嬉しい誤算

 ぐったりとして動かなくなったミーシャを見て、そこでオズワルドはようやく彼女の口から手を抜いた。

 彼はべっとりと手についた血と唾液をミーシャの衣服で拭いとると、立ちあがってその死体を見おろす。


「あーあ、残念。せっかく耐えたらお説教タイムにでも入ろうと思ったんだけれど……やりすぎたなのかな。死んじゃったみたいだ」


 残念さを少しも感じさせない声。

 それだけ言ってオズワルドは興味をなくしたかのようにその場を立ち去ろうとする。今から向かえば、ダリルや如月の手助けをすることもできるだろう。


「…………」


 だが、足は思うように進まなかった。

 先ほど桜庭がオズワルドに違和感を覚えたことと同じように、彼もまた自分の行動に少し違和感を覚えていた。

 いつもの彼であれば、殺すとなればわざわざ相手の腕を落とすような拷問まがいの殺し方なんてせずに、さっさと首をねて一件落着だと終わらせるのだ。ならばなぜ自分はそんな、わざわざを行動にまでうつしてしまったのか。


 ――やつあたり、とも違う。たしかに先生に酷いことをした彼女に制裁をくだそうとしたにしても、これじゃあただの殺人鬼だ。むしろを考えないようにするため、会話や刺激でそれから意識をそむけようと……


 もんもんと考えこむ彼の後ろからパキリ、と音がした。壁が崩れるのとはまたちがう、どこか生々しい関節が鳴った時のような音。


「ん? 今の、なんの音――」


 音に気がついたオズワルドの振り返った先。すでに目の前に彼女はいた。

 両目を見開き牙をいた恐ろしい形相ぎようそうのミーシャが、を突きだしてオズワルドへと掴みかかろうとしていたのだ。


「シャアアアッ!」


「ッ!」


 とっさにオズワルドはバク転のごとく後ろに飛んでミーシャの攻撃をかわすと、回転しながら彼女の背中に蹴りを入れて広間の反対側の壁まで蹴り飛ばす。


 普通であれば首の骨でも折って死んでもおかしくはない一撃。しかししばらくするとミーシャはまた立ちあがり、本能のままにオズワルドへと突進をしてくる。

 立ち向かってくるその身体のどこにもおかしな点などはなく。確かに切り落としたはずの両腕は、彼女の元あるべき場所から生えていた。

 不思議に思いオズワルドがミーシャの倒れていた場所に目を向ける。そこには血溜まりさえあれど、彼女の腕と思われる物体は落ちてはいなかった。

 そこでオズワルドの中に一つの仮説が立ちがる。


 彼は飛びかってきたミーシャの顔面を鷲掴わしづかみにすると、そのまま彼女を地面へと叩きつけた。

 頭に衝撃を受けて一瞬意識が混濁したミーシャであったが、そんな彼女の腹が革靴の底で踏みつけられる。


「ねぇ。君もしかして生き返ることができるマジュウなの?」


 男のどこか嬉しそうな声に、意識を引き戻される。


「さっき絶対に両腕おとしたはずなのに、くっついちゃうだなんて。すごいんだねぇ。だから最初に内臓潰したときも大丈夫だったんだ」


 ようやく焦点のあったビー玉のような瞳は、男の顔をよく映しだす。


「僕じつは、興味があったんだよ。君みたいなマジュウとか、人間とかがどれくらいで死ぬのか。加減ってものがなかなか苦手でさ。勉強したいんだ」


 目が合ったオズワルドの瞳には、わきあがる好奇心と新しく手に入れた玩具おもちゃへの純粋な興味を前にギラギラと獰猛どうもうな光が輝いていた。


 それでも胸の内の、どこか冷静な部分の彼は分かっている。

 この興味もから逃げるため。こうして理由をつけてそのなにかから目を背けていれば、きっと安心できるものが見つかって自分を助けてくれるはず。


 ……安心?


 オズワルドの周囲に冷たい風が渦を巻きはじめる。

 それは一度復讐へと燃え上がったミーシャの心が、ポキリと折れてしまった瞬間でもあった。


「それにしても……さっきから僕、なんだかおかしいんだよねぇ。すごく息苦しくて、頭がいっぱいで……なんでだろう。その理由を探すためにも、君は手伝ってくれるかい?」


 オズワルドの瞳が欲を映したエメラルドグリーンに染まる。


「怖がらなくても大丈夫。一生つづくわけじゃあない。僕も悪魔ではないから、先生をいじめた分だけ協力してくれればいいんだよ。ね、安心でしょ。かわいいねこちゃん」

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