第2話 回想:若葉
丁度、半世紀生きた。
半世紀も生きて、こんなにくだらない人間にしかなっていないという惨憺たる結果に我ながら呆れ、ますます自暴自棄になる。
20歳。
IT系の専門学校を卒業した私は、地元札幌を離れ東京に就職先を見つけた。
札幌よりも東京のほうがIT系の仕事が山ほどある。
需要が多いゆえ、賃金水準も段違いに高い。
どうせ同じ時間働くのなら、ギャラが少しでも高いほうが良いに決まっている。
専門学校を出たての新人でも、東京でならそこそこ高収入が得られるのだから、遊ぶ金欲しさと東京のステータス欲しさに上京した。
しかし、野望ばかりの私に待ち受けていたのは、グレーな企業での残業の日々だった。
残業代だけでも基本給と同等の金額。
早朝から深夜まで会社に缶詰になっているのだから、稼いだ給与を使う暇もない。
自分が弱冠20歳の女子で、東京の真ん中にいることすら忘れてしまうほど会社にこもりっきりで働いていた。
23歳。
入社4年目。
深夜残業、徹夜にも慣れ、時間の感覚が麻痺していた。
膨大な残業時間から稼ぎ出した給与は、仕事帰りの飲み代と、体調不良での通院費でほとんど消える始末。
忙しいITの仕事をしながらでもできる無駄遣いの一つとして、高価なタバコや葉巻を買って吸ってみたものだ。
文字通り、汗水たらして稼いだ金は煙となって空へ逃げていった。
長年続いた長時間労働によって自律神経失調症になり、それを機にIT業界から退くことに決め、普通に定時で帰れるOLに憧れて転職をした。
せっかくの若い時期を、東京で楽しんでみたかったのだ。
丁度その頃、上京後初めての彼氏ができた。
そう聞くと地元札幌でも彼氏がいたような聞こえ方だが、学生時代にはまともに彼氏と呼べるような間柄の男性は一人もおらず、要するに上京して初めて彼氏と呼べる相手と出会ったのだった。
ITの職場で出会った4つ年上の男、名前は勝野利一といった。
毎日深夜残業をともにするうちに自然と仲良くなった。
交際を申し込みを二、三度断ったが、まったくへこたれずにそれでも申し込んでくる相手に折れ、「女性は愛されて交際したほうが幸せになる」というジンクスみたいなものも頭をよぎり、押し出されるかたちでその男性との交際を開始した。
こちらからはあまり好きになれなかったが、とにかく私を大絶賛し、常に愛してくれていたと思う。
それほど溺愛されることには不慣れだったがゆえ、愛される喜びを覚え、女性としては幸せだった。
29歳。
経理事務の仕事に就いて6年、生活サイクルも収入も安定していた。
仕事が必ず同じ時間にきっちり終わることの幸福感。
アフター5に予定を入れられる。
この暮らしが永遠に続いて欲しいと願うほど、気に入っていた暮らしぶり。
自分に時間のゆとりが出来ると、次々に興味が多方へ向き、チャレンジしてみたいことや行ってみたい所なども出てきて、6年間交際した彼の存在はすでにないがしろになっていた。
週末ごとにデートの誘いはあるものの、毎回気乗りせず断るようになり、そんなことを続けているくらいなら別れたほうが良いのではないかと勝手に考えて彼に別れを告げた。
6年も交際したというのに、あまり悲しくはなかった。
30歳。
大台に乗ったら、今後の仕事や結婚についても改めて真面目に考えてみるようになった。
様々なことを見直したくなる頃だ。
『本当に今の仕事で良いのだろうか』、そう考えはじめた矢先、こちらから仕事に見切りをつけるどころか、まったく逆の局面に。
経理事務で7年働いていた会社が倒産した。
3月上旬の或る日、「羽賀さん、ちょっと」と経理部長に呼び出され、二人きりで会議室に入った。
話の内容は、「4月末日で羽賀さんは整理解雇になるのよ。給与は4月末までの分は出るから、できればなんとか次の就職先を見つけておいたほうがいいと思う。もし見つからなくても、会社からは整理解雇で離職票を出すから失業給付は1か月少々で出るし、そんなに困らないと思うからさ。これ以上は会社側からできることがなくて、ごめんね。」
そういうことだった。
時間の面でも、収入の面でも安定した企業にようやく入れたと安堵していたのに、後ろ足で砂をかけられた気分だ。
経理部長からの重要な話は、事実としてしかと聞きとめたが、頭にも心にもスムーズに入っていかなかった。
それを聞いた日は、朝からすでに放心状態で仕事中も今後の不安のことばかりを考え、上の空だった。
僅かな期間でも無職になりたくなかった私は、無理矢理に体を前へ前へと動かして転職活動をした。
“ベンチャー企業”という単語が流行りだしていた頃だったからか、怪しげな会社がたくさんあった。
再起して東京でより良い企業に就職したい一心で、方々の企業の面接を受けるも不採用の結果が続き、無職の状態で東京での一人暮らしを継続していくのはあまりにリスキーで、心が折れた。
5月を迎え、連休を利用して荷物をまとめて、地元札幌に転居した。
31歳。
20歳で専門学校を卒業してから、東京で就職したため、地元札幌での就職事情には疎かった。
もちろん東京よりは札幌のほうが圧倒的に仕事は少ない。
少ない募集定員のところへ応募者が多数殺到するから、就職難になる。
札幌で再び事務職からスタートし、東京での疲れを癒しながらぬくぬくと生活リズムを整えようかと目論んでいたものの、それほど悠長なことは言っていられなかった。
派遣会社の門を叩き、事務職でエントリーするも、派遣スタッフからは「札幌で事務職で採用される方は皆さん一人で会社の経理が切り盛りできるくらいプロフェッショナルなんです。羽賀さんくらいの経歴の方でしたら多数いらっしゃるので、ご希望の事務職では採用が難しいですよ。」という辛辣な言葉を受ける。
転職活動2ヶ月目になっても採用される兆しが見られず、そう長く無職でいても生活費に困窮する。
時間が不規則になりがちなシステムエンジニアの仕事には就きたくなかったが、就職難で背に腹はかえられず、IT系企業でのアルバイトを始めた。
寒い北海道、10年ぶりのUターンで地元に友達もおらず、加えて就職難で寒々しかった。
春、アルバイト先のN社で同じチームに所属していた協力会社のエンジニアと仲良くなり、毎日食事をともにしたり、休日出勤をした帰りに二人で寄り道をして遊んだりした。
愛嬌のあるふっくらとしたその男性は竹田勇といい、出会って間もなく交際をはじめた。
勇は一つ年下で30歳だったが、私よりもしっかりして落ち着きがあり、頭脳明晰で頼もしかった。
私に男兄弟はいないが、まるで兄のような存在だ。
きっかけは私のほうから好きになって積極的なアプローチが実っての交際スタートだったため、この彼とはどんなことがあっても離れずにいて、できれば結婚もしたいと願うようになっていた。
32歳。
互いに一人暮らしをしている勇とは毎晩どちらかの家で会った。
仕事以外の時間は絶えず一緒にいるので同棲状態だった。
平日の夜は毎晩、休日は昼夜問わず気分にまかせて体の関係を持った。
回数も多く、気分にまかせてはじめるので避妊具など使わなかった。
その結果、勇との子供ができた。
回も重ねていたので、一体いつのどの時のかはわからないが、勇以外とは関係を持っていないのでそれは間違いない。
妊娠1ヶ月目だとわかり、勇には戸惑うこともなくすぐに伝えることにした。
あれだけ何度も体を重ねたのだから、妊娠していたからといって大きく驚くこともないだろうと想像。
「子供ができたみたい。」
無表情で言う私に、勇は驚いた顔もせず、
「そうか、俺はお父さんになるのか。」
そう答えただけだった。
「産む、産まないは由紀が決めていいよ。どっちに決めても、俺は何も言わない。」
そう付け加え、授かり婚の覚悟も決めたようではあった。
『私がこのまま産むと決めれば、勇とはゴールインすることになるな』
実力行使のような結婚が果たして二人に幸せをもたらすのかどうか、ずっと首をかしげた。
昭和一桁世代の親を持つ私は、
「結婚する前に子供ができるとは何事だ。」
と酷く怒られることが想像でき、それがとにかく憂鬱だった。
正直なところ、子供はあまり好きではなく、結婚に憧れたこともない。
この子を絶対に産みたいという強い気持ちはなかった。
ただ、勇とはこれから先もともに過ごしていきたいし別れたくないとだけ思っていた。
結論として、私は中絶することに決めた。
交際して間もなく、結婚の話題すら出ていない勇との間の子供を出産することが不安だったからだ。
シングルマザーになる覚悟をしてまで、産んで育てようという気概がなかった。
勇に付き添われ、大手の産婦人科での中絶手術はおよそ半日で終わった。
産みたいという気持ちがなかったから中絶手術を選択したのに、どうしてだろう。
手術を終えて病院を出た私の目からは大粒の涙がとめどなく溢れた。
罪のない、一人の人を殺した罪の重さだ。
私は子供の殺人者になった。
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