第26話 開服の志士


 観葉植物に囲繞いにょうされた和室、その質素な茵辱いんじょくの中で上半身だけを起こして、九条は薬湯を啜っていた。長い黒髪はリングにより背中で纏められ、白い下襲かさねだけという姿である。

 病気の時や体調を崩した時、体にいいスペクトル光を通す白の下着を着ていると、体調は早く回復する。勿論美容の為にも白い衣装や下着は有効的である。何故なら、白という色は生命が必要とする色波長を透過させ、肌や内臓に栄養補給をするのだ。

 反対に希薄な放射線のみを通す黒い下着や衣装を常に着用している場合、肌の老化は促進され、女性が一番嫌う肌のしわばかり増えてしまう事になる。だからそれを考えて、アニエス=ヴェーダでは黒を基調色とした服は一切作っていない。

 と、その時である。壁の顕示器ディスプレイがギャッツビーの顔を映し出した。


〃九条様っ!〃


「ふっ。どうしたギャッツビー。その顔は?」


 九条は湯呑みを盆の上に置きながら、苦笑して画面上のギャッツビーを見つめた。


〃あっ、と、い、いえ! こ、これはその……〃


 久しぶりに見る九条の笑う姿にときめきを感じたのと、恥ずかしさから顔をゆで蛸状態にしたギャッツビーは、慌てて両手で頬を擦ったが、こんな事をしている場合ぢゃない!と、顔をシリアスモードに戻す。 


〃あの傀魅が人型に変体しました!〃


「何っ? 変体だとっ!」


〃そうです! 変体ですっ!〃


「わかった! 今そちらに向かう!」


 と、九条が立ち上がった時、今度は紫宸殿ししんでんからさきの右大臣天時あまときの悠紀宗ゆきむねからの通信回線が開いた。


〃九条様っ!〃


「どうしたっ?!」


〃幕府が全世界に向け後幻蔵法皇様暗殺の調査結果を発表していますっ!〃


「!」


 九条の凝視する画面に、プレタポルテ共和国大統領府が置かれるラ・紫苑城の上に滞空する幕府超弩級戦艦舞鶴-弐の丸-の姿が現れた。その中央 甲板デッキにはステージが作られ、ステージ上に、幕臣達と共にキサラギ大統領以下の台閣だいかくの面々が居並んでいる。中央甲板の下のカタパルトデッキには、黒い衣装を纏った何十機もの蘭蛇帝が、ライフルを天に向け、弔砲ちょうほうを轟かせた。舞台中央の壇上には、幕府側用人鷹宮家伊勢守の姿があった。

 そして伊勢守は、本日捕縛された、後幻蔵法皇暗殺実行犯の名を発表する……。


「坂本 賀星がせい! 倒幕勢力を三分する内の一つ『開服の志士』の主魁である人物である! 彼らは主導権争いの中、後幻蔵法皇を担ぎ出したチョーシュー藩に主導権を掌握される事を恐れ、倒幕の院宣が彼らの手によって発せられる事を阻止せんと法皇暗殺を実行したのである! そもそも、後幻蔵法皇様は十五年前チョーシュー志士達に拉致されていた! これは事実である! 即ち、後幻蔵法皇様は倒幕の院宣を発する事を強要されたのであり、倒幕の意志など全くなかったと言ってよい! それは、今上帝アニエス=ヴェーダ陛下が、志士討伐の勅命を幕府に下された事でも明らかなのである!」


 と、紫京上空に映し出された立体映像が、再び衛星中継で流れ始めた。 

 ベベルゥは、茵辱いんじょくの上に正座して、藤壺、戯達と共に黙ってそれを聞いていた。


〃然も、それだけではない! 後幻蔵法皇暗殺の実行を幇助したのは、倒幕派の志士弾圧の任に当たっていた新撰組であった事が判明した! 彼ら新撰組の使命は、幕府の威信を貶めるあらゆる存在の排除! 彼らにしてみれば、倒幕の大号令の発令の阻止に動いたのであり、職務に忠実だったと言えよう! が、しかし! これは、新撰組の独断専行であり、幕府とは一切無関係である! その証明の為に、新撰組局長を解任し、暗殺に加担した新撰組副長及び組長数名を斬首、新撰組は即刻解体! 既に捕縛され、現在獄中にある、幻蔵法皇様暗殺の首謀者坂本賀星を公開処刑する!〃         


 新撰組の解体。それは伊勢守が目論んでいた事であった。新撰組は、異端服改方と共に、世界中で恐れられていた存在である。全ての人間が御洒落《おしゃれ」の出来る世界を構築しようとする倒幕の志士達を斬り捲る新撰組は、女性達にとって憎悪の対象であり、曾ての新撰組が、幕末の京都で芸子げいこ達に人気があったようにはいかなかった。女性の価値基準が美しさのみで定められ、幕府の法度はっとに即した服装しか容認されないこの社会にあって、たとえ彼らにとっての正義があろうとも、新撰組はただの殺戮集団、女性の敵でしかなかったのである。 だが、その新撰組が解体される! 女性達はそれを手放しで歓迎した。

 伊勢守が新撰組に送り込んだ部下の実闇に法皇暗殺をさせ、その大罪を坂本飛鳥と新撰組にかぶせる。

 志士討伐の綸旨りんじ。後幻蔵法皇の暗殺。新撰組の排除。『開服の志士』リーダーの処刑。鎮守府ちんじゅふ艦隊の大半を失った事を除いて、全ては伊勢守の筋書き通りに運んだのである。

 斑鳩の乗員は、言葉を失っていた。アニエスの立体映像は幕府側が偽造したものであるという事は、九条達が一番よく知っている。だが法皇暗殺に関して、この伊勢守の発表が真実であるのか虚構であるのか、彼らに確かめる術はないのである。


 ベベルゥは、伊勢守の言っているシナリオをそのまま信じてしまっている。


「宮様っ! 本当に法皇様を殺したのが誰かは知らねえけど、私達の帝はあんな事口が裂けたって言わないよっ! そ、それだけは信じてくれよ! なぁ!」


「戯の言う通りです、宮様! 決して帝は-」    


「藤壺さん。す、少しの間、僕だけに、してくれま、せんか……」


 ベベルゥは正座した膝の上に置いた拳を握り締め、前髪で顔を隠しながら呟いた。

 声を掛けようとする御法みのりの肩に手を置いた戯が、首を横に振る。


緑扇宮りょくおうぎのみや様。これだけはわかって下さい。あなた様はメゾンアニエス=VE-DAの東宮とうぐうなのです。それをお忘れなさいますな」


 スーッと障子しょうじが閉められ、五更衣ごこういの影が障子越しに見えなくなったのと同時に、ベベルゥの瞳から、大粒の涙がせきを切ったように溢れ出した。


「……あふっ! うっ、えぐっ!」 


 茵辱の上に零れ落ちる涙。ベベルゥは心の中で何度も幻蔵の名を呼んだ。確かに幻蔵は死んだのだ。夢でも何でもない。現実なのだ。自分にそう何度も言い聞かせた。

 と、その時、何やらドタドタと騒がしい足音がこちらに向かってくる。ベベルゥはハッと顔を上げ、ゴシゴシと涙を拭って、障子の方を振り向いたその時!

 バゴーンッ! と、ベベルゥの左側のふすまが吹き飛び、それがベベルゥの頭上にぶっ飛んで来たのだ。そして、見事その襖がベベルゥの頭に突き刺さる。頭クラクラ、お星さまキラキラリン状態のベベルゥの前に、一人の少女が現れた。




「な、何だ、き、きみはっ?!」




 何だ、ちみはってかぁ!




第26話 了

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