初調査に向かうは、巨大な深緑の胃袋か
《数十分後》
気がつけば辺りは建物もほとんどなく、遠くに見える山々とのどかな草原だけが広がる風景に染まっていた。
先ほどのウサギの群れ以外にも生息している動物は多いのか、少し離れた場所から首の長い鹿が物珍しげに列車を眺めているのが分かる。
風景を眺めたり動物を観察したり、やろうと思えばやれることはいくらでもあったが――それが退屈と感じはじめるのも、また確かであった。
「……で、動物もいいですけどねぇ。そろそろどこに行くのかくらい教えてくださいよ。僕、朝から叩き起されて眠くて……目的地に着く前に一眠りしたいんで、今のうちに」
「そうだったね。お腹もいっぱいになって落ちついたし、そろそろいいだろう」
目をこすりながら眠気を訴えるダリルは、本当に自らの睡眠欲求に負けそうなのだろう。ただでさえ少し悪い目つきがさらに鋭くなっている。
きっとこのまま放っておけば、話す間もなく彼は眠ってしまうだろうと思い、オズワルドがうなづいた。
「さて。これから二人を迎えた僕ら『グランデ・マーゴ』が初調査として向かうのは、フォイユ村だ。まだここから距離はあるけれど……とても自然が豊かでのどかな良い場所さ。僕は空から少し見たことがあるくらいだけれど、記憶が確かならば村の東には大きな森もある」
「フォイユ村……。知らない場所ですね」
「ダリルが知らないのも無理はないよ。有名な特産品とかもないからね。サントルヴィルからも距離はあるし、付近も見てのとおり自然ばかりだ。交通も不便だし、村人たちもある程度は自給自足で生活しているんじゃないかなぁ」
「村人の生活がどうとかは別にいいんで、要件を早く」
「うーん。ダリルは急かすねぇ」
オズワルドは参ったというように笑うと、辺りの乗客たちには聞こえないように身を乗りだし、声を潜めて二人に話す。
「それじゃあ本題だ。さっきフォイユ村の東には大きな森があるって言っただろう? ……なんでもここ最近、そこに行った人間たちが村に戻ってこなくなってしまったらしいんだ」
「森に行った人が戻らない? 迷ったってことか」
「いや、そうじゃないよ先生。たしかに行方不明者の中にはサントルヴィルから派遣された警察官や騒ぎを聞きつけた野次馬だっているだろう。しかし、最初に戻らなくなったのは数日前。村の中でも森に精通した人間だったそうだ。もちろんそれを探しに出かけた後続の村人たちも同様に」
オズワルドはそこまで話すと、大きなカゴを押して飲食物の販売をしていた乗務員の女性を呼び止めた。
少しの迷いのあと、彼は適当に選んだ缶コーヒーを購入する。
「いやぁごめんごめん。なんか喉乾いちゃってさぁ……ん」
オズワルドはそれをすぐに飲みほすと、眉根を寄せては舌を小さくベッとだした。
「あー……しまった。もしかしてこれ、ブラックコーヒーだったかな。苦くてたまらないや」
「は? それ加糖ですよ。ラベル見てます? 日頃あんな甘いのばっかり飲んでるから、ベロ馬鹿になってるんじゃないですか。むしろ苦いのが嫌いならコーヒーなんて飲まなきゃいいのに」
「俺も同感」
「えぇ……先生まで酷いなぁ。コーヒーは香りが好きだからいいんだよ。どうせろくに味わうつもりもないし。これなら砂糖でも携帯しておけばよかった」
「外でまであんなにドボドボ砂糖まみれにするような人とは知り合いだと思われたくないんですけど」
ダリルの意見に桜庭がうなづき、オズワルドが肩をすくめる。彼が思っていたよりも、ダリルは常識をわきまえた人間であったらしい。もちろん桜庭も。
オズワルドは手にしていた缶を空の弁当箱と同じくテーブルの隅に寄せると、気持ちを切り替えて話のつづきを語りだした。
「まぁいいや。……で、さっきの話のつづきなんだけどさ。例の森自体はそう入り組んでいるわけではないらしくてね。どちらかといえば人が通れる道があったり、村までの
「なるほど。それならそんなに大人数が迷って、一人も出てこられないはずがないと」
「そうだね。先生の言うとおりだ。初めて入るような人間が何人かとかなら分かるけれど、村の人間含めて全員が戻らないというのは……なにかしらの異変があったと見ていいだろう」
「そこで俺たちが調査に行くってわけか」
「そういうこと。アレクシスがこの前見逃してやった分は働いて借りを返せだってさ」
つまりは警察からのじきじきの依頼。
サントルヴィルから捜査に向かった警察官も行方不明となっているのであれば、こうして厄介事に慣れているだろうオズワルドに頼ることもうなづける。
――警察から頼られてるってのも嘘じゃなかったんだな。
疑っていたわけではないが、普段から冗談まじりに事を話す男である。出会って早々見栄でもはっていたのかと思っていた。
なにせ、警察や偉い人にも頼られるなど……あの広くはない事務所に従業員一人ともなれば、にわかには信じられやしない。
「……先生、今少し失礼なこと考えてなかった?」
「いや……別に」
つい「オズって実はすごい人?」などと問おうとはしたが、なんとなく――深い意味はないが、なんとなく。桜庭は聞くことをためらい、曖昧な笑みで返事をした。
□■□■
どれほど時間が経ったか。日はさらに高くなり、外の景色は変わらずのどかな草原ばかりがつづいていた。
車内はすっかり静かなものである。
すぐに景色にも飽きてしまったダリルは「仕事の概要は分かったんで、目的地に着いたら起こしてください」とだけ言うと、先の宣言どおり背もたれに身体を預けて眠ってしまっていた。
桜庭の方も同じようなもので。眠気と戦うための対抗策として始めていたのが、以前にオズワルドの言っていた記録のバックアップのための作業であった。
――ほんと。作品書く現実逃避で見始めた夢だってのに、その中でまで書かされるなんてなぁ。ネタにはたしかに困らなそうだけど……副業ありって考えたら、むしろ労力二倍じゃないか?
この世界に来てから見た、景色や生き物、オズワルドやダリルのようなマホウツカイ。この一週間は生活環境を整えるのに必死で、なに一つまとめることができなかった。
携帯していた手帳にペンを走らせることで眠気が飛ぶかと言われれば、そんなことはまったくない。だが、なにもせずに外を眺めてるよりは、頭を少しでも働かせている方が気はまぎれていた。
「……あっ。見てよ先生。あそこの森」
そんな桜庭に声をかけてきたのは、これまた静かに景色を眺めていたオズワルドであった。
はしゃぎ疲れた彼は頬杖をつきながら窓の外に目を向けていたが、そこでなにかを発見したらしい。
彼にうながされるままに桜庭も視線を上げれば、一面の緑――草原の緑とはまたちがう深い緑に目を奪われる。
「森……? あぁ、もしかしてあれがさっき言ってた。ずいぶんデカいなぁ……」
「そうそう、僕が説明したフォイユ村の森。僕らの目的地だ。見た感じは普通の森だけれど……真ん中の方に頭一つ飛び抜けた大きな木があるだろう。なんでも、あれが
「数千年……」
広大な草原の中に突然現れた見渡す限りの
その中でも森のほとんど中心とも言うべき場所に突きでた巨大な樹木は、オズワルドの言うとおり数千年の時をこの地で見守ってきたに相応しい威厳を放っていた。
――あの森全部を調査するってなると時間がかかりそうだな。変なところがあるなら、ここからでも分かればいいんだが……
まだ少し遠くに見えるそれをもっとよく見ようと、桜庭は眼鏡越しに目を細める。――が、ふとその瞬間。突然自分の背筋が凍りつくような感覚に、桜庭は身体を震わせた。
――え?
これは、おかしい。桜庭の人生経験上、それがおかしいのだと断言することができる。
「先生?」
「いや……なんでもない」
言葉を発しなくなった桜庭を不思議に思い、オズワルドが呼びかける。
しかし桜庭は何事もかかったようにとりつくろうと、改めて窓の外の森へと視線を向けた。
――見間違いじゃない……よな。今、目が合った? あの御神木と……?
しかしどれだけまた森の方を眺めてみても、先ほどのような薄気味悪さは感じることはなく、同じように森を眺めるオズワルドにも変わった様子はない。
自分の思い違いかと納得をして、桜庭は書きかけの手帳を閉じた。
「……森が見えるってことはもうすぐ着くってことだろうし、あと少ししたらダリルを起こして準備しようか」
「オーケイ、先生」
「いなくなった人たちも、何事もなく無事であればいいんだがな……」
「……」
桜庭の一人言に返事をすることはなく、オズワルドは小さく笑みを浮かべる。
「無事に終わるわけがないさ。そう簡単に希望的観測を述べているようじゃあ……まだまだこの世界で生き残るなんて夢のような話だね」
「オズ、なにか言ったか?」
「いやぁ? お腹すいちゃったなぁって思っただけ」
「さっき食ったばかりだろ……」
呆れ顔の桜庭など気にもとめず、オズワルドはヘラりと笑う。
桜庭には生き残ってもらわなくては困る。……それは誰のためか。
だが、彼がどのような行動をとり、考え、選択をするのかはここらで一度見ておく必要がある。その隣で眠りこける
――なーんか。柄にもなくワクワクしてきちゃったなぁ。
期待をしているのだろうか。この二人に。
じょじょに緩やかになる心地のよい揺れを感じながら、オズワルドは
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