極光からの刺客現る

《数分後――並木道》


 夕方近くとはいえ、いまだ日は昇る時間。

 しかし太陽が高く昇っているからといって、アパートを出た時とは打って変わって空一面をおおうような曇り空ともあれば、時間に対して辺りが薄暗く感じることにも納得がいく。

 『グランデ・マーゴ』をあとにしたダリルは、帰路につくために人気ひとけの少ない道を選んで歩いていた。

 両手をズボンのポケットに入れ、背中を丸めながらあくびをする彼の姿はとても命を狙われていた人間には見えないだろう。

 しかしそれもつかの間。

 ダリルはしばらく辺りに通行人がいないことを確認すると、足を止めて深々と息をつく。


「……で、いつまでついてくるんです?」


 ひゅん、と。空気を切る。

 柘榴ざくろのような紅い瞳が細められた刹那、とても現実的ではない鈍い音が彼の耳に届く。

 その音の先にダリルが振り返れば――空中で静止したナイフの先が赤黒く濡れているのが一目で分かった。

 すると距離にして十メートルもないだろうその場所に、ぼんやりと見知らぬ男の姿が浮かびあがり、男は重い音を立ててその場に崩れ落ちる。

 男の姿がもやが晴れるように明確になるのとは対照的に、男の背中に刺さったままのナイフは瞬く間に光となり溶けて消えていった。

 わずか数秒の出来事に、辺りの空気がピリと凍てつくのを嫌でも感じる。


「尾行するならもっと上手くやれ。サクラバさんは騙せても、僕は騙されませんからね。……さて、あとはそこの木の陰に一人と、二十三メートル先に一人、か」


 ダリルがそう言うと二本のナイフが空中に現れ、それぞれが意思をもったかのように別々の方向へと飛びかう。

 しかし先ほどのような重い音が響くことはなく、一本はアスファルトへ。そしてもう一本は木の幹へと突き刺さり、軽い音を立てただけで手応えはない。

 追っていた気配が移動したのを感じ、ダリルは思わず舌打ちをこぼした。


「ちょこまかと動きやがって。今のうちに逃げ帰れば見なかったことにしてやるってのによ」


「残念だが、それはできない相談だ」


 眉間に皺を寄せて口調を荒らげるダリルを見てか、いつの間にか彼のすぐ近くの木陰へと距離を縮めていた男が姿を見せた。

 身なりのいい茶色のスーツをまとった初老のその男は、ダリルを見下ろしながら、癖なのか短くそろった顎髭を撫でるように触りつづけている。


「お前も分かっているだろう、ダリル。そうやすやすと我々が任務を放棄して逃がすとでも思うか?」


「……アーロンさん。アンタも分からない人ですねぇ。そんな首出せと言われて、簡単にはい、どうぞって言うとでも? んなわけないだろう。バカかアンタら。極光オーロラの連中は僕たちのことを都合のいい道具としか思っていないくせに、手元から逃げだしたとたん血眼になって処分しに来るだなんて……なにをそんなに焦っているんだか」


 ダリルの挑発にも男――アーロン・イーリイは顔色一つ変えることはない。


「上司に向かってその口の聞き方はなっていないんじゃないか? ダリル。もちろん逃げだした者たちは、例えお前のように内部を知らない末端の者といえど、余計な情報を口外する前に口封じをした……だが、お前はちがう。一部のマホウツカイについては連れ戻せとの命令がでているのだ。――死にさえしなければ、多少手荒となってもな」


「ッ!」


 目の前の男との会話に集中しすぎていた。

 ふと背後に殺気を感じ、直感的に横へと飛んだダリルの左腕を刃がかすめた。

 彼はすかさずその位置へと空中に生成したナイフを三本叩きこむが、敵はすでに移動したのかその全てが乾いた音を立てて地面へと転がる。


「死にさえしなければって、ほとんど殺しにきてるようなもんじゃねぇか!」


 そうは言っても、答える声はない。

 気がつけばアーロンの姿が消えており、彼が自身のマホウによって姿を消したのだと察する。


 ――透明人間ってのもあながち大正解ってところだな。


 桜庭との会話を思いだしてダリルが笑う。

 近くにいる敵のおおよその位置はによって把握できてはいるが、相手に動きつづけられると正確な位置の把握が難しい。

 それも一人に集中して索敵をしようとすれば、すかさずもう一人が襲いかかってくるだろうということは目に見えているのだ。あまり隙を見せるようなことはしたくない。

 ダリルは空中に無数のナイフを展開すると、それらを自身の周り一帯に向けて撃ち放った。

 ダリルを囲むようにして放たれたナイフは相手を牽制けんせいするためには十分だったようで、二つの気配が距離をとるのを感じる。

 先ほど現れた時よりも遠い距離に姿を現したアーロンは、無表情にダリルを見おろし鼻を鳴らした。


「そのマホウ……思っていたよりも使いこなしているな」


「そりゃあどうも。そっちこそ、見えないってほんっと不便だよな」


「ふむ……。不便というわりには我々の動きを的確に感知しているように見えるが?」


「ええ。まぁそりゃあ――」


 ダリルの声に合わせるかのように、先刻と同じく重い音が彼の後方――まさにダリルの背中までわずか三十センチメートルといったところで鳴り響く。

 街並みを映しただけのなんの変哲もない景色はぐにょりと歪み、その景色の中にとつじょとして現れた大柄の男が前のめりに倒れこんだ。


「そんなこそこそしててもねぇ……。こっちにしてみれば殺気ダダ漏れで刃物向けられたって、逆に狙ってくださいって言ってるようなもんなんですよ。アーロンさん、一刻も早くこれ回収して帰ってください」


 ナイフが光に溶け、わずかな血の臭いが風に流れる。

 紅色の瞳が忌々しげに細められた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る