いざ、森へ。しかしその前に。

《一時間後――森の入り口》


 フォイユ村の東――くだんの森は、まるで大きな口を開けた怪物のごとく、獲物となる四人のことを静かに待ちかまえていた。

 まだ朝方のためか辺りに人の姿は見えず、そもそも今回の事件の噂が立っている以上は近づこうとする村人もほとんどいないのだろう。

 森の中で人が消えているという事実がある以上、村人に見つかれば止められるおそれもある。怪しまれず森へ向かうのであれば、むしろ桜庭たちにとっては好都合であった。


 ――近くまで来ても……見た目は本当に普通の森なんだな。俺の勘と、オズとダリルの話では御神木が怪しいってことだったけど。


 桜庭は改めて目の前に広がる大きな森林――そして、目的地である御神木まで続くのだろう入口を前に立ち止まった。

 風もなく、不気味なほどに静かな空気。彼の隣のエマからも、緊張している様子が伝わってくる。エマの家を出てから無言のダリルもきっとそうなのだろう。

 むしろこの中で気楽にいられるのは一人だけで。


「さて。見送りはここまでかな。それじゃあ僕は村で待っているから、気をつけて行ってきてね。みんな」


「……オズ。お前は本当に、行かないんだな」


 エマには聞こえないよう、桜庭が小声でそう最終確認をとる。


「なんだい。もしかして寂しいの? 先生。僕だって一人で残るのは寂しい……なんて冗談は置いといて。君も分かっているとは思うが、なにも僕も駄々をこねて言っているわけじゃあない。これは保険なんだ」


「保険……?」


 桜庭の疑問にオズワルドがうなづいた。

 二人の話を横で聞いていたダリルも、横目にオズワルドの顔を見て彼の話に耳を傾ける。


「今までの被害はこの森の中だけで済んでいるが、僕の予想が正しければ、君たちが原因と対峙たいじした時……確実に異変はフォイユ村を襲う。そもそもおかしいんだよ。相手が御神木にしろ、怪物にしろ。人を襲うのであれば、手っ取り早くこの村を襲った方が、森に人間が迷いこむのを待つよりも効率がいいはずだろう?」


「それは……そうだな」


「ね? これまでは必要がなかったから襲わなかった……または、別の力が抑制していたから。そう考えれば、敵が追いこまれれば追いこまれるほど……必死になれば必死になるほど、村が襲われる危険性も高まる。だからいざという時のため、村人を守ることのできる奴が一人は残っていた方がいいのさ」


 オズワルドの言うことにも一理ある。

 消息を絶った人々は、皆森の中で行方をくらませたという話であった。そのため異変が起こるのは森の中だけであると考えていたが――そんな保証はどこにもない。

 そしてオズワルドの確信めいた言い方は、その保証がおそらく『存在しない』のだということを意味していた。


「……分かった。オズが自分で残ることを選んだってことは、その『いざ』は俺やダリルじゃ手に負えないってことなんだもんな。エマのことは俺たちに任せてくれ」


「うん。よろしくね、先生。あと口を酸っぱくして言うようだけれど、君はくれぐれも……死なないように。良い記録報告を期待しているよ」


 そう言って見送りだせば、桜庭は少し先に森の入口で待っていたエマの元へと合流する。

 オズワルドは微笑ましそうに二人の様子を見ていたが、ダリルに肘で小突かれたことでそちらへと視線を向けた。


「どうしたんだい。ダリル」


「今の話、妙に説得力がありましたけど……サボるために作ったでっちあげってわけじゃないですよね?」


「えぇ〜、ここまで来てそれ言う? 本当は僕だって残りたくはないさ。君だけに先生とエマを任せるだなんて、そんなの心配で心配で……」


「うわ、嘘くさ」


 わざとらしく両手で顔を覆ってメソメソと泣き真似をするオズワルドを見て、ダリルが表情を歪める。

 それもそのはずだろう。自分よりもデカい男の泣き真似など、見ていて面白いものではない。

 だがオズワルドもダリルの反応がよくないと気がついたのか、パッと覆っていた手を離しては。


「ほんと……君って真面目だよね。つまんない奴」


 と冷たく言い放った。


「今こうして話している間もね、彼らが無事に帰ってこられるか気が気じゃないんだ。本音を言えば僕は村なんてどうでもいいし、調査中に村人が死んでも知ったこっちゃない。エマには一宿一飯……いや、二飯か。その恩があるから、仕方なく彼女が愛する村を守ってやる。それだけなんだよ」


「……この後なにか、とんでもないことが起きることは確定してるんですね。理由はどうあれ、村を守る気があるなら僕はかまいませんけど」


「ああ、安心して任せて。だからダリル。君は絶対に先生とエマを守りきってくれよ。それこそ、彼らが死ぬなら代わりに君が死ぬくらいの気持ちで。万が一があればその時は……」


 あえてその先は言わず、オズワルドはニコリと笑顔を向ける。

 戦えない二人のおもりに失敗すれば、同時にダリルも道連れにすると。そう言っているのだ。

 ずいぶん自分勝手なことである。しかし仮に桜庭とエマを村に置いていこうとしても、二人が首を縦に振らないのだということは目に見えている。


 ――まさか初仕事で二人分の命預かることになるなんて。期待されていると、前向きにとらえていればまだ気も楽か。


「分かりましたよ。必ずサクラバさんたちは守ります。僕だって……あの人らが死ぬのは嫌ですから」


「頼んだよ。じゃあ、そろそろ先生とエマが待ちくたびれてしまう頃だし、ここらで無駄話は終わりにしようか。いってらっしゃい。ダリル」


 そう言ってオズワルドが手を振る。

 今の会話を無駄話の一言で片づけてしまうとは。これだからこの男は気に入らないのである。

 片手で返事をしたダリルは、少しだけ重い足取りで桜庭とエマが待つ森の入口へと向かうのであった。



□■□■



 オズワルドとダリルが話していたその頃。

 二人から離れた桜庭は、一足先に森の入口まで近づいていたエマの元へと合流をしていた。


「エマ。一人で先に行くと危ないよ。なにか気になるものでもあったのか?」


「あっ、サクラバさん。ううん違うの。あっちの空……サントルヴィルがある方。実は今朝、隣の家のおばさんから夜中にオーロラがでてたって話を聞いてね。こうやって眺めてたらまたでてこないかなぁ……って思って」


「オーロラ?」


 その言葉は桜庭も最近聞いた覚えがあった。

 マホウツカイで構成された、謎の多い組織|極光《オーロラ》。組織を抜けだしたダリルが追っ手のアーロンと交戦したということは記憶にも新しい。

 しかし、エマが言っている『オーロラ』とは、この場合違うものをさすようで。


「オーロラってあの空にでるオーロラか? アレって特殊な条件がそろわないと見えなかったような気がするんだけど」


「あら、サクラバさん知らないの? オーロラは使が時空を超えてやって来た合図って言われていて、昔から幸せの前兆とされているのよ」


「幸せの前兆?」


 四葉のクローバーを見つけた時と同じような感覚だろうか。

 あまりスピリチュアルなことに関心がなかった桜庭としては、それくらいしか似た例えも思いつかない。

 そもそも思いついたところで、クローバーとオーロラでは規模がちがうのだが。


「なんでもね、おとぎ話に登場するみたいな魔法使いさんが、みんなの願いを叶えに来たよ〜って合図をしてくれているんですって。言い伝えの中だけだと思っていたけれど、まさか本当だったなんて……。私も起きていればよかったわ」


 そう語るエマの表情は少し寂しそうで、桜庭も思わず彼女と同じようにサントルヴィルがある遠くの空へと目を向ける。


「そうなんだ。でもそんなものが現れたってことは……きっとエマのお父さんも、無事に見つかるってことなんじゃないかな」


「……ええ、きっとそうに違いないわ! なんたって、幸せの前兆ですものね」


 それが根拠のない励ましの言葉だとは分かっていても、エマを思って言った桜庭の言葉に彼女は嬉しそうに微笑む。

 するとその時。


「アンタらなにお喋りしてるんです。早く行きますよ」


「あっ、ちょっと。ダリルさんが遅いから待ってたのに!」


 桜庭とエマの脇をダリルが早足で通過する。

 エマは抗議しつつも慌てて彼の後ろをついていくと、そろって大きく口を開いた森の中へと踏みこんでいく。


「昨日はてっきりウマが合わないのかと思ったけど、あの二人……思ったよりも仲良くやってるみたいでよかった」


 これならば調査中も気を配らなくてすみそうである。

 そう言うと桜庭は少しだけ安心した様子で、ダリルたちにつづいて森の中へと向かっていくのであった。

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