鉄格子を抜け出せ

 それまではずっと桜庭とクロードのやりとりを見ていただけのサンディ。

 しかし彼は怯えた表情を自分の中へと押しこめると、一転して挑戦的な視線をクロードへと向けた。


「それじゃあ、宝探しゲームってのはどうだ? クロード」


「宝探しゲーム……ってなに?」


 クロードの興味が桜庭からサンディへとうつされる。

 その証拠に彼の犬耳はピクリと動いてはサンディの声に耳をかたむけはじめ、未知の遊びに対する期待の眼差しが向けられた。


 自分が注目を受けたことを確認すると、サンディは上着のポケットからなにかを取りだす。

 それは茶色く細長い物体のようで、枝かと思えば質感はそうではない。


 桜庭は見せつけるようにその物体を揺らすサンディの動向を見守っていたが、掲げられたものの正体にいち早く気がついたクロードは瞳を輝かせて大声をあげた。


「干し肉だ!」


 その言葉の通り、サンディが取りだしたのは桜庭の世界でもポピュラーなおつまみの定番品、干し肉――言いかえればジャーキーであった。


 オズワルドなんかは「干し肉だなんて、なんか野蛮じゃない?」などと言って食べようとはしない食べ物。

 しかしダリルが煙草の吸えない事務所の中で、代わりに口にくわえながらゲームをしている光景は日常的に桜庭も見ている。


 それは人間だけでなく動物も食べられるペット用のものも存在しており、クロードのこの反応を見るかぎりは――


「干し肉って、なんでポケットからそんなものが出てくるんだよ」


「うるさい! ここでの食事なんて、コイツらの飯の余り物くらいしかないんだよ! そんな粗末な食事も喉を通らないくらいに落ちこんでいた私の身も考えてみろ!」


 よほどその食事内容に納得がいかなかったのだろう。

 当たり前のように聞いた桜庭の質問にサンディは顔を赤くしながらまくしたてる。が、一転して彼はごほんと咳払いをすると、手にした干し肉を左右に振りはじめた。


「いいか。今から私とコイツで後ろ手にこの干し肉を隠す。お前はどっちが持っているかを当てるんだ。見事当てられたらこれを渡してやろう」


「やるやる! 僕の嗅覚をなめないでよね!」


「そうか。なら……」


 クロードの目が揺れる干し肉を追いかけているのを確認したサンディは、そこであろうことか目の前のマジュウを手招きしはじめた。


「牢の中まで入ってこい、クロード。お前のその手じゃ格子をすり抜けることはできないし、私たちも腕を出して丸々ガブリは避けたいからな」


「分かったぁ」


 疑う様子もなくクロードはうなづくと、自分の姿を灰色の大型犬へと変えて格子の隙間をくぐり抜ける。

 どうやら彼もミーシャと同じく人型と獣型を使い分けることができるマジュウらしい。


 そして彼はまた人間の姿へと戻ると、興奮したようにバタバタと尻尾を振ってゲームの開始を待ちはじめた。

 それを見たサンディはニヤリと口角を上げる。


「よし、いい子だ。それじゃあ隠すからな……おい、お前も後ろに手をだせ」


「ん、あぁ……こうでいいか?」


「それでいい。お前は余計なことをするなよ。……ゲーム開始だ」


 桜庭にも自分と同じように両手を後ろに回させたサンディは、鼻歌を歌いながらまるで桜庭と干し肉の押しつけあいをしているかのようにクロードに見せつける。

 しかしその実、干し肉はサンディの手からは一回たりとも動いてはいなかった。


 彼は鼻歌を歌い終えると何食わぬ顔でクロードへと問いかける。


「さぁ、クロード。お前のお目当ての干し肉はどっちだ?」


「ふふん、僕をなめないでって言ったよね。答えはサンディ、君だ!」


 自信満々のクロードが肉球のついた巨大な右手をサンディに向ける。

 サンディは口で正解音を鳴らしたかと思うと、干し肉を持った手を前に出して広げた。


「正解だ! よく分かったなぁ。お前なかなかに名犬になれるんじゃないか?」


「ねぇねぇ、そんなことはいいから早くそれちょうだいよ!」


「もちろん分かってるよ。それじゃあ名犬クロード……いい子でこれを取ってこい!」


 ちぎれんばかりに尻尾を振るクロードの瞳は、すでに目の前の餌にしか向けられてはいなかった。

 その目はもちろん、突然大きく振りかぶって干し肉を格子の外側へと投げたサンディの行動すらとらえていたようで、彼の瞳は宙を舞う乾いた肉の塊に釘づけになる。


 そしてその塊が外の廊下へと落ちると、クロードは本能のままに獲物に向かって駆けだした。

 しかし牢の中へといた彼は、すぐに目の前の格子によってその行動を阻まれてしまう。

 一度犬に変身してしまえばそんな障害などあってないようなものではあったが、そんなことをしている余裕すらも今のクロードにはなかった。


「もう、これ邪魔!」


 彼の異形の両の手は圧倒的な力で鉄格子を左右に割ると、そこに人一人が通れるような空間を作りだす。

 それは、まさに絶好のチャンスであった。


「サンディ、これは……!」


「ああ、行くぞ!」


 桜庭の呼びかけにサンディはうなづくと、二人はクロードに続いて牢の外へと飛びだした。

 廊下に出て左側には行き止まり、右側には先ほどミーシャの出ていった扉。彼らの向かうべき方向は決まっていた。


「こっちだサンディ!」


「ッ! わ、私を置いていくなぁ!」


 桜庭は迷わず右側へと走りだすと、少し遅れてサンディがその後を追いはじめる。――だが、そんな彼らを番犬はやすやすと逃がそうとはしなかった。


「あぁ! ちょっと勝手に逃げたらダメだってばぁ!」


 干し肉で気をそらされていたクロードが二人の脱走に気がつき扉の方へと振り返る。

 一度干し肉を置いて四足歩行で走りだした彼は、人間では考えられないようなスピードで二人の元へと迫っていた。


 ――このままじゃ追いつかれる!


 外へと繋がる扉はもう目と鼻の先。だが、それよりも先にあの異形の手によって桜庭たちの身体が潰されてしまう方が早いだろう。


 桜庭は一か八かの賭けにでることにした。


「クロード!」


 彼は扉の前で急に立ち止まると、くるりと振り返り追跡者の名を呼ぶ。

 そしてなにをしているんだと言いたげなサンディが自分の横をすり抜けた瞬間――桜庭は迫りくるクロードに向けて声を張りあげた。


 ――彼が本当に、利口な犬なんだとしたら……!


だ!」


 桜庭の発したたった三文字の言葉は、この牢の並ぶ特異な空間の中では十分すぎるほどに響きわたった。

 それとともに迫っていた足音がピタリと止まる。


「……酷いよ。待てって言われたら待っちゃうじゃないか……」


 足を止め、行儀よく地面に尻を着いた姿のクロードがそこにはあった。

 耳を畳んでうなだれる彼は、すっかり動くことはなく尻尾をペタンと床に置いてしまっている。


 その姿を見て桜庭の中の良心が少し痛んだが、それでも彼は心を鬼にしてサンディへと振り返る。


「行こう、サンディ!」


「お前……よくもあんな思いつきで切り抜けたもんだな」


「そっちだって同じようなもんだろ。とりあえずここを出るぞ!」


 桜庭が重い鉄の扉を押す。

 ついにこの空間を抜けだすことができるという希望。――しかし、その扉の隙間から射しこむはずの太陽の光は二人の目に映ることはなかった。


 扉を開いた先――埃っぽくも感じるその場所は、四方が石でできたどこかの建物の地下通路のようであった。

 壁に設置された蝋燭の灯りは弱々しく、肌寒く薄暗い空気は不気味ささえを感じさせる。


「……まだ、逃げ続けないといけないみたいだな」


 桜庭は遥か先に見える上階へと続く階段を見すえながらポツリと呟いた。

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