第17話 ミリアム ド・ローゼンクライツ……



〃九条様! 方位1-0-1、距離3500にヴァロアの香電磁反応!〃  


 沈香と更紗の鼻が、帝の蘭蛇帝ヴァロアの発する香電磁結界の香を捕捉した。三時間前、石垣島沖で沈香が捕捉した、正にその位置、北緯54度・東経110度、バイカル湖から東にやや離れた位置である。


「帝の蘭蛇帝が見つかったって?!」


 アニエス=VE-DA専属魔奴宦である五更衣が、戯を先頭に雪崩なだれうつように紫宸殿に上がって来た。


「お前達、緑扇宮様の看護を命じておいた筈だぞ」という早紀宗の叱正しっせいに、


「宮様ならまだぐっすりおねんねしてるから大丈夫にゃん!」と、御法が答えた時、緊急発進したギャッツビー達左近衛府の蘭蛇帝が、その目標地点上空に到達し、その山中の映像を捕らえた。

 斑鳩に送信されたその映像を食い入るように見つめていた五更衣の間に悲鳴が起こる。そこにはヤブロノイ山脈の中腹に墜落している半壊した蘭蛇帝が映し出されていた。


「帝ぉっ!」


「まさか、紫京で始まった戦闘に巻き込まれてっ?!」 


 戯の言葉通りの不安が、紫宸殿の殿上人全員の脳裏に過る。

 ギャッツビー、醍醐中将、あいの少将らにより回収されたその半壊した蘭蛇帝が斑鳩に収容されるのを左近衛府格納庫甲板で待つ、紫宸殿から降りてきた艦白九条、前右大臣天時悠紀宗、左大臣天時早紀宗、それに、藤壺、戯、簾=歌、簾=能、御法達五更衣、それに創香頭沈香。

 だが、彼女達が見守る中着艦した半壊状態のその蘭蛇帝は、


「ヴァロアではないっ?! 一体どういう事だ!」


「九条様。この様子では恐らく自爆したのではないかと」


 ギャッツビーが九条に告げる。

 青色の蘭蛇帝。そう。首がなく、右腕、左脚が爆破されたように吹き飛ばされ、無残な姿に成り果てているものの、その蘭蛇帝は紛れも無く新撰組が追跡途中で逃げられた、あの青い蘭蛇帝であったのだ。勿論、九条達はそんな事は知らない。今彼女達が知ったのは、目の前にある半壊した蘭蛇帝は、今上帝アニエス=ヴェーダ専用蘭蛇帝ヴァロアではなかったという事実だ。だが、


「この残り香は、間違いなくヴァロアの香電磁結界を形成する帝専用の香水『N゚-01 光源氏』ぢゃ! この沈香が、何万種類という成分で調合したこの香をヴァロア以外の蘭蛇帝が使用するなど考えられん!」 


 と、叫ぶ沈香。それは、その『光源氏』を調合した本人だからこそよくわかるのだ。


「いや、誰かがその調合成分の秘密を漏らした、とも考えられる」


「では、早紀宗殿! この斑鳩に幕府側の間諜が忍び込んでいるとでも?」


 そう言う藤壺に視線を向けた九条は、周囲で激論が交わされる中、一人 沈思ちんしする。


(どういう事だ……。法皇様を戴いての紫京での挙兵。法皇様の暗殺。そして、紫京で始まった新撰組との戦闘。新撰組戦艦壬生に追われる帝のヴァロアの香電磁反応を捕捉し、このバイカル湖まで追跡してみればその香りの主はヴァロアではなかった……)


「ま、まさかっ!」


 と、九条がそれに気づいた時には既に遅かったのだ。


「ビシャモン級蘭蛇帝、5機撃墜されました!」  


「紫京南部に展開中の対空戦車ボナパルト部隊全滅!」


 大統領府地下、軍最高司令部内に響く報告は皆自軍の戦況不利を知らしめる報告だった。


「諸藩は未だ動かずか!」と叫ぶ大統領の顔は怒りで紅潮していた。


 国境とは別に60余の区画に分割された世界地図が投影された右前部巨大モニターに点灯する輝点に動きはない。幕府への宣戦布告、そしてこの戦闘の様子も中継放送されており、必ず見ている筈だ。だが、動かない。当然である。見ていないのだから。


「うぬぅ……! 世界はこれでも動かぬのかっ!」


大統領の顔が苦痛で歪む。   

 と、その時だ。モニター上、それもこの紫京より北東数㎞の地点に夥しい数の輝点が、突如次々と点灯した。その百数十以上!


「どうしたっ?! 何が起こった!」


 と、バイカル湖上空彼方此方で点灯する輝点を目で追いながらそう言う大統領の言葉に、下士官が


「望遠監視カメラ映像、モニターに映します!」


「な、何だとっ? あ、あれはっ!」


 その映像に、大統領の言葉は絶叫する。


 幕府超弩級戦艦舞鶴ぶかく


「-だというのかっ!」


 真木は瞠目どうもくしてモニターに釘付けになった。

 それは白鶴どころか漆黒にそびえる空の城が、空間の歪みの中から出現したのだ。

 幕府超弩級戦艦舞鶴、その弐の丸である。だが弐の丸といっても全長7㎞、全幅2.8㎞、全高3.5㎞。槍の穂先型の異様な黒い塊が、二十世紀までの物理法則を全く無視して中空に浮揚しているその姿は、半壊した高層ビル群の下で逃げ惑う紫京市民の足さえも止めた。

 舞鶴-弐の丸-に続き、その虚空から次々と、合計130隻以上もの幕府艦隊が鶴翼の陣形を取って現れたのだ。


 『PUSUS(香電磁波監視システム))、レーダーは元より反応してない。正に時空歪曲航法としか言いようがなかった。が、そうではなかったのだ。



 瀬那羽「消臭イオン散布停止。『NSフィールド(無香空間)解除」


亜慶奈「第一次シースルー装甲、透明化インビジビリテイー及び、EMCON(電波発射管制) 解除完了」


 幕府超弩級巨大戦艦舞鶴-弐の丸-の司令部艦橋で、鷹宮家伊勢守専属傀魅魔奴宦主美怒が、その背後に座している伊勢守に次々と報告をする。


「伊勢守様。今宵の香、調合は如何致しますか?」


 珠輝が、伊勢守に伺いを立てる。


「ゲラニオ-ル(薔薇系の香の主成分)とリジノール、フェニルアセトアルデヒドに、グリーンノートとしてシス-3-ヘキセノールを加え、n-ヘキサナール及び、酢酸イソアミルを微量加えよ」


「はっ。それで、この香水名は?」


「……『薔薇十字のマリア』」


 ヘブライ語でマリアとはミリアム……。





第17話 了

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