聖域。御神木。黒い果実。

 静けさだけがすべてを支配する森の中。

 ここまで姿の見えない動物や鳥はおろか、虫でさえこの森に生存しているのかは怪しい。もちろん、消えた人々人間も。

 先ほどの襲撃以降、桜庭とエマはダリルから離れないようにピッタリと後ろをついて歩いていた。


「エマ。疲れてないか? この先なにが起こるか分からないし、いったん休憩しても……」


「ううん、平気。ありがとうサクラバさん。もうすぐお父さんに会えるかもしれないんですもの。早く……見つけてあげなきゃ」


「そうか。……ん?」


 そう、桜庭とエマが話していた時であった。

 桜庭が視界の先――残り数十メートルといったところで、今現在自分たちが歩いている一本道が終わるということに気がつく。

 そして、この道の終わりの果て見えるのは。


「……見えてきた。あれが御神木だな」


「さぁて。果たしてどんな怪物が潜んでいるのか……楽しみですねぇ」


「ダリルおまえ……全然楽しくはないからな。って、前にも言ったよなこんなこと。やっぱりできるだけ穏便に終わってほしい……」


「ははは。今の今であんな襲われ方してるんですから、当然無理でしょう」


 愉快そうにダリルが笑うものの、戦闘能力のない桜庭とエマにとっては楽しいなどとは程遠い。

 あまりの不気味さに、すでにここは怪物の胃の中なのではないかという錯覚さえ覚える。

 三人が土を踏みしめる音と、間近に感じるお互いの存在。それだけが、今の自分がしっかりと、現実の大地に立っているのだということの証明となっていた。


「……着きましたよ。サクラバさん、エマ。準備はいいですね」


 道はすぐに開けた。

 森の中にこんな場所があったのかと驚くほどに、大きくひらけた空間。

 中央に天高く伸びる巨大な樹木と、辺りの地面を埋めるかのような背の低い草花は、無言で聖域へと足を踏み入れた侵入者を観察していた。


「これがフォイユ村の御神木……。遠くから見た時もデカいとは思っていたけれど、近くで見るとよりデカいな……」


 桜庭が圧倒されたように声をだす。

 御神木と呼ばれる樹木からは黒く細長い、果実のようなものが無数にぶら下がっていた。

 数は大きいものが十以上、小さいものはその何十倍もあるだろうか。それはかなりの高さにあるため、手を伸ばしても届くような距離ではない。

 それに、上空の方は風でもいるのか。それらの果実は時おり揺れてはいたが、落ちてくるような気配は見られなかった。


「もう少しよく調べてみたいところだけど、とりあえずはいなくなった人たちを探そうか。エマもお父さんのことが気がかりだろうし」


「ええ、ありがとう。それにしてもこの木、昔見た時よりもさらに大きくなっていて……思ってたよりも元気そう。やっぱりお父さんもここに来たってことなのかな」


「そうだとしたら近くにいる可能性もあるかもしれない。分かれて探した方が効率はいいだろうけど、また襲われるといけないし……まとまって探すしかないか。ダリルもそれでいいよな? ……ダリル?」


 これからの方針を確認した桜庭はダリルに同意を求め、彼の顔をのぞき見る。

 しかし当のダリルはといえば、呆然としたように目の前の樹木をただ見つめており、桜庭の話などまるで耳に入っていないような表情で立ちつくしていた。


「どうしたんだ? たしかに圧倒されるようなデカさではあるけど、今はそれよりも――」


「サクラバさん」


 ダリルの手に空中で生成した剣が握られる。


「今ならまだ間に合いますから、やっぱりエマを連れてオズワルドのところまで逃げてください」


「待てよダリル。なにを言ってるんだ? まだなんの手がかりも見つけては――」


「いいから。アンタもああなりたいんですか」


 睨みつけるようにして御神木の上部を見つめつづけるダリルの視線を追うように、桜庭も目線を上げる。

 最初はダリルがどのことを指しているのかは分からなかった。しかし――あることに気がつけば、嫌でも彼がなにを言いたいのかは分かる。


「あれ……なんなんだ……」


 それは――顔だった。

 御神木の上部にぶら下がる無数の果実だと思っていたもの……その中のいくつかが人間の顔をもっていたのだ。

 さらによく見れば、それが先ほどエマが捕まった時と同様に、逆さまに吊るされた人間であることが分かるだろう。

 その姿はさながらミノムシ人間。苦悶に歪んだ顔は黒ずんでおり、身体中に巻きついたツタも同様に黒く変色していた。


 ――人だけじゃない。動物から小さな鳥まで、生き物なら手当たり次第に捕らえているみたいだ。おそらく、あそこに吊るされているのって……エマは。


 吐き気すら覚える凄惨な様子に、桜庭はハッと横のエマを見やる。

 彼女も二人の会話を聞いてこの状況に気がついたのか、顔を青ざめさせてヘタリと地面に座りこんでいた。


「あ、あれ……。お父さんを探しに行った村の人だわ……」


 エマが果実の一つを指さす。


「あっちはサントルヴィルから来た警察の人……そっちは最近森の調査をしに来た学者さんで――?」


「――ッ、エマ!」


 地面が揺れたような感覚と、視界の端に映るなにか。

 次の瞬間、地中から伸びた『それ』がエマに向けて襲いかかった。

 いち早く気配に気がついたダリルがエマの前に躍りでるものの、剣で攻撃を防いだにも関わらず彼の身体は長距離を軽々と弾き飛ばされる。


「ダリル! な、なんだよこれ。木の……根か……?」


 相手側からすれば、急襲は成功……といったところだろうか。

 あっという間に目の前で起きた出来事に、桜庭はただ驚愕することしかできなかった。

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