第29話 緑扇宮と姫と変体と


 緑扇宮と姫と変体と……


 メゾンアニエス=VE-DA旗艦斑鳩。この戦艦内部を領土とし、国際法により領海、領空を十二海里とする歴とした空飛ぶ独立国家である。

 幕府超々弩級戦艦 舞鶴ぶかくには及ばずとも、全長3㎞、全幅0.7㎞、全高で1.6㎞。十階層ある居住区艦内構造の総延べ面積28.9平米は、総人口112,980の居住空間としては充分過ぎる程の領土である。

 この斑鳩は移動する排他的主権領域を持つ独立主権国家であるが、それと同時に、己が管轄の地上国家にファッションを供給する巨大企業でもあり、メゾンアニエス=VE-DA全国民はその巨大国営メゾンの社員である訳だ。

 服、水着、鞄、靴、宝石等、身を飾るあらゆる物が、この戦艦内部でデザイン、生産される。そのデザイン部門や材料開発部門や生産部門等がある区画、即ち国民(社員)が働く場所は、円柱を倒した形の居住区画の外殻に沿って作られている。

 居住区画の上部側壁は、強化マジックガラスになっており、社員は、絶景の眺めが眼下に広がっている場所で、リラックスして働く事が出来る。

 各階層毎に百m程の空が存在しているが、立体映像により太陽や雲等が天井に投影されている為、この空間が艦内である事を感じる事など殆どないと言っていい程で、完全管理の空調系統により四季を演出する為の風が吹き、疑似的な空からは雨も降る。人工的だが、小川が流れ、森、田圃や畑があり、動物達が草を食む草原があった。

 そんな疑似的自然に調和するように建築された居住家屋は、実質的な空(天井)の高さが百m程である事も理由の一つだが、平屋建てで、典型的な寝殿造。密集せずに、充分な間隔を空けて建てられている。

 第五階層にはその後部を丸ごと占める巨大モールがあるが、大抵の生活必需品は、各階層の地下(各階層の天井でもあるが)のショッピング街で間に合わす事が出来る。

 地下にあるのは、日本情緒を感じさせる趣ある景観を壊さぬ為であり、その移動手段も、地下に埋設された碁盤目状の地下道路網と地下リニアであった。

 各階層は、前後部にある資材搬用の為の巨大昇降機と、居住区画側壁に百m間隔で設置されているガラス張りの昇降機エレベーターで繋がっており、最上階層を除いてその往来は自由になっている。

 居住区画最上階層は『内裏』と呼ばれる場所。帝が指揮を執る司令部艦橋フラグブリッジ、即ち『紫宸殿』の真下にあたり、紫宸殿以外の全ての殿舎、涼明殿(日常、即ち非戦闘態勢時に帝が過ごされる場所)や後涼殿、七殿五舎、春宮坊等が、この階層に存在している。その内の七殿五舎とは、即ち『後宮』の事である。


 七殿=常寧殿じょうねいでん承香殿じょうきょうでん貞觀殿じょうがんでん弘徽殿こきでん登華殿とうかでん麗景殿れいけいでん宣耀殿せんようでん


 五舎=飛香舎ひぎょうしゃ(藤壺)・淑景舎しげいしゃ(簾=歌)・昭陽舎しょうようしゃ(簾=能)・襲芳舎しほうしゃ(戯)・凝華舎ぎょうかしゃ(御法)


 五舎は、アニエス帝専属傀魅魔奴宦『五更衣』達が住まう局となっているが、『中宮』位魔奴宦、『女御』位魔奴宦が住まうべき七殿には誰も居住していない。つまり現在、メゾンアニエス=VE-DAにアニエス帝の記憶より誕生した中宮傀魅と女御傀魅はいない。


 少なくとも、公式上は……、だ。


「……と、いう訳だ。わかったかい?」


 J・Jは、自分の噴気式ジェット摩托車バイクに跨がったまま、そう言って緑扇宮の方を振り返る。

 紫宸殿と『内裏』階層の中央部を繋ぐ昇降機エレベーターは総ガラス張り。紫宸殿からこの昇降機を使って内裏へと降下している途中、J・Jから説明を聞きながら、宮はその眺めの素晴らしさに目を奪われていた。

 真下には内裏の殿舎が広がり、その周囲には森や小川、数㎞先には湖も見える。これが、戦艦内部の光景とは俄に信じられなかった程だ。


「すごいや……」


 思わず感嘆の声を上げた宮の目に、ある屋敷が映る。内裏から離れた場所にある離宮。


「あの、お屋敷は?」と言う緑扇宮の指先を目で追ったギャッツビーが、


「ああ、あれは中宮位魔奴宦、希婦様の離宮です」


「中宮? でもさっきこのメゾンに中宮はいないってJ・Jさんが-」


「確かに。ですが、それは帝の記憶から誕生した正式の中宮がいないという事。希婦様は、薩摩と幕府が公武合体の為に冊立させた中宮なのです」


「そういうこった。元々あの女は、将軍専属の傀魅魔奴宦なんだよ。そいつを中宮として無理矢理送り込んで、こっちの動きを内部から探ろうって腹さ。歴史で勉強したろ、宮様。日本の戦国時代じゃ、そういう政略結婚がごまんとあったってよ。ふん! 伊勢守の野郎に、斑鳩から帝が疾走してた事や、『光源氏』の調合法が漏洩ろうえいしてたのも、あの女が一枚噛んでるのに違いねぇ!」


「口を謹めJ・J。宮様の御前だぞ。それに希婦様が、現在アニエス=VE-DA唯一の中宮様である事に変わりはない」


「ふん! 面白くねぇ-」


 顰めっ面のJ・Jが、思い出したように宮に質問を投げる。


「-で、宮様。あのクソガキンチョ…、もとい、姫さんの事全く記憶にないのかい?」


「はい…。稲じい(春宮坊大夫稲節)から、あの女の子が僕の記憶から生まれたグミだって事は聞いたんですけど……」


「いえ、現世での記憶でなければ、姫様は宮様の阿頼耶識に眠る前世の記憶から生まれし傀魅なのでしょう。まだ思い出せぬのも無理からぬ事です」



「まぁな。フフッ。藤壺様は別として、帝から戯に御法、簾=能と簾=歌が生まれた時の帝の最初の言葉は、揃いも揃って『お前は誰だ』だったからな。戯は暴れ、御法は『思い出してにゃん!』とか騒いで駄々をこね、簾=能と簾=歌は泣きながら歌いだすんだぜ?あん時は本当参ったぜ」


「なるほど」と、思わず納得する緑扇宮君。



「でも、不思議なのはよ。一番最初に生まれたグミってのは、現世の記憶から生まれるもんなんだけどな。あの姫様が宮様の前世の記憶から生まれたってのは……。なぁ、宮様。沖縄に居た時一番好きだった女の子とか、彼女とかいなかったのかい?」


「……」


 J・Jにそう聞かれて、宮の心に真っ先に浮かんでくるのは、一人しかいない。


(愛蘭……)


 と、その時だ!

 突如、内裏上空の空が爆発した。正確に言えば、立体映像の空が投影されている天井が、大音響と共に爆発した。



「何だっ?! 敵の攻撃かっ!」





第29話 了

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