異変、牙を剥き。対話の余地なく襲いくる

《数分後》


 どれほど歩いただろうか。

 ダリルを先頭にした三人は、森の奥深くへ向けて一歩一歩着実に足を進めていた。

 鬱蒼うっそうと茂った森の中は外から見た時よりもずいぶん広く感じられるが、人が通るための道が整備されており、桜庭が想像していたよりもだいぶ歩きやすい。


「それにしても私、森の中までやってきたのはかなり久しぶりかも。昔見たよりも……なんだが少し不気味に感じるわ」


「たしかにエマの言うとおり、薄暗くて少し不気味かもしれないな。とりあえずは御神木まで向かいたいけれど、このまままっすぐでいいのかな?」


「ええ。御神木までの道はこのままで大丈夫。小さい頃、お父さんによく抱えられて向かった記憶があるから合ってるはずよ」


 桜庭とエマはダリルから離れないようにしつつも辺りを注意深く見回す。

 しかし今三人が歩いている道を進むことで御神木へとたどり着くことができるのであれば、ますます人が消えてしまった理由が分からなくなる。

 それこそ、怪物なんてものでもいなければ。


「なぁ、エマ。もしも気を悪くしたら答えなくてもいいんだが……エマのお父さんは御神木の様子を見に行ったきり、戻ってこなくなったんだよな? なんで様子なんて見に行ったんだ?」


「……マホウを使うためよ。私のお父さんは、マホウで植物を成長させたり、元気にしたりすることができるの。私が咲かせた村のお花たちも、お父さんが丈夫に育ててくれたからずっと綺麗に咲いているのよ。もちろん、それだけじゃなくて村の人たちがちゃんとお世話しているからってのもあるけどね」


 エマの言葉に、桜庭は村に咲く花々の様子について合点がいったようにうなづく。


「なるほど。だから人のたくさん通るような道端でもしおれずに咲いているのか……。ということは、御神木にマホウをかけにいくっていうのも」


「ええ。あの木はもう数千年もこの地に根を張っているのだけれど、どうも最近元気がないみたいで……。それでお父さんが様子を見に行くことになったの」


 それが理由であるならば、目的地は桜庭たちと同じ御神木。ますます御神木の存在が怪しいものとなっていく。


「木が元気ないなんて……分かるのか?」


「私とお父さんは植物に関係するマホウツカイだから、なんとなく植物の気持ちが分かるのよ。森を眺めていたら、御神木が元気ないっていうのも分かったみたい」


 エマが上を見上げる。

 空まで高く伸びた木々の青々とした枝葉にさえぎられ、辛うじて陽の光が差しこむ程度にしか外の様子は分からない。

 だが――それは外側だけではなく、内側も同じで。


「ねぇ、エマ。話をさえぎるようで悪いんですけど、ここまで歩いていて……動物はおろか、鳥や虫すら一匹も見かけていないんですけど。ここっていつもこうなんです?」


 ふいに、これまで黙って辺りに注意をはらっていたダリルがエマに問いかけた。


「いいえ。言われてみればたしかに……。この森、普段はあちこちで鳥さんが歌っているはずなんだけど……今はどこにもいない」


 どうやら彼女も異変に気がついたらしい。

 今までは桜庭とエマが話していたおかげで賑やかではあったが……むしろそれ以外に音がしない。自分たちの声と、足音。それ以外に聞こえるものがないのである。


「鳥どころか虫もいないなんておかしくないか? そんなんで生態系が成り立つはずがない。本当に草と木しかないなんてありえないだろ」


「サクラバさんもそう思います? そうなんですよねぇ。どうも僕、嫌な予感が――ッ!」


 そう言いかけたダリルが、振り返りざまに桜庭の腕を思い切り引いた。

 もちろん驚かせようだとか、意地悪してやろうだとか、そんな理由ではない。


 ――索敵範囲になにか入りやがった!


 それはあまりにも突然の、予想だにしていなかった刺客であった。

 ダリルが桜庭の腕を引いた直後に、彼のいた場所に頭上から細長い緑色のなにかが現れる。


 ――なんだ、アレ……蛇、か?


 ダリルの考えのとおり、見た目はまるで蛇。だが、それにしてはあまりにも長すぎる。

 柔軟性があり、大人の腕ほどの太さのあるその『なにか』は、巻きつくような動作で空気を掴み絞めあげようと試みる。

 しかし目当てのものが見つからなかったのか、『なにか』は辺りを探るような動きをした後に、ゆっくりと幹を伝って木々の隙間へと戻っていった。


「いてて……どうしたんだダリル。デカい蜂でもいたか? それならもう少し穏便に教えて――」


 なにが起こったか分からず、ダリルに引っ張られるがままに地面へと倒れ伏した桜庭。

 しかし彼は起き上がった先に広がっていた光景に、自分の目を疑った。


「おいおい……これはちょっと多くないか……?」


 枝に巻きつきシュルシュルと移動する、一見蛇のように見えるそこら中で蠢くそれ――『なにか』の正体は、全てが植物のツタであった。

 それらは昨晩オズワルドの足に巻きついたものと同じものではあるが、そんなことを知るよしもない三人は未知の敵に警戒せざるをえない。


「げぇ……エマ。こういうのがいるってんなら、先に言ってもらわないと困るんですけど」


「わ、私は知らないわよこんなの!」


 エマが身を小さくしてダリルの背中に隠れる。


「とりあえず二人共僕の近くから離れないでくださいねぇ。間違えて刺したりして怪我でもされたら、僕も道連れにされかねないので」


「離れるわけがないじゃない! でもこれ、なに……? 今までこんなものは――ダリルさん、上!」


「ッ!」


 エマの声にダリルが顔を上げる。

 頭上で蠢く無数のツタ――その中から伸びた一つが、彼めがけて襲いかかってきていたのだ。


「なるほど。消えた奴らはコイツらに襲われたってわけか……!」


 すかさず、マホウの発動。

 空中に生成したナイフを相手に向けて飛ばせば、ブツリという音を立ててツタが途中で切断され、地面へと落下する。

 落ちたツタが再び動く様子はない。しかし――あまりにも敵の数が多すぎた。

 一つの個体がやられたことを皮切りに、辺りで様子をうかがっていた他のツタが一斉にダリルたちに向けて伸びはじめたのだ。


「くそ、なんだコイツら! サクラバさん、エマ! 周りは気にしなくていいから、とりあえず走って!」


「わ、分かった! 行くぞ、エマ!」


「ええ!」


 退路をふさぎ迫りくるツタの襲撃に、ダリルが叫び、三人は前へと走りだす。

 同速かそれ以上で追いかけてくる、無数の追跡者。

 足や腕へと絡みついてくる個体にはダリルがナイフを飛ばし、切り落とし続けることでどうにか逃げることができていた。


 ――こんなのキリがない。サクラバさんやエマも遅れてきてるし……倒すにしても、それこそ森を焼くレベルでもなきゃあ沈静化なんて無理だぞ!


 走るにしても限度があり、三人のペースが落ちてくるとともにダリルが飛ばすナイフの本数は増えていく。

 なにもマホウとて、その名の通り便利な魔法というわけではないのだ。使用すればその分体力は消耗し、目に見えて疲れが溜まっていく。

 そのため、散漫になった注意力は敵の接近を許し――ついに、そのうちの一本がエマの足を捕らえた。


「きゃっ!」


「エマ!」


 視界の端から急に消えたエマに気がつき、同時に叫んだ桜庭とダリルが振り返る。


「え……な、に……?」


 そこではツタに片足を捕らえられたエマが、宙吊りの状態となって空中へと吊り上げられていた。

 高さはすでに六メートルほどだろうか。

 仮にあの高さから放り投げられるにしろ、叩きつけられるにしろ。頭から地面へと落下してしまえば怪我どころの話ではない。


「あ……やだ……高いよ……。ダリルさん……サクラバさん……!」


 一瞬自分の状況が理解できなかったエマが、少し遅れてから逆さに見える桜庭とダリルに気がつき声をもらす。

 こんな時、どうすることが正解なのか。

 ダリルが息をのみ、瞳に焦りの色を浮かべて空中へナイフを生成する。


「エマ、そこを動かないで! 今それを切って――」


「待てってダリル! 冷静になれ。今あれを切ったりしたらそれこそ真っ逆さまだ。どうにか彼女を地上へ降ろす方法を探さないと」


「そう言われましても……どう考えても、交渉して人の話を聞くようなものには見えませんよねぇ。アレ」


 頭上から地上にかけて蠢く無数のツタは、視界に入れようとせずともその数の多さが嫌でも目に入る。

 オズワルドのように風を操り、エマの落下を阻止できようものならばいざ知らず。ただ凶器を弾き飛ばすだけのダリルでは、エマを助けるような手立てなど見つからないにも等しい。


 ――なにか受け止められるもの……造れるか? いや、そんな確証もない一か八かの博打になんて賭けられない。


 時間はない。


 ――どうすればいい。時間はないんだ。早く。早く早く早く……早くどうにかしないと。そうじゃないと――


はまた、誰も守ることができないのか……?」


 呆然と、絞りだすような声でダリルが呟く。

 しかしそんな彼の焦りを知るはずもなく、無慈悲にもエマに絡んだツタがゆっくりと振りかぶる。

 まだ、話のできる相手ならよかっただろう。時間稼ぎのできる相手なら、もっとよかっただろう。だが……ここにいるのは、話も意思も通じないただの植物。

 絶望的な、すべもない状況に二人が目を見開く。


「や、やだ! やだよ……たすけて」


 その絶望はエマにも伝わっていた。

 自分が死ぬかもしれないという恐怖に、彼女はギュッと目をつむる。

 まぶたを閉じた先の闇の中。死の直前に思い浮かぶのは――


「たすけて……お父さん……!」


 地上の桜庭やダリルにも聞こえない、消え入るような声。

 誰も彼女の声を聞き届けるような人間はいない。

 そして、大きく振りかぶったツタが反動で彼女を地面に叩きつけようと加速をはじめた。 ――が。


「あ……れ……?」


 ピタリ、と。ツタは突然、空中で動きを止めた。

 理由など分からない。ただ、それらは急に敵意をなくしたかのように木々の合間へと引っこんでいき、エマを掴んでいたツタも例に漏れず、興味を失ったのかパッと彼女の足を解放したのだ。

 もちろん、そんなことをされれば困るのはエマ本人であって。


「ちょっ、嫌ぁ!」


「ッ!」


 先ほどよりも勢いはなくなったが、それでも地上との高低差はじゅうぶんにある。

 気がつけば、マホウもそれに代わる考えも関係なく、ダリルの足は自分の意思とは関係なしに動きだしていた。

 真っ逆さまに落ちてくるエマの元へと、弾かれたように駆けつけた彼は――ドスン、と。そのまま華麗にキャッチすることなんてできずに、まんまと彼女の下じきとなったのである。


「い、いたた……。って、あれ、ダリルさん!? 大丈夫!?」


 自分の下でのびているダリルに気がついたのか、エマが身体を起こして無事を確認する。

 だが、無事を確認したいのは相手も同じであった。


「……怪我は」


「え?」


「怪我は……ないかって、聞いてるんですけど」


 苦しそうに呻きながらもダリルはエマに問いかける。


「う、うん。私は大丈夫……」


「じゃあ、早くどいてください。さっきからアンタが腹の上に乗っているせいで、重くて息が……ウッ!」


「もう! 誰が重いですって!」


 顔を赤くしてダリルの胸を思い切り叩いたエマが上からどくと、衝撃に思わず咳きこみながらもダリルが起き上がる。


 ――人を殴るくらの元気があるなら、ひとまずは安心か。


 てっきりショックを受けているとでも思ったが、彼が思っていたよりもエマは強い心の持ち主らしい。

 辺りを見回してもすでに先ほどまで蠢いていたツタは影も形もなく消えており、また静かな森だけが三人を包みこむ。

 すぐに桜庭も二人の元へと駆けつけ、無事な姿にほっと胸をなでおろした。


「突然ダリルが走りだすからびっくりしたよ……。でも、おかげでエマも無事だったみたいでよかった」


「ええ。本当にありがとう……ダリルさん……」


「別に。言ったでしょう。下手に死なれでもしたら後で僕も道連れになりかねないって」


「みち……?」


 不思議そうに首をかしげるエマに、ダリルは横に首を振る。


「なんでもないです。それより、またいつ襲われるかも分かりませんし先を急ぎましょうか。御神木まではあとどれくらいで?」


「かなり歩いたし、もう少しだと思うんだけど……」


「そうですか。そんじゃまぁ、 行くとしま――」


 その時。立ち上がろうとしたダリルが動きを止めてピクリと反応する。


「……はは。そんなに僕たちが気に入らなかったんですかねぇ。穴が空くくらい見つめなくても、今からそっちまで行くっつーのに」


 ダリルの視線が森の奥――目前まで近づいた森の中心へと向けられる。

 そこから溢れる、得体の知れぬ不気味な視線。それは桜庭が列車で感じたものと同じ、そしてオズワルドを監視していた得体の知れぬ視線。

 この先に待ちうける未知なる存在の気配を肌に感じ、ダリルは乾いた笑い声をあげるのだった。

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