共食いの女王蜂

《サントルヴィル――閑散とした街の中心》


 ダリルが敵の注目を集めていたその頃。

 先に街のさらに中心へと移動していたアレクシスは、次々と敵の間を縫うように飛び回り、害虫怪物駆除をつづけていた。

 目にも止まらぬ速さで飛行する彼は、ダリルから奪った剣を使って蜂人間たちの身体を貫いていく。

 ダリルの扱っていた槍とは違って、アレクシスの扱っていた剣は硬い蜂人間の身体を切りつけ、傷つけるには不便ではあった。しかし、槍と同じように貫くことはできる。

 本来は貫くことさえも、人並みの力では難しいことなのだが……彼の人間離れした、音速のごときスピードがそれを可能にしていた。


「チッ。あのマジュウ……一体何人刺したっていうんだ?倒したとしても次から次にわいてくるぞ」


 そうボヤく間にもアレクシスは何体もの蜂人間を剣で貫いていくが、一向に終わりは見えない。

 この無限にも思える状況に、彼の脳裏には後輩とともに置いてきたセリーナの顔が思い浮かんでいた。


 ――セリーナをオーウェンにいつまでも任せるわけにもいかん。あの女ならオーウェンの制止を振り切ってでも俺のところまで来かねないしな……。収束した後ならいいが、今はさすがに守りきれるかも――


「ッ!?」


 アレクシスが次の怪物に飛びかかろうとした、まさにその時。

 なんということかな。突然、彼の手の中の剣が光となり、空中に溶けて消えたではないか。

 それは同時刻でダリルが槍の雨を降らせ、力を使い切った時と同じで。それを知るはずもない彼は、敵の眼前で予定を変更して、怪物の頭に横から回し蹴りを入れる。

 目にも止まらないスピードで繰りだされた蹴りに、蜂人間の頭はボールのごとく宙へと弾け飛んだ。


「くそっ! あの男……俺のことを殺す気か?」


 さすがに悪態のひとつもでるだろう。

 地上に降りたって辺りを見渡せば、どうやら逃げ遅れていた市民は避難が完了したらしい。

 蜂人間と被害にあった人間の死体以外にめぼしいものはなく、ここらに残っている怪物はあとわずか。

 だが、いくら数を減らしたところで、根本的な解決にはいたっていないのだということはアレクシスにも分かっていた。


「原因となったマジュウを探せば拡大は止まるだろうが。さすがにどこに行ったかまでは検討がつかないな……ん?」


 すると。

 ふと血の臭いが漂う中に甘い――蜂蜜のような匂いが混ざっていることに気がつき、アレクシスはキョロキョロと周囲を見回す。

 どうやらその匂いは風に乗ってきているようで、常であれば気にするほどのことではないのだが……導かれるように、彼は匂いの元へ向けて歩きはじめた。


 ――たしかこの匂い、はじめにあの化け物を見た時にも……


 なんとなく、嫌な予感がする。

 遠くはない。匂いは道路に並ぶビルの合間から流れているのか、そちらに近づくほどに匂いが強くなっていく。

 しかし。不可解なのは、そこへ行くまでの間に、彼が倒したはずの蜂人間の姿がことごとく消えているということだった。

 血溜まりのようなものが残っているため、ここに死骸があったことは間違いない。だが――肝心の死骸が残っていないのだ。

 もう誰かが片付けたとはとても思えない。

 なにか、おかしい。


 ――匂いの元凶は……ここからか。


 よく磨かれたガラス張りのビル。

 もう一人の自分の姿が鮮明に映るミラーガラスの前で、より色濃くなる甘い蜜の匂い。

 ビルの陰に身を隠しつつ路地をのぞきこんだアレクシスは、その先に広がる思ってもみなかった光景を前に、反射的に眉間に皺を寄せた。


 ――まさかアイツ……仲間を食っているのか……?


 アレクシスのその考えは比喩でもなんでもない、そのままの事実を語っていた。

 おぞましき光景。彼が目を向けた路地の先では、今まさに。一体の蜂人間が、同じ蜂人間の死骸を頭からむさぼり食っていたのだ。

 むしゃむしゃと。まるでハンバーガーに齧りつこうとする人間がごとく、むしゃむしゃと。器用に手と顎を使い噛み砕いていく。

 もしかしたらセリーナも、あと一瞬助けるのが遅ければあのように食われていたのではないか。そう考えるだけでもゾッとする。


『ギ、ギィ……』


 邪魔はされたくないのだろう。

 蜂人間は辺りを警戒しているのか、食事をする間も忙しなく複眼をもって周囲の様子をうかがっていた。

 だが。


 ――なるほど。突然変異種……的なものか。


 その怪物の眼は、他の蜂人間たちとはちがい、人間の瞳の集合体がごとくグロテスク。

 一つ一つに意識があるかのように、ギョロリギョロリとそれぞれ別の方向へと視線は向けられていた。

 昆虫としての可愛げすら消え失せた未知なる怪物に、おのずとアレクシスの内に嫌悪感がわきあがる。


 ――少し見た目が違うようだが……変わっているのはあの目玉ぐらいだな。


 あの蜂人間とアレクシスとの直線距離は三十メートルもない。

 今ここから飛んでいけば、あの怪物に気がつかれることなく頭を蹴り飛ばすくらいのことはできるだろう。


 ――なんのために共食いなぞしているかは知らんが、意味もなくしているとも思えない。厄介なことになる前に、先手をとらせてもらうか。


 アレクシスの瞳が空色に染まる。

 そして彼が両翼を広げようとした、まさにその瞬間。


「ちょっと! アンタこんな所でなに道草くってるんですか!」


「ッ、貴様……なんでこのタイミングで」


「タイミング?」


 これをタイミングが悪いと言わず、なんと言うのか。

 非難するように大声をあげて、アレクシスの肩に手を置いたのは他でもない。ダリルであった。

 どうやらアレクシスを探していたらしい彼は、目当ての人物が見つかったことに安堵する一方、アレクシスの反応がおかしいことに気がついたようで。

 路地の先を覗いてみれば、その理由はすぐに分かった。


「うわ、なんですかアレ。あんなの覗き見してたなんて、悪趣味ですねぇ」


 そう軽口を叩いたとしても、これがとても笑えるような光景でないことはダリルも分かっている。

 もちろん二人が声をあげたことで、食事中だった蜂人間も彼らの存在に気がついたらしい。


『ギ、ァ、ギィ……?』


 怪物は食事を中断して立ちあがると、ギョロリとした無数の瞳をダリルとアレクシスへと向ける。

 そして。もう一度、金属板を引っ掻いたかのような耳障りな不快音鳴き声が、ビルの合間に反響した。


「チッ。ハニーボール、貴様が余計なことをするからだぞ……」


「いや、知りませんよ。そんなこと言われても。というかなんですかあの目ん玉。気持ち悪っ!」


 さすがにダリルも顔を引きつらせて、そう感想を述べるしかない。


「気味は悪いが、見た目が変わっているだけのことだ。他の化け物と同じように、頭ごと蹴り飛ばしてやれば――ん?」


 そこまで話していて、突然アレクシスがピクリと眉を上げた。

 不自然。

 そのまま他の蜂人間同様、敵が考えなしに突撃してくるだけならばどうとでも対処はできた。できたのだが……その怪物の行動は、どこかおかしかった。

 二人を凝視したままの蜂人間は、襲ってくるわけでもなく。ただ。その場を動かず、静かに仁王立ちで停止していた。


 ――なんだ。動かないのならば、こちらとしても好都合なんだが……


 アレクシスが一歩踏みだす。

 しかし。それを計ったようにして。

 とつじょとして蜂人間は身体をガタガタとか震わせたかと思えば――なんということか。その大きな背中に生やした四枚のはねの下から、さらに四枚のはねを生やしたではないか。


「は?」


 突然身体を変化させた怪物を前に、ダリルはポカンと口を開ける。

 さらに濃厚になる密の匂い。

 この時、はすでに動きだしていた。


「まずい」


 ――あの化け物、成長している……!


 アレクシスが地面を蹴りあげ、今度こそ翼を広げて蜂人間の元へと飛びたつ。

 通常ならば視覚でとらえることは不可能に近い彼の速度。だが――


「ッ!」


 そんな彼の目が、怪物の瞳の集合体複眼とカチリと視線が合致した。

 たまたま合ったわけではない。確実に、こちらの速さに目が追いついている。

 背筋がゾワリとあわ立つ感覚を振り払い、アレクシスは敵の頭ごと蹴り飛ばそうと空中で回転蹴りを放った。

 しかし。寸分の狂いもなく放たれたその蹴りは、それよりも速いスピードで脚をわし掴まれたことで阻まれてしまったのだ。


「コイツ……!」

 

 勢いを殺さずにグルグルと振り回されたアレクシスは、そのままビルの壁へと叩きつけられ、ガラス張りの壁が粉々になるとともに室内へと投げ飛ばされる。

 避難していた人々のものだろう。建物の中から聞こえる悲鳴。

 事態が悪い方向へと傾きはじめたということは、誰の目から見ても明白な事実であった。


「おいおい、マジかよ……」


 アレクシスが蜂人間に飛びかかり、投げ飛ばされるまで。それは常人よりも少し動体視力がいいだけのダリルにとっては、一瞬の出来事。


 ――もしかしてコレ、そうとうマズイんじゃないか?


 アレクシスがどうなっているのかは分からない。

 助けにいきたいのはやまやまだが、ダリルが向かったことで蜂人間の意識が完全にビルの中へと向けられることは避けなければならない。あのビルの中には、まだたくさんの人がいるのだ。


 ――まだ本調子じゃないが、こっちで引きつけるしかないってことか……!


 ダリルが前方へと視線を戻す。


「――あ」


『ギギ、ギ』


 しかし気づくのが遅かった。

 彼の目の前には、すでに例の蜂人間が立ち塞がっていたのだ。


「えーっと……同一人物……です……よね……?」


 思わずそう問いかけるのも無理はないだろう。

 まさに進化ともいうべき、異形の姿。怪物の姿はさらに変化を重ねていた。

 より強靭きょうじんに発達した顎からは、金属が擦れるような聞き苦しい鳴き声を常に発しており、聞く者の頭を痛ませる。

 身長、肩幅、そもそもの骨格からして一回り大きくなった身体は他の怪物に比べてもかなりの成長を遂げていることがひと目で分かるだろう。

 そして手にした槍のような得物も、他の蜂人間とは違って円錐えんすい状のズシリとした重さを感じさせる鈍色をしており――ダリルの目の前で、怪物は容赦なくそれを振りあげた。


「ははっ…………っていうには少し屈強すぎません? アンタ。いいトレーニングがあるなら僕にも教えてくださいよ」


 軽口を叩いてはみるものの、ダリルとて相手に意味が伝わっているなどとは毛先ほども思っていない。

 理由を問われれば、だって。あきらかに話を聞くような相手に見えやしないだろう。


『ギギ、ァ、ギ……ァア!』


「ッ!」


 回避しようにも、相手のリーチの方が長かった。

 言葉すら理解を示さない『女王蜂』は、 振り上げた槍を大きく振りかぶると――ためらうことなく横へとなぎはらい、ダリルの身体を弾き飛ばす。

 予想どおりの、息を吸うことすらままならない衝撃。だが。


「――ッ、ぁあ、クソッ!」


 ――ただやられてたまるかよ!


 吹っ飛ばされる経験ならば、もうフォイユ村の一件で経験済みである。

 直撃する寸前に身体をひねったことで、背中はしたたかに打ったが、内臓ごと持っていかれることはどうにか避けられたらしい。

 女王蜂よりも小さなダリルの身体は軽々と飛ばされたが、以前のように意識を飛ばすことはない。

 むしろこれを敵に隙が生じる好機とみなし、刺し違える覚悟で彼は攻勢へとでたのだ。


 ――今造れるのはせいぜいこのぐらいだが……!


 飛ばされる間際にダリルは空中に三本のナイフを生成し、女王蜂へと次々に発射する。

 もちろんただ考えなしに撃ちだしたわけではない。目的はナイフに塗った毒で敵の動きを止めること……時間稼ぎをするためである。


 ――コイツの速さはあの警察官サマのおかげでお墨つきってわけだ。正面から正々堂々なんて僕には無茶すぎる。せめて体力が回復するまで、これで動きを鈍らせることができれば……


 効果はアーロンのおかげで立証済み。

 人間であっても一瞬で麻痺させることのできる毒だ。わずかでも傷さえつけば――


『……ギ』


 硬い、金属のぶつかる音。

 ダリルの思いついた作戦は、結果からいえば失敗であった。

 繰りだされた三本のナイフは、たしかに女王蜂の隙をついて当てることに成功している。だが……傷をつけるまでにはいたらなかった。

 岩のように硬い身体に弾かれたナイフはカラカラとアスファルトの上へと転がり、同じように飛ばされたダリルの身体も重力に引かれて地面へと落下する。

 彼はうめき声をあげながらノロノロと上体を起こすと、口内に入った砂を忌々しげに吐きだした。


「いってぇ……。やっぱりナイフじゃ当てても意味ないか。でももう少し回復してからじゃないと、あの硬い身体を貫くほどの武器は造れないぞ……」


 ダリルは立ちあがると、かろうじて手元に槍を一本生成する。

 もちろん、ここからの作戦などなにも考えてはいない。

 辺りに漂う強い蜜の匂いに、鼻の奥が痛くなるのを感じながら、再び彼は槍を構えた。

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