桜庭優雅、非日常へと落ちる
《翌日》
夜が明け、桜庭の
しかし夢の中で睡眠をとるというのも不思議なものである。
一日の間に起こった出来事を整理し、これからの生活に期待を寄せる反面、現実の世界へと思いを
もしかしたら、寝て起きればあの出来後はすべて無かったことになっているのではないか。そのような考えも彼にはあったが、起きて目の前にあった見慣れぬ天井がその考えをすべて否定した。
――本当に俺、夢の中の世界に来ちゃったんだな。
そして時刻は昼近く。
なるべく
「いやぁ、
「……あぁ、こんにちは」
目の前の男は昨日と何ひとつ変わらない紅い瞳を細めた形だけの笑みで、
「一応聞くけど、俺のこととか待ってたりした?」
「いえいえそんな。本当にたまたまですよ」
そうは言うものの、ダリルの足元には煙草の吸殻が数本落ちており、暇を潰していたのが分かるのと同時に片づけろと指摘した方がいいのかと思案する。
「それにしても、今日も今日とてずいぶんと天気もよくて……絶好のパチンコ日和ってやつですかねぇ」
「それは室内なんだから関係ないと思うんだが……」
「はははっ、たしかにそれもそうだ。……まぁ冗談はおいといて。どうせなら真面目に今日明日の仕事でも探しにいこうとビシッと決めてきたんですけど。いざ一歩家を出てみたら
そう言うダリルは、たしかに昨日見たよれが目立つスウェットとはちがって、全身安物の黒いスーツに身を包んでいた。
しかしビシッと決めたという言葉とは裏腹に、とくだん自身の身なりについてはあまり関心がないらしい。
彼のジャケットの前ボタンは開けたままであり、瞳と同じ紅色のシャツにも所々皺が目立っていた。
「んで、サクラバさんはこれからどちらへ?」
「俺はこれから仕事先に行くところだよ。初日だし、今日は顔をだしてくれって言われてたんだ」
「へぇそうでしたかぁ。そんじゃあ、よかったら途中までごいっしょしてもいいですか? 最近この辺りもなんだか物騒だって言いますしねぇ」
「物騒?」
ヘラヘラとした表情のまま言うダリルに、思わず桜庭が聞き返す。
しかしその桜庭の反応が意外だったのか、ダリルはパチリと目を瞬かせると首をかしげた。
「あれ? もしかしてサクラバさん、ニュースも新聞も見ないタイプの人でしたか? 勝手によくチェックしそうな感じかなと思ってたんですけど」
「実はまだ家具とかなにも買ってなくて、テレビも無くてさ……。昨日はご飯食べて、掃除したら疲れてすぐ寝ちゃったよ」
「あー……じゃあ知らないのも無理はないですねぇ。……なんでも、ここ一週間の間に殺された人が何人もいるみたいなんですよ。ちょうど大都市『サントルヴィル』のこの辺りの地域でね」
誰もいないことを確認するように辺りをキョロキョロと見回し、ダリルがニヤリと笑う。
「まぁここで立ち話もなんですから、続きは歩きながらにでもしましょ」
「えっ、ちょっと待てって!」
気になるところで話を止めるとは意地が悪い。
ダリルは言うだけ言うと、桜庭の横を抜けてスタスタと先を行こうとする。途中までいっしょに行くという言葉はどうやら決定事項であったらしい。
桜庭も急いで戸じまりを終えると、階段を下り早歩きでダリルの横へと並んだ。
「いやぁ、それにしても。朝のこの静けさを見ていると、殺しなんて嘘みたいですよねぇ。しかし今やトップニュースや新聞の一面はこの話でもちきりなんですよ。なんでも『連続暗殺事件』なんて言われてるみたいで」
「暗殺だって?」
聞き慣れない物騒な言葉に桜庭が聞き返す。
「そうそう。殺された人は皆一同にして
「そんな場所なら犯人の目撃情報も集まりそうなもんだが」
「それがですねぇ、犯人どころか凶器すら見られてないんですよ。まるで透明人間の犯行だって言われてて」
「透明人間? さすがにそれは……いない……よな。むしろいるなら会ってみたいくらいだ」
「本当ですよねぇ」
なにが面白いのかケタケタと笑いながら足取りも軽いダリルは、空を見上げたり歩道沿いに並ぶ木々に目を向け散歩気分で桜庭の半歩先を歩く。
「まぁ仮に透明人間が犯人なら、もしかしたらこの瞬間もあの木と木の隙間から僕とサクラバさんを狙っていたりするのかも」
「いやいや、さすがにそんなことないって。透明だったら隠れる必要もないし」
「ははっ、たしかに。いいと思うんですけどねぇ……透明人間。ロマンがありますし」
ダリルが眉尻を下げるようにして苦笑する。
きっと歳が近いせいでもあるからだろう。なんとなくではあるが、いまだに二人の間に壁はあれど。ダリルが少しだけ心を開いてくれたような。
――最初は少し怖い人かと思ってたけど。思ったより、話しやすい……のかな。
そうなのだったら嬉しい。
しかしふと。そのダリルの肩越し――木々が生い茂る並木道の間から、昨日と同じくなにか輝くものが桜庭の瞳に映り、彼はよく目を凝らす。
距離にしては五十メートルもないだろうか。それは小さな輝きで目を凝らさないと見逃してしまいそうなうえ、音もなくこちらへと――
――動きはじめた?
「ッ! ダリル危ない!」
「うおっ!」
直感的に桜庭はダリルを前方へと突き飛ばした。
直後に先ほどまでダリルのいた付近にカランと音をたてて、鈍く光るナイフが転がり落ちる。
桜庭はハッとしてナイフの飛んできた方向を見やるものの、辺りに人の気配や第二の襲撃がないことを確認してから肩の力を抜いた。
緊張を解くまでとはいかないが、奇襲に失敗し、こちらが気がついたことで犯人が逃げた可能性もあるだろう。
「ダリル、怪我はなかったか?」
「おかげさまで。いやぁ、よく分かりましたねぇ」
「たまたま見えたんだよ。それにしてもなんなんだ……。突然なにもない場所から飛んできたぞ?」
「もしかして……これが噂の連続暗殺事件ってやつとか」
「だとしても俺たちを狙う理由なんてないだろう。でも……とりあえずは助かったわけだし、このナイフを警察にでも突きだせば――」
そう言って視線を落とした桜庭が息をのむ。
彼のその様子を見たダリルも、桜庭の視線を追った。
「あー……こりゃあ見てない間に持っていかれましたねぇ。サクラバさん」
先ほどまではたしかにそこにあったはずのナイフは、跡形もなく消えていた。
ダリルが辺りを見回すが、それでもすぐに犯人を見つけることを放棄したのか、諦めた様子で彼は桜庭へと向き直った。
「とりあえず場所を移動しましょうか。パッと見この辺にはいないみたいですけど、近くに潜んでいる可能性もありますし」
「あ、あぁ。そうだな……。危険なのには変わりはないわけだし、早く行くとしよう」
「アパートまで戻ります?」
「いや、それこそ本当に透明人間が相手だったら、あとをつけてくるなんてことも容易だろうし。新居でそうそう殺されるだなんて嫌だからな。……このまま事務所まで行くとするか」
「事務所? 警察署とかじゃなくて?」
ダリルの疑問の声に対して、桜庭は肯定の意味をこめてうなづいた。
「ああ。ちょうど向かっているところだったし、ここから近いからさ。もしかしたら……アイツならなんとかしてくれるかもしれない」
アイツ――もちろん、それはオズワルドのことであった。
むしろ警察署の場所なんて知らず、手軽な連絡手段さえ持ち合わせていない桜庭にとって、今頼れる相手はオズワルドただ一人しかいないのである。
その提案にダリルが抗議をしてくることはなかった。
「ほぉ、そこまで言うなら向かうとしましょうか。サクラバさんのオシゴト先。行くまでに襲われないといいですねぇ」
「他人事みたいに言って。全然楽しくはないからな」
「ははっ。そうですか? そういうサクラバさんも大概だと思いますけどねぇ……」
――普通の人間は……こう襲われて冷静にパッパと思考を切り替えたり、行動できるもんじゃないんですけど。
内心でそう思いながら、ダリルは桜庭に視線を向ける。
とくだん、桜庭にはおかしなところはない。見た目も、話し方も、まとう雰囲気も、普通の人間。
だが、あえて。おかしい点をあげるとすれば――その受け入れのよさだろうか。
胆力があるのとはまた違う。会って間もないダリルに聞いただけの暗殺事件の情報や、先ほどの襲撃。そのどちらをも――非日常を簡単に受け入れすぎている。
「どうしたんだ? ダリル」
視線に気がついた桜庭がダリルに目を向ける。
「いやぁ、別に。サクラバさんって、僕が想像してたよりも案外面白い人なのかもしれないなぁ……と思いまして」
「突然なんだそれ。今日ここまでで面白い要素なんてあったか……?」
オズワルドしかり、ダリルしかり。どうやらこの夢の世界の住人は変わり者が多いらしい。
ケラケラと笑いつつ自分を見上げるダリルに呆れながら、桜庭は昨日も歩いたばかりのまだ見慣れない道を先導しはじめたのだった。
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