見えない信頼

 ふわふわと桜庭とダリルを運ぶ風は暖かく、如月のマホウによってすっかり冷えた彼らの身体をじんわりと暖めてくれる。

 雪上へと足を下ろした桜庭は、先ほど屋敷の中でオズワルドが会った時よりもむしろ元気そうに見えた。


「もう、危ないじゃあないか先生! 氷上で滑って骨を折る人だっているんだし、頭を打ってしまったらそれこそ大問題だ! 僕がいなかったらどうなっていたか……」


「ははは、ごめんごめん。犯人も捕まったみたいだし、みんなが無事だったのを見たら気が抜けちゃってさ」


「気が抜けちゃってって、君ねぇ……。こっちは君が僕の見ていないところで死んでしまうんじゃあないかって、ずっとヒヤヒヤしていたんだから……」


 呆れたようにそう言うオズワルドは、桜庭の首の痣や腕の怪我にチラリと目を向ける。

 それに気がついた桜庭は片眉を下げて苦笑した。


「なんだよ、俺は大丈夫だってさっきも言っただろう? ダリルもついてくれてたんだし、なにも心配することはないって」


「でも……」


「さてはオズ、俺たちのことを信用してないな?」


「そ、そういうわけじゃあ……」


 意地悪げに桜庭が笑うのを見て、珍しく押されるオズワルド。口先から生まれたように口が達者な男である。常日頃であればあれぐらいの言葉にはペラペラとなにか余計な言葉をつけくわえて言い返すはずではあるが。

 その姿にダリルは内心首をかしげていたが、如月に背中をつつかれたことで彼は振り返る。


「はい?」


「おい、ダリル。こんなことを言うのも変かもしれないが……お前たち、もう少しお互いのことを理解し合った方がいい」


「は? 急になんですか」


 如月はどこか神妙な顔をしていた。


「いや、さっきオズワルドと少し話してみて思っただけだ。なんというか……お前たちの間にはいまいち信頼が薄い気がするんだよ。桜庭の怪我……大怪我みたいに言うからどうなっているかと思ったが。あの感じだと見た目よりたいしたことないだろ。アイツを甘く見すぎだ。あれで死ぬとかどうとかわめいてたぞ」


「はは、そりゃあ確かに。サクラバさんは大丈夫だって言ってたのに……信用されてませんねぇ。まぁ僕とアレが信頼しあうだなんて一ミリも想像つかないですけど、善処はしますよ。ご忠告どうも」


 あまり真面目にはとらえていないのか、ダリルはへらりと笑って如月の忠告を受け入れる。

 今のダリルたちと同じようなやり取りを桜庭とオズワルドがしていたことにも、もちろん二人は気がついていない。


 桜庭はその間も珍しく弱気なオズワルドをからかって遊んでいたようではあるが、ふとなにか思い出したのか彼はオズワルドの元を離れて雪の上を慎重に走りはじめた。


「そうだ、それでサンディ! 無事に助けたのはいいとして、倒れてるけど大丈夫なのか……ってシャロンさんも!」


「ああいっけね。そういやサンディ様たちを運ぶのを忘れてた。風邪をひかれてしまう前に移動しねぇと」


 後で怒られるのは俺なんだ、と言いたいところを如月はぐっとこらえる。


「そういうことなら俺も手伝うよ、如月。サンディは任せてくれ」


「サクラバさんだけじゃ無理ですよ。僕も肩貸しますから、ほら」


「すまないな。桜庭、ダリル。それじゃあ俺もシャロン様を……」


 桜庭とダリルがサンディの元へ駆け寄るのを見て、如月も慌てて、こちらはザクザクと軽快に雪の上を走る。

 彼はシャロンの前まで来ると両腕で彼女を抱えあげようと手を伸ばした。が、なにを思ったのかその手をピタリと止める。


「如月?」


 手伝いにやって来たダリルとともに、両側からサンディに肩を貸していた桜庭が不思議そうに視線を向ける。

 彼は迷っているようだった。


「いや……シャロン様に触ると、サンディ様がめちゃめちゃキレるんだよな……」


「……くだんな」


 その場にいた如月以外の全員の心の声を代弁してくれたのは、じっと彼らの様子を眺めていたオズワルドであった。

 しかしサンディと短期間とはいえ関わった桜庭であれば、なんとなく如月の言うその情景も思い浮かぶ。

 シャロンの紅茶を飲んだと言ったくらいで自分の許可をとらなかったのかと言う男だ。手違いであれ触れたとでも言えば顔を赤くして憤慨ふんがいしたとしても不思議ではない。


「別にサンディも今は寝ているんだから関係ないだろう。それとも彼女、そこに置いていくつもりかい?」


「いや、そんなことはできない」


「なら別にいいじゃあないか。そっちの雪に埋もれている人間は僕が運んであげるからさ。君だって、僕奴にご主人様を任せるなんて嫌だろう?」


 そう言ってオズワルドは倒れているナタリアの周りへ風を起こし、邪魔な雪を払いのけて彼女を宙に浮かせる。

 すっかりいつもの調子に戻った彼は「ほら、早く行こうよ」とだけ告げて、氷の届いていない屋敷の表側までふわふわと移動をはじめる。滑らないようにと桜庭たちの足元に地面と反発する微風を吹かせていったのは、彼なりの小さじ程度の優しさなのだろう。


「如月どうする? 俺とダリルでシャロンさんを運ぼうか?」


「……いや、いい。オズワルドの言う通りだ。これでサンディ様にキレられたら俺も逆ギレしてやる」


 表情をキュッとしぼませて、如月は眠るシャロンの膝裏と背中を支えながら持ちあげる。小さく桜庭の口から「おお」と感嘆の声があがったのはきっと気のせいだろう。

 身体が少し浮いて歩く慣れない感覚に、三人はバランスをとりながらもなんとかオズワルドのあとをついていくのだった。

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