エピソード2 花畑を夢見る少女と村の御神木

がたんごとん。列車は揺れる

《サントルヴィル――駅前》


 桜庭が夢幻世界むげんせかいへと訪れて早一週間が経つ頃のこと。


 週末のサントルヴィルの街中は人で賑わう。

 日頃の激務を忘れて羽を伸ばしにくる人間や、これが儲け時といわんばかりに軒先のきさきで声を張りあげて勧誘をする人間。一人で観光を楽しむような人間もいれば、ツアーガイドに連れられ気の合う者たちと一時ひとときを楽しむような人間もいる。


 ――ほんと。暇人が多いなぁ。


 そうは思っても、かくいう彼自身もそうであった。

 いくら仕事前とはいえ、街中で浮かれた人間たちを眺めつつ、はやる気持ちをおさえきれないというように先ほどから忙しなく辺りを見回してはそわそわと。


「それにしても……先生もダリルも遅いなぁ。もう集合時間から十五分以上も遅刻してるし……列車きちゃうよ」


 オズワルド・スウィートマンはそうボヤいて左腕の腕時計と周りとを交互に見比べ、二人の待ち人がやってくるのをひたすらに待っていた。

 実を言えば、彼はすでに一時間前にはこの場に到着していたのである。

 これから初めて乗る列車に期待を寄せ、噂に聞く駅弁とやらに目星をつけ、蟻の行列のごとく行き来する人間たちを暇つぶしに観察するために。

 だが、さすがにそれにも飽きた。

 そうこうしている間にも駅の電光掲示板の時刻表示は前の列車がすでに発車してしまったことを表しており、思わずオズワルドの口から「えぇ……」と声がもれでる。

 本当ならば今頃、その列車に乗っていたはずなのだ。


「ほんっと。なにしてるの二人とも……」


 それから二十分もしない頃だろうか。駅前で待ち合わせをしていた人々の、半分くらいの顔が入れかわった頃。

 自分の名前を呼ぶ聞き慣れた声が前方から聞こえたことで、オズワルドは久方ぶりに顔を上げた。


「オズ! すまない待たせたみたいで」


「先生~! こんな時間までなにしてたのさ。集合時間はとっくに過ぎているっていうのに……もう前の列車とっくに行っちゃったよ」


「本当ごめんって。ダリルがなかなか起きてこなかったもんでさ……」


 遅れて小走りで駆けつけた青年たち――桜庭優雅さくらばゆうがとダリル・ハニーボールが、息を切らしてオズワルドの元へと合流する。

 だが、申し訳なさそうな表情の桜庭に対して、ダリルはといえば、むすりと不機嫌丸出しな表情でオズワルドを睨みつけていた。


「僕は悪くないですよ。今日こんな突然仕事しにいくだなんて、事前連絡もらってなかったですもん」


「ん? そりゃあそうさ。だって僕、君の連絡先知らないし」


「はぁ?」


 しれっと言われたオズワルドの言葉に、ダリルは思わず語尾を荒らげて眉間に皺を寄せる。


「当たり前じゃあないか。先生はともかく、この一週間の間君は一度しか事務所に顔を出さなかったし……僕のことを避けていただろう。そりゃあこっちだって聞くのに気を使うさ」


「避けてません。ただアンタが嫌いなだけです」


「えぇ……そっちの方が辛い」


 先日の自分がなにをしたのか、もう忘れてしまったのだろうか。この男は。

 この前とは違い今の一言は本当に傷ついたらしい。オズワルドが寂しげにしゅんと肩を落とす。

 しかしそんな顔をされたところで、ダリルが同情するようなことはなかった。


「だったらサクラバさん経由で住所だって知ってるわけなんですし、直接自宅まで来るとかしたらどうなんですかねぇ。僕とサクラバさんの部屋が隣なのも知ってるでしょ」


「だから先生に行ってもらったじゃないか」


「そうじゃなくて! 急なんだよ、全体的に! むしろそういった大事な連絡くらい自分でやれ!」


「君はいちいち細かいことでうるさいなぁ……急な仕事だったし、先生に頼んだ方が早いんだもん。所長の僕が部下をどう使おうったって勝手だろう」


 まさに売り言葉に買い言葉。どちらたりとも一歩も引こうとはしない。

 この間のようにダリルが武器を取りだしたり、オズワルドが無闇に攻撃をけしかけないだけマシであるが――きっと、この言い合いは収拾がつかないだろう。

 通行人や待ち合わせ中の人々の視線もしだいに集まりはじめ、さすがの桜庭もこのまま黙って見ているわけにもいかなくなっていた。


「ま、まぁまぁ二人共。ここで言い争っていてもしょうがないし、早く切符買って列車に乗らないと。な? ダリルも起きたばっかでお腹空いてるだろうし、好きな駅弁買ってやるから。機嫌直してくれって」


「サクラバさん……。そんな食べものでつるだなんて、僕も子どもじゃあるまいし……まぁ、たしかに腹は減ってるのでいいですけど」


「あ、先生僕も」


「オズ……君は自分で買ってくれ……」


 らちが明かないといったように桜庭が止めに入り、どうにかこの場は収めることに成功する。


 ――毎回これじゃあ骨が折れるな……


 ゆいいつ普通の人間である桜庭がどこまで二人を止められるのかは分からない。が、他に受け持てる人間がいないのならば、やるしかないのだろう。

 しかし列車に乗ろうとしたただけでも、これでは大変な労力である。

 券売機の前に立った頃には桜庭は早くもどっと疲れを感じていた。……もちろんアパートからここまで走ってきたからということもあるが。


「オズも先に来たなら、切符くらい買っててくれればいいのにな……」


 券売機は桜庭の世界の物と大差があるわけではなく、ほとんどが見慣れた液晶画面で、タッチしていけば進むものであった。やはりどこか、この世界は現実に似通っているらしい。

 夢幻世界むげんせかいでは初めて列車に乗るような桜庭でも、普段どおりに切符を買うことができたと安心して売店に張りつく二人の元へと戻る。


「お待たせ。二人ともなに買うか決まったか?」


「あぁ、おかえりなさいサクラバさん。色々見てたんですけどねぇ……僕は一番高いやつがいいです。ほら、あの肉がいっぱい乗ってるやつ」


「ダリルもそれ? 僕もそれがいいと思ってたんだよねぇ」


「……お前ら、本気で言ってるのか?」


 値札の数字を見て桜庭の表情が険しくなる。他人の金で食う飯は美味いとはよく言うが、まさかこうも遠慮がないとは。

 ダリルはともかく、まだ給料すらない桜庭に小遣いを渡しているオズワルド本人もいるのだ。さすがにこれは冗談だと信じて、領収書をきらせてもらってもかまわないだろう。

 桜庭は二人のリクエストする高級な弁当と、自分用のワンコインの弁当買ったところでようやくホームへと向かうことにした。


 まだまだ朝早くではあるが人は多く、世間が休日であっても仕事にいく人間や、これを機に遠方へと向かう家族連れが多いことが見て分かる。

 三人が他の乗客の後ろに並んで間もなく、列車の到着を知らせる音楽が鳴り響き、彼らの視線はホームの先から迫る二つのライトへと向けられた。

 錆色をした重厚感のある列車は、これもどうやら現実の列車とそう変わりはないらしい。金属の軋む音は桜庭の耳にも慣れ親しんだものであった。


「おお! 僕、こんなに近くで本物の列車を見るのは初めてなんだよね。先生とダリルは乗ったことある? いつも遠くからしか見たことなかったから、蛇みたいに細くてニョロニョロしてるのかと思っていたけれど……想像していたよりも固そうだし大きいなぁ」


「なに馬鹿みたいなこと言ってるんですか……。早く乗らないと置いていきますよ」


 オズワルドが瞳を輝かせて目の前に停まる列車を眺める。

 しかしすぐに彼はダリルの呼び声にハッとして列車へ乗りこむと、二人に続いてテーブルを挟んで向かいあうことができるボックス席へとやってくる。

 三人が乗車することを待っていたかのように、彼らが着席をして数分もしないうちに列車は動きはじめた。


「いやぁ……たしかにこれはワクワクするねぇ。見た目の格好良さはさることながら、これだけの人数を乗せても一定の速さで走ることができる機能性もあるときた。子どもたちがはしゃぐのも理解できるよ」


「遠くまで移動する時に使ったことはないんですか?」


「うーん、だって僕飛べるし」


「あぁ……そうですか……」


 外の景色がゆっくりと変わっていく様子を感じながら、オズワルドに対面するダリルが呆れた声で返事をした。

 一方でダリルの隣――窓側に座った桜庭は、窓から差しこむ日差しに眩しさを覚えてカーテンを少し下ろした。

 完全に下ろしてしまうと今日列車に乗ることを楽しみにしていたオズワルドに悪いと思い、少しの眩しさには目をつむることにする。


 ――そういや……オズは俺の目と耳が世界を記録することに繋がるって言ってたけど……こうして眺めてるだけでもいいのかな。あまり世界を救ってるって実感はないけど……


 こうして列車に揺られているだけなら、なおさらそうである。


 ――俺もマホウが使えればダリルみたいに……この前みたいな悪いマホウツカイと戦うこともできるんだけどなぁ。俺の夢の中なら、もう少しそういった融通をきかせてくれればよかったのに。


 ぼーっと窓の外を眺めながら、桜庭は心中でそうボヤく。

 サントルヴィルを象徴するようなビル群や背の高い広告看板はしばらく走行するうちにまばらになっていき、所々にしか見えていなかった青空がだんだんと姿を現す。


 それからどれほど走っただろうか。日は高く昇りはじめ、乗客の半数は目的地に下車したのか静かな車内。

 駅で買った弁当をペロリとたいらげ、外の風景が移り変わっていく様を見るのが楽しいのか、窓にかじりつくオズワルド。

 彼はなにかを発見するたびに桜庭とダリルに都度振り向いては呼びかけていた。そう、何度も何度も。


「――あっ! ほらほら見てよ二人共。あっちの空……すごい。ウサギがたくさん飛んでいるよ!」


「今度はどうした? オズの方が俺よりもこの辺りは詳しいはずなのに、今日はえらいはしゃぎようだな……で、ウサギが飛んでいるって、跳んでいるってことか? それは普通……じゃないな」


 オズワルドの声に窓の外へと目を向けた桜庭が、大きな耳を翼のように羽ばたかせ、風に乗って飛行をするウサギの群れを見て目を丸くする。

 しかし彼の隣のダリルは特に驚いた様子もなく、外へチラリと視線を向けただけであった。


「間違ってないですよぉ、サクラバさん。ウサギは古来より飛ぶ生き物ですから」


「飛ぶっていうか、跳ぶっていうか……。まぁ、これが普通なのかな……」


 納得のいかない表情で、桜庭が地を跳ねずに空をふわふわと飛び回るウサギを見上げる。

 そんな桜庭の心の内を知るよしもなく、ウサギの群れはしばらく付近を飛行すると、すぐに方向を変えて西の空へと飛んでいってしまうのだった。

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