第10話 既製服ライン国家として……


 因みにプレタポルテは既製服ライン。特注服をオートクチュールというのは言うまでもないが、此処では既製服ラインを製造する国家メゾンとして位置づけられる。


「プレタポルテ国民、並びに世界各地から集まった倒幕の志し厚きの志士達よ! 皆が待ち望んでいた時が漸く訪れた! 今世界の民は幕府により苦しんでいる! 全ての人種のファッションモードは『御洒落諸法度』により完全管理され、身分が美のレヴェルによって定められる! 人の価値は容姿が美しいか否かだけで判断されているのだ! だがそんな幕府支配も、もう終わる! 否! 終わらせねばならぬのである!」

 


 緋色の外套を翻し、大統領がその腕を青天白日の空へ高々と突き上げると、その演説で漸増していった観衆のボルテージは頂点に達する。

                     

「我々に、いや全世界の、全ての生きとし生けるもの達に、常永久とことわの『御洒落御免状おされごめんじょう』を御下賜ごかしして下さるそのお方こそ、此処におられるさきの幻蔵帝、後幻蔵法皇陛下であるっ!」

 大統領の演説を受け、緑扇りょくおうぎルゥ、即ちベベルゥの祖父のゲンゾウ、いや後幻蔵法皇は、自分の専属 魔奴宦マヌカンヴェロンナ達に優しい笑みを投げ掛けると、ステージ中央に歩を進めた。

 いよいよ倒幕の密勅が口宣くぜんで号令されるのだ!


(これでよい・・・・・・。わしが倒幕のみことのりを発しなければ、いずれアニエスがそうせざるをえなくなる。これでよいのだ。もし倒幕軍が敗れても、下居おりいとなったわしなら何処ぞに配流はいるされるだけですむのじゃから……。すまぬな、ルゥ……)

 ゲンゾウは大群衆を前にし、心の中で呟いた。

(……カイル=ルガーフェルドよ。お前が法秩序でもって保とうとしている美のバランス。だが、このままでは間違いなく人類は滅びるぞ……。じゃから、わしはお前を……)

 


 何故女性は綺麗になりたいのか。それを学問的に言ってしまうのは簡単じゃ。生殖行動を行う為の、異性に対してのアピール。生殖行動のプロセスにおいて、男性に対する女性側の初次的働きかけ、これは自然の摂理じゃ。

 美しいものがより多くの異性を魅了し生殖行動を営み子孫を残す。究極如何なる外的圧力のかからない自然状態において、種族絶滅を絶対的回避する為の自然摂理の生殖に関連する一連のプロセスの初次的段階である異性に対しての生殖欲求。

 それを起こさせるのが、その種族の普遍的美、普遍的香、普遍的行動であり、それが異性に性衝動を生じさせる。 

 じゃが人間の場合、異端とされる美そのものを排除していく自然淘汰のプロセスに逆らうような、美意識の拡大が行われているのもまた周知の事実じゃ。

 例えば、今日びの女子高生や大人の女性が、男から見てどこがかわいいんだと思えるものや人間にまで『かわいい!』と歓声を上げるのは、本能的に女性が母親であるからじゃ。

 「可愛い」意識の拡大、「愛する事が可能」意識の拡大。外面的、内面的差異に関わらず、本来母親は子供を愛する事が出来る。進化心理学的に言えば、人間が『自由』を得た事に対して、自然は、宗教的に言えば神様は、女性の「可愛い」意識を拡大させ、決して母親が子供を放棄しないようにしたからじゃ。

 美意識についても、たとえ普遍的美から逸脱していても種族絶滅の絶対的回避プログラムに、マニア、即ち、異端的美という普遍的美意識と逸脱するものを嗜好する異端的存在が不作為に生じる為の一行を加えた。

 太めの女性を愛する男がいるように、自由によって様々に分化した個々の美意識-個々の生活環境や美的体験によって形成されたもの美的趣味判断-が普遍美ではないものをその個々にとって美しいと感じる事が出来るようにしたのじゃ)


 正に近代美学の根本問題は、『その普遍美なるものが存在するのか?』、『普遍美(絶対美)と相対美の対立』であり、哲学者エマニュエル・カントの美学は、『美』の客観的絶対性と『美的体験』の主観的相対性との対立を『Urteilskrft(独)』、即ち『普遍(美)の下に特殊(美)を包摂する判断力』で調停しようとした。

 エドモンド=バーグは、醜ささえ時に美になりうる可能性があるとし、その美的価値の変質の代表たるものはボードレールの醜の美学である。

 これは私見だが、その美的感覚の変質は進化心理学的に説明がつくと思う。つまり、たとえ高等動物が大脳を発達させ、神という名の自然摂理に反する(子供を放棄するような)自由を得た時でも、自動的に組み込まれた種族絶滅の絶対的回避プログラムにより、普遍的美と異端的美、人間は総体として二律背反する両方を愛する存在になった。

 人も動物である以上、我々は本能的に普遍美を追求する存在じゃ。男性は己の遺伝子を後世により多く残す事が出来る普遍美の遺伝子を手に入れる為に。女性は普遍美を獲得する事により、己とその子供、遺伝子を他の外敵から護ってくれる、より強い遺伝子を持った男性を探す為、より多くの男性に性的魅力を感じさせる為に、普遍美を求める)


 嘗て『タイム』誌にその著書『モラル・アニマル』が紹介されるや否や全米に物議を呼んだ進化心理学者ロバート・ライトの言葉を借りれば、『女性が遺伝子によって受け継いだものを充足させるには、妊娠させてくれる男と、自分や子供の生活を支えるに足る経済力を持った男の二つが必要である』という。


 女性が結婚相手に年収一千万以上を求めたりするのも、この金さえあれば殆どのものを手に入れられる現代に於いて、己とその子供の暮らしをより快適なものにし、自分達の遺伝子がこの競争社会に残る確率を高めんが為に心理の襞に埋め込まれた欲求であり、それは進化心理学的にも正しい事なのじゃ。

 じゃから一般的に女性は、高年収の結婚相手をゲットする為に、普遍美に近づこうとする。スーパーモデルのように完璧なまでの美を求め、それを真似たメーキャップ、ヘアースタイルに変え、服、装身具を纏いお洒落をし、また誰もが振り向く美しい女性に身体的に変貌する為に、ダイエットをし、エステに通い、整形外科の扉を叩いたりもする。

 普遍美に対する憧憬。普遍美に対するコンプレックス。女性の普遍的美に対するコンプレックスが醜形恐怖を生じさせ、それが女性を美に執着させるのじゃ。




 昔整形手術に失敗した寿お世が口まで裂けた姿で、ポマードと言うと逃げるという口裂け女の伝説が著者の小学校時代(1970年後半から1980年代前半)に流布した。

 私って綺麗と他人に評価を求める存在が自分で鏡を見ない事で、他人の評価と言葉と態度で自分の美を価値つけようとする恐怖は、お世辞を云う事の恐怖に繋がる。

 自分がお世辞を相手に言う事でその存在が自信を持って、相手にストーカーするパターンの恐怖都市伝説。




 それに伴い、女性にある心理が生じてくる。どうしたって普遍美になれない絶望。普遍美を持つ女性に対する嫉妬。怒り……。このままエスカレートすれば、それは自我崩壊に繋がる。精神の崩壊。そこから脱出する方法は二つ。諦観的自己愛と、もう一つが生殖相手の出現だ。大体人間はある程度の自己愛を持っている。じゃが、『他人はどう言おうと自分は綺麗よ』という主観的美は脆く、砂上の楼閣のようなものじゃ。何らかの機会で普遍的美、絶対的美(例えばスーパーモデル等)と自分を比較した時、その自己愛は微塵に吹き飛び、そこに生じるのは耐え難い絶望と、普遍的、絶対的美に対する怒り。

 そこで、諦めるのだ。確かに自分は絶対的に綺麗というわけじゃない。ある部分自分は綺麗じゃないと感じている事も自分で理解している。だけど、此処は可愛いじゃない? 結構私ってばいいじゃない。そんな自己を発見した時、諦観的自己愛で自己認識出来た時、無明の闇は一時的に消える。

 そして、もう一つ手っ取り早い方法。それは恋人や結婚相手を見つける事じゃ。全く独り身であるという事は孤独じゃ。自分の遺伝子を残せない。己の存在の全き抹消。

 これは男性の例じゃが、凶悪犯罪者は独身のパーセンテージが圧倒的に高い。だが、そこに恋人が出現する。人生は忽ちバラ色に変わる。恋人。結婚相手。生殖相手。自己の遺伝子が残せる! そしてそれは、



 X・・・『綺麗な者が生殖相手を見つけて遺伝子を残せる』(大前提)

 Y・・・『私は遺伝子を残せる』 (小前提)

Z・・・『私は綺麗』 (結果)



 というアリストテレスの三段論法から、絶対的に正しい導出関係において『私は綺麗!』という実践的確信を引き出すのじゃ。その自己欺瞞的な論理的真理が心理的充足感を齎す。

 しかしそれが、次第にセックスレスになったり、男性の浮気が発覚したりした場合や、恋人が他の美女に目を奪われたり、中々プロポーズしない時、『私は綺麗』という心理は崩壊し易く、再び普遍美や若さに対するコンプレックスと共に、『棄てられる』、つまり男性が自分の許を離れ他の女性に走る、経済的基盤が崩れる、その為に子供がより強く成長出来ないかもしれない、即ち遺伝子の保存の危機、その不安が生じる。その不安を解消させる為に、たった一人、そう、愛する夫や恋人、自分に一番近い他人の客観的美意識による裏付けが欲しい。

 それが、『綺麗だよと愛する人に言って欲しい』という女性の欲求であろう。



 人妻は「綺麗だよ」という言葉に弱い。人妻は金で男を買おうとする。



 実践的確信『私は綺麗』の根底に横たわる『普遍美ではない』という意識があるからこそ、自分の容姿に何らかのコンプレックスを抱いているからこそ、他者によりその自分のコンプレックスを否定して貰う事によって、再びコンプレックスの解消を願うのだ。今度は諦観的自己愛、自己欺瞞的な論理的心理といった主観ではなく、客観の美を求めるのである。

 だからお洒落したい、綺麗な服を着て、客観的により自分を綺麗に見せたいのじゃ。進化心理学的に言えば、普遍的美に引かれるのは動物として当然じゃ。それが一番自己の遺伝子をより多く次世代に伝えられるから。

 女性はより普遍美に近く美しくあろうと肉体改造をしたり、ブランドを纏う事によって己をそのブランドに同化させる。また、他の生物より美の個体差が激しい人間が進化の過程で獲得した美意識拡大、異端美を愛する心理が、普遍美を持たない者を救済する。

 全ての心理が、ただ繁殖という種族保存を目的とする合目的的の進化によって決定されたものなのじゃ。もし、性欲の後押しを受けた妥協という名の『美意識拡大』の心的作用が大脳に備わっていなければ、また女性が『綺麗と言って貰いたい』為に『綺麗になりたい』という欲求を持たなければ、種族としての繁殖能力が著しく低下する事は否めないじゃろう。

 という事は、女性が自分をより性的に魅力ある女性に見せようとする事を制限してしまえば、意図的にその繁殖を抑制出来るのではなかろうか。男は綺麗なべべ着てる女性のそのべべを剥いでやりたいとは思えど、粗末なぼろ服を着て汚れた肌をした女性のその服を剥ぎ取りたいと思う男性は一般的にまずいないじゃろう)


 因に思うに、『男は上婬を好み、女は下婬を好む』と言われている事は、歴史上ファッションモード界の主役が王侯貴族や富裕な者達であり、大多数の民衆が服飾の規制や実質的にお洒落の出来ない状況が生み出した嗜好ではないのか。

 男は、身分の高い女の綺麗な服を剥ぎ取り、裸にしたいのだ。『チャタレイ夫人の恋人』のように、身分の高い女性は、粗野で野性的な使用人、汗臭く強烈にフェロモンを撒き散らすそんな男に性的魅力を感じるのだろう。


 幕府側、カイル=ルガーフェルドはそれを利用して、危険と思われる藩の支配地域の民には、華美な服、男の性欲を促進させるようなボディコンシャス系の服、もっと正確には肌の露出度15%以上の服の着用を禁じた。それにより、男性の性的欲求を抑え、出生率の低下を起こし、人口増加を抑制出来るからじゃ。

 また逆に或る藩には、露出度の多い服をデザインさせたり、古来ヨーロッパでもそうだったように女性の胸を露にさせ、胸を隠す服の着用を禁じる事により、男の性欲を刺激させ、その藩領に強姦等の性犯罪を故意に増大させる。

 そして、治世の乱れを理由にその藩を改易する。『美しい者は美しい服を、そうでない者はそれなりの服を』、『人はその存在の有り様に似合うものを身に付けなければならない。自然に見えるものを着ろ!』という、一見して真理にも思える幕府大綱の裏で、幕府はファッションモード界を都合のいいように操作しているのじゃ!



 十九世紀、理想主義的社会主義を唱導したオックスフォード大学教授で美術・社会批評家のジョン・ラスキンは、初夜の晩、妻の恥毛にショックを受け、それ以後死ぬまで女性と性交渉を持たなかったという。

 女性に完璧なまでの普遍的美を求めた時、現実の女性と観念の女性のギャップから、男性の性能力の減退化が起きるだろう事は想像に難くない。自分の子供に普遍美を求めた時、現実に産まれてきた自分の子供とのギャップが、母親に子育てを放棄させてしまう可能性。人間が種族保存の為に持つ『愛情』という名のプログラムが、美意識の一極化により破壊されるのじゃ。

 美のバランス。これが崩れると間違いなく人類の存亡に関わる。美意識の一極化。即ち、全ての人類が異性に対して絶対的美を求めるようになったら。普遍美を持った絶世の美女にしか性的興奮を抱かず、それ以外の、普遍美を持たない女性を女性として認めないようになったらどうなるじゃろう。

 もし女性が、普遍美を持った男性だけしか性交渉の相手に選ばなかったとしたら、世界はどうなる? 絶対的美を持たぬ大多数の人間は子孫を作る事を許されず、淘汰されていくじゃろう。そして遺伝子の不思議か、美と美の結婚でも生まれた子供が、必ず絶対美を持つとは限らない。そのようにして、人類は必ずその数を激減させる事になるのじゃ。

 美しさは一つではない。様々な美しさがあっていい。様々な美意識があっていいのじゃ。じゃから、ファッションモードは一つの美しさだけを追求してはならない。色々な美しさの有り様を、世界に提示しなければならない。それだけに、ファッション・モードは全人類、長命種族等の亜人種、いや全ての生きとし生けるものの絶滅に関わる重要な役割を担っているのじゃ!)



 後幻蔵法皇の内なる叫びが、今全世界に倒幕の大号令として響こうとしていた。


 


第10話 了




次章 紫京動乱

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