第2章 希死念慮
第1話 AC
50歳を迎えた数日後、私は精神科の待合室にいた。
37歳の頃に初めて自らが重度のうつ病だと判明してからは、漠然と自分の性格にはうつがしっかりと根を張っているような自覚がある。
当時のうつ治療にあたっては、リフレックス錠とデパス錠を処方されて飲み続けた。
薬が効き始めれば気分が一変して陽気になり、完治したような錯覚に陥る。
ほんの小さな錠剤を飲むだけであっという間に気分が高揚するので、手短な気分転換には持ってこいだったが、リフレックス錠の副作用で太りやすくなる。
満腹感がわからなくなり、食べ続けてしまうのだ。
幼少期から太ったことがない自分にとっては、それは耐え難いことだった。
実際にはうつは完治していなかったと思うが、服薬で太るのを避けたいために主治医には
「飲み忘れもなく、しっかり飲んでいます。症状も改善しました。」
と嘘の報告をし、通院治療をやめた。
その2年後にもうつが再発し、同じ心療内科に通ったが、処方される薬はまったく変わらず、主治医はただ私の話を「うんうん、そうだね。はいはい。」とひたすら聞くだけだった。
それなりに高額の治療費を支払って自分が受けているサービスは、医師がただひたすらに頷いて話を聞いてくれ、向精神薬を処方するために許可をし、手続きをしてくれているということだ。
向精神薬でうつが快方に向かっているかというと、それは違うように思える。
治っているのではない。
薬が効いている間、気分が変わっているだけだ。
暗くなる気持ちを一時的に散らしているだけなのではないかと感じていた。
しかしまた私はこうして精神科の待合室にいる。
ここ一ヶ月、毎日吐き気と下痢が続いており、食事をしても嘔吐するか消化不良で下痢をするかだ。
苛々したり少しでも怒りを感じると全身に痒みが走り、かきむしった。
夜は何時に就寝しても目が冴え、一切眠ることができない日々だ。
激しい動悸に襲われると涙が溢れ、街を歩いている最中でも大声で突然泣き出したりすることがあった。
過去に二度お世話になった心療内科の主治医の顔が浮かんだが、すでに行きにくくなっていた。
「先生、私また症状がつらくなってしまったんです。」
同じ医師の前にそうやって顔を出すことは非常に気が引けるからだ。
“この人はまた同じことを繰り返している”
そう思われたくない。
インターネット検索をし、市内で一番口コミ評価の良い精神科の門を叩いた。
以前の心療内科でも書いたことがあるセルフチェックシートを渡された。
すべてに”はい”と答えるようであれば、それは良くない結果になるのであろうが、正直に回答すると私はすべてが”はい”だった。
別室に通された後、看護師がこう言う。
「この白紙に木の絵を描いてください。細かい部分まで描かなくても良いです。5分くらいで描いてみてください。」
「木ですか?」
「そうです。普通の木です。植物の木。」
この”木の絵”によって、私の深層心理はあぶり出されるのだろうと訝しみながら描き始める。
太く根を張った大きな木、傷ついたり穴が開いたりしている幹、僅かな葉を描いた。
10分後に診療室に呼ばれ、対面した精神科医はふっくらとした60代くらいの紳士だ。
「羽賀さん、これ本当に今の状態で正直に描いた結果ですか?」
「はい、そうです。」
「あなた、これが本当ならとんでもなく大変な人ですよ。普通に仕事に行って、日常生活を送っているのが不思議なくらい。最初のチェックシートは80点以上で”重いうつ”と診断されているんです。しかしあなたは100点だから、”重いうつ”どころではない、もっと超越した別の次元へ行ってしまっているようですよ。」
以前とは別の精神科を受診しても”重いうつ”と診断されるのだから、これは間違いのないことだろう。
「そして、あなたが描いてくれた木の絵ね。これは相当根深いものを感じるんですよ。何しろすごく太い根を描いている。それに幹がずいぶん傷ついている。あなたは相当手強そうだな。」
重い診断結果を少しでも気楽に聞けるようにとの気遣いか、医師は時折笑いを交えた。
「先生、私には思い当たる経緯があって・・・」
笑いを交えてくれたその医師に、少しでも心の内を見せたくて私は話し始めた。
私は二人姉妹の次女だ。
5歳年上の姉は幼少期から成績優秀、真面目で正義感も強く、とにかく目上から可愛がられた。
私はというと、その姉と常に比較されて育ち、プレッシャーと抵抗感が絶えずあった。
“姉は姉、私は私だし、別の人間なのに、どうしていつも比較されるんだろう”
ありのままの自分を受け入れてもらえない現実に苦しんだ。
母と友達のように仲良くなるのが夢だった。
しかし、現実はあまりにも遠い。
「お姉ちゃんに比べて、あんたは出来ない子だね。あんたなんか産むんじゃなかった。」
母の残酷な言葉は、幼い私の心をズタズタに切り裂いた。
「あんたみたいな不器用な子は、頑張って努力しないと、誰も相手にしなくなるよ。家族でさえそう思うんだから、他人なんかもっと相手にしてくれない。」
無償の愛などというものは本当に存在するのだろうか。
幼いながらにそれが疑問でならなかった。
短所も含めて私の存在を愛してくれる人は、この世に本当にいるのかと。
物心がつき、5歳になる頃にはそのようなことを思い始めていたのだから、無心で甘えることは既に出来なかった。
人の顔色を常に気にする子供になった私は、無邪気に振舞うことができない歪みを持っていた。
感受性を育む3~5歳の時期に、母の愛情を充分に受けていない。
肉親にさえも甘えられない、弱音を吐けない現状だった。
父と母は喧嘩が絶えず、家庭内に安らぎや癒しの場所などなかった。
身近な大人たちはいつも大変そうだ。
だから尚更、自分都合の話などできない、無心にもなれない子供になった。
「先生、私、インターネットで調べたことがあって、行きついた答えは”アダルトチルドレン”だったんです。」
“アダルトチルドレン”。
幼少期に家庭内のトラウマによって傷つき、その後の人生においても生きづらさを感じている人。
まさに私はそのものだった。
肉親にすら本心を語ることができない、自分の弱い部分を出せないのだから、他人になどそれが出来るわけがなかった。
人に本心を見せられない、素直に打ち解けられない性格は、どんな人間関係上でもうまくいかない。
「そうか。うんうん、よくわかったよ。」
医師は目をゆっくりと閉じるように微笑み、”もう大丈夫。安心して。”といった表情をして見せた。
「ACか。それでこういう根深い絵を描くわけだな。合点がいったぞ。」
うつやその他の精神疾患において、ACは関連深いことのようだ。
人の性格や心の根底というのは、昨今出来上がったものではないという証拠だろう。
以前の心療内科ではリフレックス錠を処方され、太りやすかったのが気になっていたと話すと、その医師はレクサプロ錠を処方してくれた。
薬が変われば私の症状も以前とは変わるだろうか。
ACの私を形成した過去をもう消すことは出来ない。
大人になりきれなかった自分を受け入れながら、それでも何とか仕事をし、明日を生きていかなければいけないのだろう。
そう思いながら、もらったばかりの薬を道端で一つ開け、口に放り込んだ。
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