《極光》という組織を知ってるか

《数分後》


 昨日見たばかりのいたって普通なビルの三階。

 『グランデ・マーゴ』の事務所の扉を開いた桜庭は、後ろのダリルを招き入れると、他には誰もいないことを確認してから急いで内鍵を閉めた。


 ――あとはつけられて……ないみたいだな。


 桜庭素人の勘ではあるが。それでも念のため、用心に越したことはないだろう。

 すると、どうやらその音で桜庭がやってきたことに気がついたらしい。この部屋の主は少しの間の後。


「……やぁ、先生。思ったよりも早かったね。君はこっちに来たばかりなんだし、もう少しゆっくりしていても……ん?」


 奥のデスクでオズワルドが手元の新聞から顔を上げ、桜庭の顔を見るなりそう声をかけた。

 しかしてっきり桜庭一人だと思っていた彼は、桜庭の後ろで身を隠すようにしていたダリルがチラリと顔をのぞかせたことで首をかしげる。


「えーっと、先生。後ろの彼は初めて見る顔だけれど……お客さんかな?」


「いや、彼はアパートの隣人さんのダリル・ハニーボール。ここに来る途中に俺たち、どうも面倒事に巻きこまれてしまったみいなんだ」


「ハニーボール――」


 目をパチリと瞬かせるオズワルド。そして。


「オーケイ。訳ありであろうとなかろうと、大歓迎さ。ほら、そんなところに突っ立ってないで、二人とも好きなところに座りなよ。コーヒーでも淹れるからさ」


 オズワルドはニコリと笑って二人を招くと、キッチンの方へと姿を消した。

 そのまま玄関先で立っているわけにもいかず、うながされたとおりに桜庭もダリルとともに来客用のソファへと腰を落ちつける。

 少しして、トレイの上に砂糖の入った瓶と三人分の湯気の立つマグカップを運んできたオズワルドがソファへと座り、例のごとく彼は瓶の中の角砂糖を次々と自分のコーヒーへと投入していった。

 今日もきっと、昨日と同じインスタントコーヒーなのだろう。


「あぁ失礼。つい癖で先にドボドボ入れてしまった。二人も砂糖が必要だったら言ってくれよ」


「僕は大丈夫ですけど……。それってそんなに入れても大丈夫なもんなんですか」


「これでも自己管理はしているつもりだから大丈夫さ。先生はどうする? 今日は特別なやつを用意してたんだけど」


「それじゃあお願いしようかな」


 たしかに、オズワルドが新しく持ってきた瓶の中の砂糖は淡い水色をしていた。

 オズワルドはシュガートングを使って桜庭のマグカップへと角砂糖を落として溶けこませると、残りを気兼ねなくまた自分の方へと入れてスプーンでかき混ぜはじめた。

 スプーンとマグ。そしてその間に挟まれた溶けきらない砂糖が、ジャリジャリと悲鳴をあげる。


「で、先生。面倒事って?」


「そのことなんだけどさ……」


 一息ついた桜庭がこれまでの経緯を説明すると、オズワルドは「ふぅん」とマグカップに口をつけながら返事をする。


「あー、連続暗殺事件ねぇ。最近メディアで取りあげられているやつ。狙われたのはえーっと……ダリル。君だったのかな」


「えぇ、おそらくは。一応サクラバさんのおかげで無事だったわけですけど」


「なるほどなるほど。やるじゃあないか先生。こっちに来て早々、ただの人間の身でありながら……よく無事だったものだ。でも僕の見ていないところで危ないことはよしてくれよ」


 どこか釘を刺すような、トゲのある物言い。まるで自分のいないところで勝手なことをするな……と言わんばかりの。

 皮肉まじりに桜庭の活躍をオズワルドが賞賛するが、それすら聞こえていない桜庭はなにか考えこんでいるように口元に手を寄せていた。


「でも気になることがあってさ。連続暗殺事件の犯人っていうのは、透明人間みたいで武器も見えないんだよな? 俺がダリルを突き飛ばした時のナイフは、確かに実物が見えたはずなんだ」


「おぉ。そこに気がつくとはさすが先生。ただ……透明人間というのは少し捻りが足りないみたいだ」


 オズワルドが口の中で砂糖の塊を噛み潰す。


「実はこの事件については前々から、個人的に僕も調べていてね。これは報道すらされていない情報だが……この事件、実はあるマホウツカイの組織が関係していることが分かっている」


「マホウツカイ……」


 昨日聞いたばかりの存在。異能力者――マホウツカイ。オズワルドのように特殊な力を使うことのできる人間たちの組織。

 オズワルドの視線がダリルへと向けられる。


「そういった組織はいくつかあったりするんだけれどねぇ。その中でも『極光オーロラ』と呼ばれる組織が関係しているみたいなんだが……ダリル。君は極光オーロラを知っているかな?」


「僕は……知りませんね」


 ダリルは表情一つ変えないまま、コーヒーを一口飲んでからそう答えた。


「そうかい。まぁ、僕も内部の詳しいところまでは知らないんだけれどさ。その極光オーロラの中に、透明になることができるマホウツカイがいたとしても不思議ではない。透明人間と見えない武器の謎については、彼らの仕業と考えるのが妥当だろう」


「マホウツカイって、なんでもできるんだな……」


 桜庭が感心したように呟く。


「感心しているところ悪いが先生。まだ君が見たナイフについては疑問が解けていない」


「そのマホウツカイが飛ばしたとかじゃなくてか?」


「君ねぇ……。人間が五十メートル近い距離から勢いも落とさずに投擲とうてきするなんてこと、できると思うかい? そもそも強みである透過をやめてまでそんなことする必要なんてある?」


「……ないな」


 オズワルドの言い分は正しかった。桜庭が見たナイフの動きは誰かが投げたというよりも、自分で動いたという方がしっくりくる。

 しかし、それならば。あのダリルを狙ったナイフはなんだというのだろうか。


「もしかして、別のマホウツカイの仕業なのか……?」


「そう。よく分かったね先生。君の推測どおり、この事件には透明人間とは別のマホウツカイが関係している。……ということで、ダリル。君に質問だ」


「はい?」


 それまで聞き手に回っていたダリルは突然自分に向けられた問いかけに眉根を寄せる。


「僕たちは異変解決屋『グランデ・マーゴ』。君が正式に依頼をしてくれれば、この事件の解決まで君を守ってあげることもできるが……いかがかな?」


 大真面目な様子でオズワルドは問いかける。

 しかしダリルは手にしていたマグカップをテーブルに置くと、どこか気だるげにその場へと立ち上がった。


「嬉しい提案ですけど……あいにく僕、今は無職同然なので。そんな依頼をするような金なんてありませんよ。……それより用事を思いだしたので、僕は先に帰らせてもらいます」


「まてまてダリル。さっき襲われたばっかりだし、まだ近くに犯人がいるかもしれないだろ。せめて今日くらいはまとまって行動した方がいいって。俺もオズも帰りはいっしょに……」


「サクラバさん」


 ついさっきのことを思い返し、心配した桜庭が呼び止めようとする。が、ダリルは紅い目を細めて笑みを浮かべては、小さく首を横に振った。

 また、あの形だけの笑顔。


「二人が心配してくれる気持ちはありがたいんですけど、出会ったばかりのサクラバさんたちにこれ以上迷惑はかけられません。僕は一人で帰れますから。ね?」


「そんなの気にしなくてもいいのに……。でも分かったよ。ダリルがそこまで言うならここで見送る。ただ、危ないと思ったらすぐに戻ってくるって約束してくれるか?」


「はははっ、そりゃあもちろん。も取りましたからね。……コーヒーごちそうさまでした」


 納得せずとも了承をした桜庭にダリルはパッと表情を明るくすると、二人に浅く一礼をして事務所をあとにする。

 ダリルが去り、少しの静寂せいじゃくが流れる室内。はじめに口を開いたのはオズワルドであった。


「……ということで、だ。先生。僕たちは彼を追いかけるとでもしようか」


「え? なんで」


「先生は彼が心配なんだろう? 僕もこの件に関しては気になっていたし、ちょうどいいじゃあないか」


「それならさっき引き止めればよかったのに……」


「まぁ、彼はこのまま少し泳がせた方がよさそうだったからね。……それよりも、先生は気にならない? どうして極光オーロラが人々を襲っているのかを」


 オズワルドがニヤリと笑う。


「たしかに気にはなるけど。オズは理由を知ってるのか?」


「もちろん。……これはね、組織を抜けだした元極光オーロラの構成員への制裁行為なんだ。今まで狙われた人間たちは元構成員で、全員勝手な理由で組織を抜けたことで殺されている」


「全員? それってまさか、ダリルも……」


「それは行けば分かるさ」


 オズワルドは「よぉし」と気の抜けた声で立ち上がると、デスクの引き出しにパスワードを入力し、なにかを取りだした。


「先生、これ」


 その声とともに、桜庭のもとへと輝くなにかが投げわたされる。

 慌ててキャッチしたそれは、深い緑色の宝石がついたネックレスであった。


「このネックレスは?」


「魔よけみたいなものだよ。これから君は僕の仕事を手伝う上で、色々なマホウツカイと出会うことになるだろうからね。今日みたいに危険にさらされることもあるだろうし……物理に対する効果はないが、代わりに悪いマホウを弾く効果のあるそれを身につけているといい」


「なるほど。そういうのもあるんだな……」


 ゲームでいうところの、呪いを弾く装備アイテムみたいなものだろうか。

 納得したように渡されたネックレスを首につける桜庭を見て、オズワルドが満足そうにうなづく。


「僕らの仕事は危険と隣り合わせ。時には別行動もするだろうからね。この前みたいに僕がいつでも守れるってわけでもないから、ある程度は自衛をしてもらわないと」


 ――君に勝手に死なれると、困るのは僕の方なんだ。少しでも保険はかけさせてもらうよ。


 それは果たして本当に桜庭のためなのか。それとも彼自身のためなのか。

 仮にそう問いかけた者がいたとすれば、彼はきっとこう答えるのだろう。――世界ぼくのためだ、と。


「さぁ、これで準備はオーケイ。それじゃあ見にいってみようか、先生。実際の……マホウツカイってやつをさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る