邂逅、紅い瞳の隣人

《数時間後》


 オズワルドと別れて日が少し傾きはじめた頃。

 桜庭は渡された地図を頼りに、指定のアパートへと向かっていた。

 途中に見かけたスーパーマーケットに寄り、最低限の生活必需品を購入しようとは思ったものの、もちろん夢幻世界むげんせかい内に存在するメーカーなど彼は知りもしないわけで。

 とりあえず適当に選んだものを買いこんだ桜庭は、気がつけば両手に袋をさげた状態へとなっていた。


「この世界にもスーパーとかコンビニってあるんだな……。本当に日本そっくりだ」


 そう独りちて地図の通り歩いていけば、やがて茶色い外壁のアパートが顔をだす。

 二階建てで各階三部屋ずつあるそのアパートは、まるで現実のように桜庭を出迎える。

 そんな桜庭の部屋は二階の真ん中の場所にあるらしく、外階段をのぼるたびに響く軽い鉄の音が、このアパートの年代を感じさせていた。


 ――とりあえず部屋に入ったらまずは窓を開けて、換気をして。それから昼飯を食べて掃除をして……


「あれ?」


 そうこの後の予定を考えながら外階段をのぼりきった桜庭が自室の方へ目を向けると、彼はすぐにはたと足を止めた。


 ――部屋の前に誰かいる。


 目を凝らさなくてもよく分かる。

 部屋の前の転落防止の柵にもたれかかるようにして、よれた黒いスウェットを着た、同じく黒いくせっ毛の青年の姿がそこにはあった。

 青年は外の景色を眺めながらぷかぷかと煙草をふかしていたが、不審に思いながらもゆっくりとこちらへ向かってくる桜庭に気がついたらしい。紅い瞳だけがのっそりとした動きで桜庭の方へと向けられた。


「――あ?」


「え、えーっと……コンニチハ? いいお天気ですね」


「そうですねぇ。……おたく、このアパートの人ですか?」


「えぇまぁ。その真ん中のところなんですけど……」


 アナタが突っ立っているところのちょうど真後ろですよ。という喉まででかかった言葉を桜庭は飲みこんだ。

 警戒されている。むしろ自室の前で我が物顔で煙草をふかしている人間を前に、警戒したいのは桜庭の方である。

 桜庭が自室を指さした先を青年は振り返ると、ドアと桜庭の顔とを交互に見比べながら、合点がいったように声をあげた。


「あー……なるほどなるほど。いやぁすみませんねぇ。僕、引っ越してきてからまだ日が浅いもんで。物音もしないし、てっきり隣は空き部屋かと思ってましたわ」


「いえいえ俺の方こそ。実は今日引っ越してきたばかりなんですよ」


「ほぉ~、そうでしたか。お互い大変ですねぇ」


 青年がいくぶんか柔らかくなった声音で笑いかけるが、いかんせん目が笑っていない。

 いまだよどんだ紅色が様子をうかがうかのように桜庭へと向けられ、彼の手にした煙草からは灰が時おりホロリと足元へとこぼれ落ちる。


「それにしても、こんな街中をそれた場所に引っ越すだなんて。お仕事の都合とかですかね?」


「えーっと、一応そんな感じで……。一身上の都合で故郷の方からこっちで働くことになりまして」


「はははっ、そりゃあいいですねぇ。僕も昔は仕事の都合で各地に飛ばされたこともあったんですけれど。……色々あって今は無職同然でして。日雇いの仕事を探してはどうにか食いつないでいるって感じですかねぇ」


 青年はそこで一度溜め息を吐きだすと、「あぁそういえば」と声をもらした。


「すみません、すっかりご挨拶が遅れてしまったみたいで。僕はダリル。ダリル・ハニーボールって言います」


 そう言ってダリルは煙草を持っていない右手を差しだし、ニコリと微笑む。

 しかし先刻と変わらず目元の笑っていない明らかな作り笑顔が桜庭をとらえており、穏やかに笑う声との対比に思わず桜庭の口元がひくりと動いた。


「こちらこそ、俺は桜庭優雅さくらばゆうが。せっかくのご近所さんですし、よろしくお願いします。ハニーボールさん」


「ダリルでいいですって。それにサクラ……バさん……? 珍しいお名前ですねぇ。見た感じ僕より歳上みたいですし、あんまり無理に敬語とか気にしなくてもいいんで」


「あぁすまない。じゃあお言葉に甘えてよろしく、ダリル」


 桜庭は苦笑してダリルと同じく右手を差しだすと、軽く握手をかわしてチラリと相手の様子をうかがう。

 と、その時。キラリとなにかがダリルの後ろに光るのを視界の端にとらえ、桜庭は反射的にそちらへと目を向けた。


「サクラバさん? どうかしました?」


「あぁ失礼。なにかあっちで光った気がしたんだけど……。太陽に反射でもしたのかな」


「ほぉ、そうでしたか」


 まばたきをした間に消えたその光を桜庭は不思議に思いながらも、つられて後ろを振り返ったダリルになんでもないと告げる。


「そうだ、サクラバさん。せっかくのご近所さんということですし、よかったらそのうちご飯にでも行きません? どうせなら僕もこの辺りのお店の開拓とかしてみたいんですけどねぇ……。どうにも一人で行くのは寂しいものでして」


「俺でいいならぜひ。そういえば今は日雇いの仕事してるって言ってたよな。仕事で給料がもらえるようになったら、よければご飯くらいは奢るからさ。都合のいい時にでも声をかけてくれたら合わせるよ」


「本当ですか? ははっ。いやぁ、そりゃあありがたい。――今の言葉、しっかりととりましたからね」


 ニヤリと笑ったダリルの目元が細められる。

 彼は手元に目線を落とすと、手にした煙草がすっかり短くなってしまったのを見て、それをぐりぐりと欄干らんかんに押しつけ痕を残した。


「そんじゃあサクラバさんもお疲れでしょうし、僕も火が切れたんでそろそろ帰りますわ。まぁ、お隣さんとして今後ともよろしくお願いします」


「あぁ。なにかあればよろしく」


 ダリルは笑って返事をすると、鍵が開けっ放しにされていた奥の部屋の中へと消えていった。

 桜庭も続いてポケットから鍵を取りだすと、施錠せじょうを開き、新しい我が家へと足を踏み入れるのだった。

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