感謝の言葉は素直に言えず

 木が何本も倒れて見るも無惨になってしまった屋敷の表側。来客を迎える立派な黒い門は溶けおち、その前に倒れたまだ新しいマジュウの死骸はいったい誰か片づけるのか。

 ここが戦場とならなければ、さぞかし手入れのほどこされた美しい庭であっただろう。それであってもキングスコート邸の比ではないのだが。


 桜庭たちがたっぷりと時間をかけて氷に侵食された地面を抜けた頃には、すでにオズワルドは安全な庭の隅にナタリアをおろしていた。

 仮に彼女が起きた際に逃げられないようにするためか、丁寧にも赤いハンカチーフを二つに割いてナタリアの両手足を縛っているらしい。

 桜庭たちに気がついたオズワルドは、風の力を強めてサンディとシャロンを運ぶ三人に追い風を吹かせる。不思議とそれによってバランスが崩れるようなことはなかった。


「先生。ここなら寒くもないしちょうどいいよ」


「そうだな。ありがとう、オズ。……ダリル、そこの草の上におろそうか」


「ええ。人一人運ぶのにもなかなか骨が折れるもんですねぇ。本当はおぶっていければ一番よかったんですけど」


 桜庭の足の具合を見ていればそうも言ってはいられない。

 そうぼやきつつも、ダリルは文句は言わずに桜庭と力を合わせてゆっくりとサンディを地面におろす。

 少し後ろをついて歩いていた如月もその隣にシャロンをおろし、彼はそそくさと後ろへとさがった。


「お前らにも手伝ってもらっちまって悪かったな」


「ぜんぜんかまわないよ。サンディには屋敷の中で俺も助けてもらったしさ。それより二人は――」


 桜庭が横たわるサンディたちに目を向けたその時。穏やかに眠っていたシャロンの大きな瞳がゆっくりと開かれた。

 深い森の色をした彼女の二つの瞳は、少しの間働かない頭で付近の様子を見回していたようではあったが、かたわらに立つ桜庭の顔を見るやいなや驚いた様子で飛び起きる。


「さ、サクラバ様! ご無事だったのですね。本当によかった……」


「おはようございます、シャロンさん。心配してくれてありがとうございます。でも、無事だったのは俺だけじゃないですよ」


「え? ……あぁ!」


 一瞬ぽかんと口を開けていたシャロンではあったが、そこで彼女は隣に横たわるサンディに気がつき自分の口元に両手を寄せる。


「サンディ様……?」


 ひかえめではあるが、肩を揺らしてみればすぐに彼は目を覚ました。


「ん……ああ、シャロン。ここは……。私は確か、サクラバといっしょにマジュウから逃げていたはず……。それで屋敷を出ようとしたところで突然目の前が暗くなって、それからの記憶が――って、シャロン? そこにいるのは本当に……」


 サンディは起き上がって混乱した頭をつかい直前の記憶をたどっているようではあったが、そこでようやく自分の隣にシャロンがいる現状を理解し彼女を二度見する。

 シャロンは嬉しそうに顔をほころばせると、サンディに向けて何度もうなづいてみせた。


「はい、サンディ様。シャロンです! シャロンはここにおります!」


「ああ……」


 しばしその場で固まるサンディ。

 彼は自分の顔を両手で触り、首をひねって背中を見たり身体中を触れてなにも異常がないことを確認すると、とたんに瞳を潤ませて目の前のシャロンに抱きついた。


「サンディ様!?」


「うわあああよかったぁぁぁ! 私は助かったんだぁぁぁ!」


「……ふふ、当たり前じゃないですか。サンディ様にはわたくしとキサラギ様がついているんですもの」


 よかったとしきりに口にするサンディは、ぎゅうぎゅうと腕の力を強くする。

 はじめは驚いていたシャロンもすぐに笑顔になり、彼女は後ろで大人しく二人の再会を見守っていた如月へと顔を向ける。


「キサラギ様! わたくしの役割……しっかりと果たすことができました!」


「ええ、シャロン様。俺もまたこうして、ぐちゃぐちゃに顔をしぼませてるサンディ様のアホ面が見ることができて嬉しい限りで……あ」


「な、お、おいキサラギ! 今私のことをアホ面とか言っただろ! それに少し思い出してきたぞ。さっきも話せない私に向かってなにか失礼なことを……サクラバー! お前も無事だったか〜!」


 はじめに如月、そして次に桜庭を見てコロコロと態度と表情を変えるサンディは立ち上がって二人の元へと駆け寄る。

 マホウによる後遺症なども特にはないのか、彼の足取りもしっかりとしていて今にもピョンピョンと飛び跳ねかねない。

 それでも。


「――みんな、こんな私なんかのために……本当に。本当にありがとう……」


「サンディ様? 今なにか仰られましたか?」


「いや、な、なんでもない! なにも言っていないぞ私は!」


 そんな彼が恥ずかしさから直接言うことのできなかった小さな呟きは、誰の耳に届くこともなく暖かな春の夕暮れの中に溶けていく。

 囚われのサンディをめぐる救出作戦は、こうして成功ののちに幕を閉じたのであった。

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