目さえも開かず、ほんの少しも口が動かず、吐息のような声ですら出ないが、周りの音からおおよその状況は知ることができた。
けたたましいサイレンの音がどんどん近づいてきて耳が痛い。
まさかとは思うが、案の定私を迎えにきた救急車だった。
車からバタバタと人が降りてきて「ヨシダコウスケさんですか?倒れていたのはこの方ですね?」と早口の男性の声がした。
数名の男性の腕が私の体の下にスッと入り、ひょいと持ち上がって担架らしきものに乗せられた。
ゴロゴロとした石が体に当たらなくなり、これなら心地よく少し眠れそうだと思う。
ドン、バンと車のドアを閉める振動が伝わってくる。
エンジン音がして車が走り出したようだ。
これからどこかの病院へ向かうのだろう。
「この方のお名前は、ハガユキコさんでしたね。」
救急隊員なのだろうか、そう問いかけている声がした。
「はい、そうですね。運転免許証をお持ちのようでしたので、ちょっと拝見しまして・・・これですね。」
ヨシダさんが私の運転免許証を救急隊員に見せているのか。
「あぁ、はい、ありがとうございます。なるほど、お名前はこういう字を書くんですね。ヨシダさんが初めてこの方を見たときはどんな様子でしたか?顔色とか、意識があったかどうかとか、何かわかります?」
矢継ぎ早に質問を続ける。
見ず知らずのヨシダさんが私のためにこんなに時間をとられ、質問攻めに遭っていること自体を非常に申し訳なく感じた。
「先ほどのビルの前を通りかかったところ、この女性が倒れていまして・・・カバンも持っていましたし、コートも着ていましたから、時間的にお仕事帰りとかなのかなと。少し体を丸めるような感じで道に横たわっていました。」
自分でも知らなかった事実がヨシダさんの言葉によって明らかになっていく。
「先ほど見た感じでは嘔吐物などもなかったようですが、発見された時もなかったですよね?」
「ええ、はい。何もなかったです。」
「顔色は今も青白いですけど、これはあまり最初から変わらないですか?」
「そうですね・・・変わっていないと思います。」
「そうですか。お忙しい中、ご協力ありがとうございます。」
問答を締めくくるように救急隊員が礼を言う。
別の男性の声で「もう間もなく到着します。」と聞こえた。
距離からいっても、市内のどこかの病院に到着するに違いない。
「ご用事もおありでしょうし、病院に到着した後は、お帰りになられて大丈夫です。」
救急隊員がヨシダさんにそう声をかけたようだ。
車が停まるキーッという音のあと、ガラーッと音がして一気に外気が車内に流れ込んだ。
あちらこちらのドアが一気に開いたらしい。
突然、寒くなって慌ただしくもなった。
私が乗った担架は、横から滑り落ちそうになるくらい傾けられたりしながら、速いスピードでどこかへ進んでいっている。
“あぁ、どこへ行くんだろう。”
憂鬱な気持ちだけは確かで、ぼんやりとそんなことを思っているうちに突如睡魔に襲われて意識が途切れた。
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