第23話 アフター・ウォー
幕府艦隊は事実上壊滅状態にあり、その隙をついて紫京の志士達を乗船させた薩摩と長州艦隊も、紫京の北西にある秦薇山(旧ビェーラヤ ノーチ山)の裏側にある秘密基地から発進し脱出を開始していた。
鎮守府艦隊の残存艦船は戦艦十隻に空母五隻、重巡洋艦十一隻、軽巡洋艦八隻、駆逐艦二十隻。当初の三分の一である。撃沈された艦船百隻以上、蘭蛇帝に至っては、何百機損失したか計り知れない。
乗員の半数以上が精神に異常をきたし、残存艦船の戦闘能力さえ奪われている。そして、それはたった一機の蘭蛇帝によるものなのだ。
新撰組戦艦壬生と合体している幕府超弩級戦艦舞鶴-弐の丸-の司令部艦橋で
は、伊勢守より指揮を任された舞鶴-弐の丸-留守居、即ち舞鶴-弐の丸-艦長
のジャン=武蘭虎守=マウァー准将が、集結する残存艦隊からの被害状況等の報告を受けながら具体的な命令を飛ばしていた。
だが伊勢守自身は舞鶴-弐の丸-内部の典型的な書院造りの十二畳の香室で、
床には花鳥山水の掛物、床脇には見事な
伊勢守は
亜慶奈 「老中方から報告を求める通信が司令部の方に入ってきているようですが-」
「……放っておけ。亜无羅の覚性と引き換えなら、百や二百の船が沈もうと安いものだ」
伊勢守はそう言い放つと、蒸気が出る事で香りをよくたたせる為に沸かしてあった釜から湯を汲み、これも優雅な所作で茶を立て始めた。
珠輝 「幕閣への報告はどう致しますか」
「全ては上様の意志であり、ラ・ムーの意志でもある。亜无羅の覚醒は、人類美化計画にとって必要な事だ。口出しはさせんよ」
「はっ」
「日本の北海道・摩周湖に代わり、世界一の透明度を誇るバイカル湖は手に入れたのだ。後は亜无羅の中に眠る、堕天神ルシフェル、いや孔雀明王が流した、七つの甕に満たされた涙、悲しみの
茶を立てる伊勢守の所作によって生じる追風が運ぶ香気が、更に主美怒達の鼻孔を
吐息が漏れた。その頬は紅潮し、躰が小刻みに震える。伊勢守が調合した薫物の効果だった。催淫性の芳香性
既に幕府は、二十世紀末葉、嗅覚・味覚専門研究機関である米国フィラデルフィアの『MCSS』が出した、「男性の、性誘引物質である性フェロモン(Δ16・アンドロステン類=アンドロステノンやアンドロステノール)を、月経周期異常の女性に嗅がせ続けると、
即ち、女性の月経周期を乱す効果のある芳香分子を、幕府がデザインし販売する衣服の繊維に分子レヴェルで封じ込め、着用した女性にその香を強制的に常に嗅がせる事で、月経周期を乱し、更に生理そのものを停止させてしまおうとしていた。勿論、人口抑制の為である。
勿論
伊勢守は、主美怒達が、口から涎を流しながら悶え続ける中、唯一人、己は平然と茶を立て続けていた。
そう、彼だけは平然とだ……。
六波羅の『無香空間』に包まれ、無香航行を続けている斑鳩は、ハンガイ山脈、アルタイ山脈を越えゴビ砂漠上にあった。モンゴル人民共和国から中国寧夏回族自治区にかけての地域はメゾン サリ=サナエの管轄下にある。
斑鳩の
斑鳩の格納庫甲板には三つの区画があり、右・左近衛府蘭蛇帝格納庫デッキとこの中央格納庫デッキは、一番奥で連絡通路により繋がっている。
その中央格納庫デッキに、蘭蛇帝アマデウスの機体が横たえられていた。その脇には、半壊状態の青い蘭蛇帝がある。
ギャッツビー達左近衛府の人間達が、その青い蘭蛇帝の子宮ハッチを開け、子宮内に充満する一次冷却水を真空ホースで抜き取り、無形態傀魅の取り出し作業している側で、アマデウスからの緑扇宮ベベルウ救出作業が、九条や悠紀宗・早紀宗親子達太政官と五更衣達が見守る中、J・J達によって行われていた。
コクピットの下半分は、スライム状の物体で覆われ、それがベベルゥの全身をも包んでいる。
「大丈夫じゃな。癒着はしておらん。J・J、ゆっくりと持ち上げてみろ。そぉっとじゃぞ」
J・Jと藤の中将がベベルゥの両脇に手を入れて持ち上げると、ずるり、とベベルゥの体がスライムから抜け出た。白い布で包まれたベベルゥの躰は担架に乗せられ、五更衣達に付き添われながら、J・J達により典薬寮に運ばれていった。
残された問題は後一つ。ベベルゥを取り込もうとしたスライム、いや形状記憶スライムである。このスライムが、蘭蛇帝を起動させる莫大な
九条は、青い蘭蛇帝の子宮から無形態傀魅の引き揚げを終えたギャッツビーと醍醐中将を呼ぶ。二人が、アマデウスの子宮のハッチを外側から開いた。
キシャン!
金属音がして、帝王切開よろしく腹甲部分にある
「!」
この場にいる九条、悠紀宗、早紀宗、それにギャッツビーと醍醐は我が目を疑った。水の中に揺ら揺らと
ソレハ、タシカニ、ニンゲンノ、ケイタイヲシテイル……。
「ど、どういう事だ?! アマデウスのグミは無形態グミであった筈……。ま、まさか、こ、この少女は宮様の記憶から産み出されたグミなのかっ!」
早紀宗が叫ぶ。
「……」
九条は、水の中のこの少女の顔を
「此処で見たものは、一切他言無用。よいな」
低い声でそう念を押す。
子宮内部を覗き込み驚愕する九条の流麗な白磁の艶を持つ肌に映った、
「九条様。亜无羅とは一体……」
九条は早紀宗の質問には答えない。
(……この少女が、ムー伝説の亜无羅なのか……)
傀魅は特殊なスライムである。傀魅は体内に、ある生命体を取り込んだ場合、取り込んだ存在の穴という穴から体内に侵入し、大脳連合野側頭葉や大脳辺縁系アンモン角など記憶を掌る部位にアクセス。と同時にDNAを解析、この相手の遺伝情報や記憶情報の全てを瞬時に分析するのだが、優良なる遺伝子、記憶を持ったものと判断した場合、取り込んだ生命体の全記憶の中で占有率が一番高いもの、即ち一番大切なもの、無償の愛を捧げられるものの姿へと変容する。
これは、一種の自己防御手段であると言われる。昆虫が敵対者から身の安全を図る為に他の何かへ
メゾンはこの傀魅を利用して、傀魅
特定温度下で何らかの生物の形状を記憶(DNAを注入)させられ、変体した傀魅は、高温に晒す、例えば熱いお風呂に入ったりすると元の状態に戻り、再び特定温度にすると、DNA覚醒を起こし、細胞超弾性により再変体するのである。
アニエス=ヴェーダ専属魔奴宦である藤壺、戯、御法、簾=歌と簾=能達、五更衣や、 伊勢守専属魔奴宦主美怒、更に世界の各藩には、
伊勢守は主美怒達に多くのDNAを注入し、実験を行い、最も美しい傀魅を作り上げようとしていると言われる。
また傀魅は全ての種へ変体出来るよう、常に全て種類の蛋白質を合成し続けているのだが、それにより合成された低分子蛋白質を触媒として、高分子発光蛋白質『エクオリン』が、傀魅を生物発光させている。そして、自ら創出した光能量の一部を化学能量に再変換し、そこから電気能量を創出するのである。
その傀魅の光・電気能量創成系統を利用した機動兵器こそ、
通常一般の蘭蛇帝は殆どが無形態傀魅を生体発動機としている。傀魅を人型に変体させた場合、その傀魅がいない時には蘭蛇帝が起動出来ないからである。
メゾンアニエス=ヴェーダが、デザイナー交代する前、即ちメゾン幻蔵であっ
た時代、服飾部門メゾンを頂上として形成されるヒエラルキー型巨大複合企業の一部である兵器開発部と生物工学部が協力して最初に開発した試作型蘭蛇帝アマデウス。
まだ、アマデウスが作り出された本当の意味を知る者は、今アマデウスの子宮の中で、眠るように揺蕩う美少女を見つめる九条達の中には誰もいなかった。
(亜无羅……。彼女が、自ら宮様を呼び寄せたというのか……)
九条御息所は心の中で呟いた。
第23話 了
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