第2話 愚か者

 新たな精神科の門を叩いてから2日が経った。

そもそも私は死にたいと願い、死のうとしていたのに、何故自らの体を慮って病院へ行ってしまったのだろう。

いずれにせよ死ぬ覚悟なら、いくら体が辛くとも我慢し続ければ良かったのではないか。

不眠ぐらいのちっぽけなこと、一体何だというのだ。

死ぬ覚悟があるのなら、そんなことどうだって良いではないか。

果たして私は激しい動悸や、全身に走る痒み、吐き気に怯えただけで精神科へ駆け込んだのだろうか。

そのくらいで怯えるのなら、果てしない闇の世界である死へは飛び込んでいけないだろう。

自分の根性のなさ、愚かさに更に呆れた。

 ―――“この食料がなくなったら死のう”

そう決意したのも6日前のことだった。

その後食料品は買っておらず、死を決意した自分のルールは破っていない。

6日前から何も食べておらず、食料はまだまるまる残っている。

腐敗しているものもなく、やはり逆算してもあと18日くらいはこの食料でもつだろう。

これまでの人生において、何かを格好良くやりきれたことがないのだから、自分で決めた死はそのとおりきっちり守って人生を全うしようか。

 藁にもすがる思いで精神科に駆け込んでみたところで、結局は何一つ根本的な解決になっていないのではないかとすら思える。

医師や看護師は両手を広げて受け入れてくれ、私が自虐的なことを言えば「そんなことない。自分のことを悪く考えすぎだよ。」と言葉を添えてくれるし、どれほど些細でくだらない話題をしても「うんうん、よかったね。それはいいね。」と、向日葵のような笑顔で包み込んでくれる。

本当に心が病んでしまった人はその一言や笑顔があまりにも嬉しく、救世主に出会ったような気持ちにもなるのだから、それが有料サービスだとしても対価を支払うだろう。

自分の中に沸き起こる怒り、悲しみ、憎しみ、すべての感情を思いのままに吐き出し、毎回の通院診療を終え、その時の症状に見合った薬を処方してもらう。

精神科は、気持ちを楽にするために行く場所であり、誰にも弱音を吐けずに孤軍奮闘した人が最終的に駆け込む場所だ。

しかし、再び冷めた気持ちが戻ってきた私の中の考えはこうだ。

“お金を払っているから私の話を聞いてくれているだけだ。”

“くだらない話に付き合うことと、薬を出す処方箋を書いてくれるのがここのサービス内容だ。”

そう、結局は誰も私のことが好きではない。

精神科で受けられるものは愛ではなく、サービスだということ。

根本的な解決になっていないことに対して、費用をかけるのは良くないのではないか。

初回の通院後、まだ2日しか経過していないというのに、既にそのような気持ちになっている。

“やっぱり薬を飲むのをやめよう。もう治らなくていい。”

二週間分処方された飲み薬の数々を、ひとまとめにしてごみ箱に放り込んだ。

こういったことに気付くまで、また浪費をしてしまった自分に嫌気がさした。


 6日間、何も食べていないため、ファスティングの効果のように頭は冴えている。

食事による内臓疲労がないせいか、あまり眠くもならない。

時折、ふと気が飛んでしまうように数分の眠りに入ることがあるが、僅かなまどろみに過ぎない。

このままここで座って眠りにつき、うたた寝のように死後の世界へ行けたらと願う。

自分の存在自体がもうとにかく嫌だ。

できることなら、突然煙になってポンと消えてしまいたい。

私がどのように死んでも、遺体が残ってしまうのが厄介だ。

誰かがそれを片付けなくてはいけなくなる。

数少ないとはいえ、私の持ち物、荷物、借りているマンション。

職場に置いてある少量の私物。

私などのために、誰かの手を煩わすのがとにかく嫌だ。

自分の体も荷物もすべて、まるで最初から何もなかったかのようになって欲しい。

羽賀由紀子という人間はこの世に存在していなかったのだと。

どうすればそれに近い状態で死ぬことができるのか。

自室のフローリングの床にペタッと座りながら壁にもたれて考えた。

“やっぱり私は生まれてくるべきじゃなかった。”と。

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