それを人はボール遊びとは言わない

「なぁクロード。君……ボール遊びは好きか?」


 それはかなり唐突な提案だった。

 この薄ら暗くて寒い牢の中にはにあわない言葉。つい先ほど、自分がこれから売られるという現実を突きつけられた人間から発せられるような言葉ではなかった。


「おいおい、突然なに聞いてんだお前」


「しっ。サンディは少し黙っていてくれ」


 突然おかしなことを言いはじめた桜庭に、サンディがこそこそと耳打ちで尋ねる。

 しかしそんな彼とは反対に、桜庭の質問を聞いたクロードは嬉しそうにへにょりと顔をほころばせた。


「大好きだよぉ! ボールも、フリスビーも、枝を投げてもらうのだってだぁい好き!」


「そうかそうか。じゃあ、俺とよかったらボール遊びでもしないか?」


「やりたいやりたい! 最近はご主人様とも全然遊べてなかったから嬉しいなぁ。……でも、なんで?」


 思ったよりも彼のくいつきはよく、今までしおれていたクロードの犬耳がピコンと立ちあがった。

 それと同時に彼の尻尾もちぎれんばかりに左右に揺れだし、その姿は人懐っこい大型犬を想像させる。


 ――このまま彼を手懐てなづけることができれば、ここを開けてもらえるかもしれない。


 興味さえもってもらえれば、後は口からのでまかせでいくらでも言いくるめることはできる。


 桜庭は眉尻を下げて悲しげな表情を作ると、目の前のマジュウを騙しにかかる。そういった表情の作り方は身近にいる上手な二人のことを思いだせば、普段やらない桜庭でもある程度は再現することができた。


「なんでって……。どうせ俺なんてもう少しで知らない金持ちの家に売り飛ばされるんだ。最後に楽しい思い出くらい作ったっていいだろう?」


「そっかぁ。確かに君、可哀想だもんねぇ。ちょっと待ってて、ボール探してくる」


 彼の素直な『可哀想』という言葉がズキリと胸に刺さるが、桜庭は表情をたもちながら「ありがとう」と礼をのべる。

 クロードの言葉自体に悪気はないため、純粋な哀れみの言葉はじゅうぶんに彼の心を抉っていた。


 その場を離れたクロードは、扉の開閉する音が聞こえないことから推測するに付近の牢をウロウロしているらしい。

 少しして戻ってきた彼は潰さないように両手でなにかを包んでいた。


「本当は僕のおもちゃ箱にボールがあるんだけど、ミーシャにここを見張ってるように言われちゃったからさ。その辺からボールのかわりになるもの持ってきたんだぁ」


 そう言ってクロードが投げたものが桜庭とサンディの目の前にべチョリと音を立てて落下する。

 それを見たサンディは短い叫び声をあげたかと思うと、飛びあがって桜庭の後ろへと身を隠した。


「えへへ、それミーシャが食べ残したネズミさん。元々はマホウツカイだったんだけれど、ご主人様がいない間に我慢できなくて齧っちゃったんだって」


 のんびりとした調子でそう言うクロードであったが、その言葉の意味は不穏でしかない。


 ついさっき桜庭がサンディに聞いた、例のご主人様と呼ばれる人物が初めからマホウツカイを動物に変化させなかった理由。その答えがこのネズミの死骸であった。

 ミーシャの言っていた食べてしまう、骨を砕くという表現は何の比喩ひゆ表現でもなくそのままの意味であったのだ。


 牙で噛まれたような痕がつき、すでに絶命しているネズミが元はマホウツカイであった――人間であったという事実に桜庭は吐き気を覚えるが、それをなんとか堪えて死骸の尻尾の先をつまんでクロードに返却する。


「さ、探してきてくれたところ悪いけど、さすがにこれじゃあ弾まないし楽しくないだろう。別の遊びをしようか」


「そっかぁ残念。じゃあなにして遊ぶ?」


「うーん、そうだな……」


 再びクロードの耳がぺしょんと下を向く。

 現実世界でもペットを飼った経験のない桜庭にとって、それ以外にメジャーな遊びがどんなものなのかは想像がつかない。ましてや、それが自分とは常識のちがうマジュウ相手ならばなおさらだ。


 クロードの言葉をそのまま受けとるのであれば、彼はフリスビーや枝を投げることも好きと桜庭に伝えている。

 しかし今のネズミの一件を見るにそれらは同じようなやりとりを繰り返すだけになるだろう。


 ――これならなにかペットでも飼っておくんだったな。


 そういえば最後に現実に戻ったのはいつだったか。そもそも自分は無事にオズワルドやダリルの元へと帰ることはできるのだろうか。そんな不安とともに焦りがつのる。


 しかしそんな彼に助け舟をだしたのは、桜庭の後ろで隠れながら静観を決めこんでいた男だった。

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