身勝手で自分勝手でわがままで

《イーリイ家――屋敷の中》


 ガラガラと音を立てて土煙があがる瓦礫がれきの中からいでたミーシャは、消えない腹部の痛みに耐え、ようやく機能しはじめた肺でどうにか息を吸いこむ。

 彼女の中に渦巻くのは、ムカムカとわきでる苛立ちであった。


「あのオトコ……出会って早々レディを蹴り飛ばすだなんて、最低最悪のオトコにゃ……」


 あの時。ナタリアの命令で桜庭の腕を噛みちぎろうとしていた彼女は、突然頭上から鳴り響いた轟音を耳にし目を奪われた。その際たしかに、屋根に空いた穴の先に二人の男を目撃していたはずである。

 しかしほんのわずかな間に地上へと降りてきたそのうちの一人が、ミーシャの動体視力でもとらえられない速度で一撃、蹴りを放ってきたのだ。


 ――そうにゃ。あの眼鏡のオトコはどこに行ったかにゃ? ご主人様に失望されないためにも、アイツだけは殺しておかなにゃ……


 ナタリアからの命令を遂行すいこうしようと、ミーシャは桜庭を探すために立ちあがろうとした。

 だが、その彼女の目の前でジャリと音を立てて地面を踏み鳴らした革靴がそれを許さなかった。


「あれ? なんで君、そんなに元気そうなの? 内臓潰すくらいの力で蹴った気がするんだけれど」


「にゃ……」


 そこにいたのは先ほどミーシャを蹴り飛ばした男――オズワルドであった。

 彼はミーシャの前にしゃがみこむと、興味津々といった様子で彼女の身体を眺める。


「見たところ骨が折れているような様子もないし、君マジュウでしょう? 人間に近い姿ををしているみたいだけれど、ずいぶんと頑丈なんだねぇ」


「なんなんにゃ、オマエ……。さっきは油断したからいいものを、今度はそうはいかないにゃ」


「そうかい。……ねぇ、そんなことよりさ。カメラに映ってた先生のことをめた悪い猫ちゃんって、君で間違いないのかな? ほら、耳と尻尾も白いしさ」


 しゃがんだ状態で太ももに頬杖をつき、オズワルドが微笑む。


「人間の姿と猫の姿を使い分けられるっていいよねぇ。僕にもそのやり方、教えてよ」


「…………」


 率直に言って気持ちが悪い。人型としての側面と、獣型としての側面。その両方を持つ彼女のどちらの側面もが抱いた感情がそれであった。

 そうミーシャに警戒されていることを知ってか知らずが、オズワルドはつまらなそうに口を尖らせる。


「うーん、なんかずっと反応が薄いなぁ。よかったらついでに君たちの目的とかも教えてもらおうと思ったんだけれど。お喋りする気がないなら別にいいや。さっきは先生のこと痛めつけてくれていたみたいだし、アレクシス風に言うなら現行犯逮捕〜ってことで」


 ミーシャの瞳に映るその男の顔は――エメラルドグリーンに輝くその瞳の目元は、笑ってはいなかった。


「――ッアギャ!?」


 突然、ミーシャの右腕に焼けるような痛みが走る。何ごとかと思い自分の腕へと目を向ければ――彼女の右腕は、肩から先が綺麗さっぱりと無くなっていた。

 理解できない状況に揺れるミーシャの瞳は、地べたへと転がる自身の右腕だったものを見て恐怖と動揺の色に染め上げられていく。


「ははっ、いい反応だねぇ。それじゃあ反対もいってみようか」


 そう言って笑うオズワルドの声は、つい先ほどまでミーシャに対して一方的に話しかけていた時とそう変わりはない。


 という嫌な予感のする言葉を聞いて、ミーシャの視線は男の元へと向けられる。

 彼女の動体視力においてわずかながらに確認することができたのは、オズワルドの背後になる場所から半透明のなにかが飛んできたということくらいで。それが回転する風の輪であることに気がつくこともできないまま、ミーシャの左腕は宙へと舞った。


「――ギィ!? アァ、アン、タなん、して――ぐむっ!?」


 痛みと混乱で叫び声をあげようとするミーシャの口内に、オズワルドの右手が突っこまれる。

 彼は冷めたような視線で彼女を見つめていた。牙が皮膚に突き刺さるのにもかまわず、非難するように、軽蔑けいべつするように。


「ちょっとやめてよ。君が変に大声だして、先生が戻ってきたりたしらどうするのさ」


 それは理不尽で実に自分勝手な要求であった。


「彼といっしょに行動するうえで、僕は先生の前では少しおっちょこちょいで頼りになる、優れたお兄さん的な上司でいたいんだ。こんなところ見られたりでもしたら、僕のイメージはガタ落ちだろう?」


 どの口がそんなことを言うのか。

 恐らくこの場にダリルがいれば。彼は呆れた表情で「多分サクラバさん、そんなことは微塵みじんも思ってないと思いますよ」くらいの返答でもしたであろう。

 しかし、この場にはオズワルドとミーシャの二人しかいないのであって。彼の言葉に対して軽口を返す相手も、止めに入るような相手も存在はしなかった。


 そうこうしている間にも、一方的な暴力を与えられたミーシャの命の灯火ともしびは消える寸前まできていた。

 致死量にあたる血液の欠如と、息苦しさから来る酸素不足。死因がそのどちらが決め手となったのかは彼女自身にも分からない。

 ただ一つ分かることは、彼女の心の中に自身に屈辱くつじょくを与えた目の前の男に対する復讐心が芽生えたことだけであった。


 ――この男。は、次は絶対に。その喉笛を噛みちぎって……殺してやる。


 そうしてミーシャの意識は闇の中へといざなわれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る