第5話 本当の鬼
それから数日後。
昼。
一人で昼食を食べ、今日やるべき仕事は午前中で片づけ、少し寝ようと考えた時だ。
タクシーが止まり、中から猪口が出てきた。
それから、招き入れられると持参した酒を卓に置いて春平に向け、土下座した。
「すいませんでした!」
「は?」
春平は目を点にした。
元々から小さいが……
「俺、お前に何かしたか?」
こう聞いても、「すいません」の一点張りだ。
何度か同じような会話をして、猪口はおずおずと胸ポケットから新聞の切り抜きを出した。
丁寧に折りたたまれた紙片を慎重に開く。
それは死亡記事であった。
【玉田議員、将来を絶望視し息子と共に自殺】
「ふうん……そういや、テレビでやっていたな。そうか、死んだのか」
その言葉に格段の感情がこもっているわけではない。
ただの感想だ。
言いづらそうに猪口は告げた。
「これは、マスコミ向けの情報操作です。実のところ、残った母親が『これは、誰かに殺された』と警察に怒鳴り込んで来まして……水面下では、動いているようです」
「ようです?」
「母親が怒り狂っていましてね、警視庁にもコネがあったらしく特別捜査チームを組んでやってくるんだそうです」
「警視庁直々のお出ましか……で、どうするわけ?」
「どうするも、こうするもないですよ。物的証拠もなければ証言者は多すぎますし、防犯カメラを何度見ても誰かが意図的に押し付けているわけではないです」
いつの間にか顔を上げた猪口は溜息を吐いた。
「で、何で、俺に謝るの?」
「いや、その……」
「あ。お前、この自殺を俺がやったと思っている?」
猪口はゆっくり、緊張の面持ちで一回首を縦に振った。
「残念でした。俺はその時間に出版社と電話のやり取りをしていました」
「ほ……本当、ですか?」
驚いたように猪口は春平を見た。
「そうだよ。何なら、出版社に確認を取ってごらん」
春平は隣の書斎に行き、一枚の名刺を出した。
星ノ宮に本社を置く中堅の出版社だ。
少し、猪口は渡された紙片と春平を見比べ「失礼」と一礼して立ち上がり、部屋に隅に移動して電話をした。
五分後。
「いやぁ、すいませんでした!!」
打って変わって憑き物が落ちたように猪口は戻ってきた。
「な、ちゃんと電話していただろ?」
「ええ、あの時間帯で電話をしていたらよっぽどのスーパーマンでない限り、無理ですね」
よほどうれしかったのか、口調も明るい。
「いやぁ、万が一、師匠が関わっていたら俺、本当にどうしようって悩んでいて……」
「そりゃあ、俺の家は先祖代々、街の問題とかに首ツッコんできたけど好き好んで違法なことはしていないよ」
そこに第三者の声が響いた。
「爺ちゃん、ただいま」
「おかえり、正行」
やってきたのは、正行青年だった。
「おかえりなさい、正行君」
猪口も声をかける。
「お久しぶりです、猪口さん……」
正行は目ざとく卓の上にある酒瓶を発見した。
「あー、これ、珍しい酒じゃん!」
と、正行は猫なで声になった。
「お爺ちゃん、俺。これで一杯飲みたいな」
猪口は困った。
謝罪のために持ってきたものなので出来れば持って帰りたかった。
結構いいお値段の酒である。
自分で燻製したチーズやベーコンをツマミに一杯したいのだ。
だが、正行はおかまいなしだった。
二階の自室に鞄を置いて大急ぎで戻って来て丼を持ってきた。
これに注いで昼間っから酒を飲むつもりらしい。
正行は飲む時は飲む。
加減を知らないので翌日に二日酔いになるが今のところ、健康体である。
春平曰く「遺伝的に酒に強い」らしい。
検査はしてないみたいだが……
「あ、あの……そろそろ俺、その酒持って帰りたいなぁ……と思うんですよ」
おずおずという猪口。
だが、無視される。
「でも、お前。酒飲む理由なんてあるの?」
「あるよ。今日ね、嬉しいことがあったんだ」
猪口とは反対側に座った正行は身を乗り出した。
「ほら、婚約者が死んじゃった戸口先輩に新しい婚約者が出来たんだ」
「そうか……野木……」
春平と猪口は思わず顔を見合わせた。
正行は気が付かない。
「まあ、一周忌になるし、元の婚約者の家族も星ノ宮を離れるみたいでさ、彼女の親友が親身になってくれて……」
正行はニコニコしながら経過を話す。
「おい、本当か?」
猪口の耳元で春平は聞く。
「はい、父親の転勤に伴うので引っ越すみたいですね……と、いうか、師匠。彼女の、由香里ちゃんに会わなくていいですか?」
「彼女はもう、大人だ」
その言葉に猪口の顔が歪んだ。
「内容によっては逮捕しないと……」
「だから、俺はロリじゃないって……ロリコンなのは……」
ポンッ!
話す二人をよそに正行は酒瓶の栓を抜き丼に酒をなみなみと注ぎ一気に飲み干した。
「あー、美味しい!!」
「お前、俺の酒だぞ!」
怒鳴る春平。
「へ?」
顔が真っ赤になった孫。
「だってさぁ、爺ちゃんとさぁ、猪口さんがさぁ、無駄に話をしていたから、いいのかなぁ? と思ったのさ」
春平は様々な言葉を言いたかった。
だが、それらを全てのみ込んだ。
「冷蔵庫にツマミになりそうなものがあるか探そうか?」
「はい!」
猪口は酒を諦めて「失礼します」と一礼して平野平家を去った。
とりあえず、冷蔵庫などを漁る祖父と孫。
春平は冷蔵庫を漁りながらさりげなく聞いた。
「正行、○月×日の△△時にどこいた?」
酒器を用意していた正行の手が止まった。
さすがに高い酒を丼で飲むのは最初の一杯で気が引けた。
「駅にいたよ……あ、そうそう。Suicaをチャージし忘れてさ、現金で切符買ったんだけどホームに小銭落としてさぁ。大変だったなぁ……そう言えば、後ろのほうで何かワーワー騒いでいたけど何だったんだろう?」
「玉田って議員と子供が自殺したんだよ」
「え? そうなの?」
思ったより正行の驚きは少ない。
「そうか、死んだのか……」
正行の顔に一瞬だけ笑みが浮かんだ。
その顔は、まさに鬼そのもの。
「正行、まさか、お前が……」
目線が合う。
「うん? 何が?」
孫は無邪気に聞く。
春平はつくづく思う。
――本当の鬼は目の前の孫だ
航海の唄 隅田 天美 @sumida-amami
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