第3話 紫乃武……
「……それで、紫乃武の容体はどうだ」
新撰組戦艦壬生の
壬生は青の蘭蛇帝を見失った地点より東1200㎞程にあるバルハシ湖、その水中に巨躰を沈めている。水中ならば、レーダーや香による敵側からの探知は不可能だからである。
「額の裂傷以外は、全身に軽い打撲がある程度で命に別状はないそうです」
真木に報告した二番隊組長也静、三番隊組長宇堂以下、各隊の隊士総勢36六名の屈強なる
聖衣大将軍にデザインされたその衣装は彼ら新撰組の象徴であった。この羽織に袖を通すだけで、彼らの心に正義を愛する心と、自分達は正義を行っているのだという絶対の自負を与えてくれる。
『正義は必ず勝ぁつっ!』という熱血アニメの完全無欠のお題目を地で行く彼ら新撰組。だが今の彼らにはそんな自信を微塵も感じられない程に意気消沈していた。それはそうだろう。先程のあの戦闘に参加したものなら、誰でもそうなるに違いなかった。だが宇堂だけは他の隊士達とは違い、彼の心には怒りが渦巻いている。
「副長お願いです! 私に出撃の許可をお与え下さい! 紫乃武の敵討ちをっ!」
一人でいきり立つ宇堂。そんな宇堂を諭告するように、真木は静かな口吻で話し始めた。
「……修理奉行の報告では、紫乃武のメルクルシオンのダメージは、装甲を薄く傷つけられただけだそうだ。だから紫乃武自身が大した怪我を負わなかったのは当然と言えるだろう。わかるか? …つまりこれは奴は態と紫乃武に致命傷を与えなかったという事を意味する」
「態と?! 何故ですっ!」
「わからないか。これは奴の警告だ。これ以上追ってくれば、今度は容赦しないというな」
「ぐっ……!」
先程の龍化した青の蘭蛇帝の戦闘能力を了知している宇堂は、苦虫を噛み潰したように口元を歪ませたが、
「しかし副長! 奴をこのままにしておくつもりですかっ?!」
「焦るな宇堂。奴が向かう場所はプレタポルテしかないのだ。紫乃武の敵討ちをしたいのなら、時を待てばいい……」
プレタポルテしかない? 一体どういう事だ? 不得要領な真木の言葉に疑問を抱いた也静がそれを問い質そうとした時、先程から真木の周囲から漂う香気に、聞き覚えがあるような感覚を覚えた。
(この香りは……)
「以上だ。本艦は二三三0時にプレタポルテに向かう。それまで第二戦闘態勢で待機!」
「副長!」
「也静聞こえなかったのか。以上だ。解散していい」
也静は言葉を失い真木に敬礼したが宇堂だけは両肩を震わせ、強く拳を握り締めた。目線を落として床を睨めつけている。
そんな宇堂も、「行くぞ宇堂」という也静の言葉に拳を解いて敬礼、退出していった。怒りで震える宇堂の背が自動扉の外に消えるのを待つようにして、真木はフーッと長嘆息すると、サブキャプテンシートに戻り、傍らに置いてあったマーブル模様が美しい 『レイジースーザン』の香水瓶の蓋を開け、その香りを聞いた。青の蘭蛇帝に匂い付けしたその香りだった。
弾頭部分に香水を入れたミサイルが目標に衝突して爆発すると、その香りが目標に匂い付けされる。そして、その香りの成分値を発射管制システムに入力する事により、第二波に発射された誘導ミサイルは自動的にその香りを持つ目標を捕捉、爆発するまで追尾するのだ。また一度匂い付けしておけば、香りの持続時間が消滅するか、匂い付けされた香りを打ち消す強い香りを付けるか、消臭イオンで香りを消滅させるまで、その目標が何処へ逃げようとその追跡が可能なのだ。
実際新撰組は昨日の深夜フランス・パリスから飛び立った青の蘭蛇帝をアペニン山脈で待ち伏せて奇襲を掛けた時、その第一波ミサイルで青の蘭蛇帝に匂い付けをした。
青の蘭蛇帝が香電磁フィールドを張れば、その間は匂い付けされた香を相対消滅させる事も可能だが、逆にそれは己の位置を相手に了知させる事になる。匂い付けされたとは知らない青の蘭蛇帝はそれを恐れて香電磁フィールドを張らずにいたが、結局は、張っても張らなくても新撰組に追跡される結果となった。
そして新撰組は今日の夕刻プレタポルテまでもう少しの地点で、二度目の攻撃を掛けた。で、ああいう結果になったのである。
だが始めに奇襲を掛けた時、その気になれば青の蘭蛇帝を撃墜する事も可能だった。宇堂は上奏したがそれを却下した真木。宇堂や紫乃武、也静は
「
通信士にそう言い残した真木、そのシートがそのまま上昇、天井の艙口が開き、真木の姿はその中へと消えて行く。
「どうも今回の作戦は解せん事が多すぎる」
第三居住区画通路を宇堂と歩いていた也静が呟くように言うと、宇堂が壁を殴りつけた。
「解せんのは副長だ! 俺達に何か隠してやがる!」と怒鳴り、再び壁を殴る。
「私もそう思うが……。なぁ、宇堂。お前は気づいたか。副長が持っていたあの香水に」
「香水だと?」
「そうだ。あの香りは、確かアニエス=VE―DA。それも今上帝アニエス陛下の蘭蛇帝が発する香電磁結界のもの……」
「じゃあ、何か? あの青の蘭蛇帝に聖皇様、帝が乗っているとでも言うのか?」
「まさかな。 いや、俺の勘違いかもしれん。忘れてくれ」
「そんな事より、紫乃武だ! 医務室に行って-」とまで言い掛けた宇堂と也静の耳に、通路前方の食堂から、若い女達の声に交じって聞き覚えのある笑い声が……。
「アハハハハッ。ね、これ面白いでしょ?」
「ウフフッ。おもしろ~い!」
宇堂と也静は駆け足で食堂に入ると、そこには若い茶汲女達に囲まれた紫乃武がいるぅ!
「し、紫乃武っ! お、おまっ、こんな所で何やってるんだっ?!」
「あっ! 宇堂さんに也静さん! お二人もこっちで一緒にやりませんか」
「こっちで一緒にやりませんか、ぢゃないだろっ! 医務室で寝てなくてもいいのかっ!」
ズカズカと床を踏み鳴らすようにして、紫乃武達の座るテーブルにやって来た宇堂。紫乃武の躰を気遣っての宇堂の物凄い見幕に「ひえ~っ!」と脅える茶汲女を也静が宥め、紳士な口調で退席させると、紫乃武は彼女達に「また遊ぼうね!」と笑顔で手を振る。
「紫乃武、本当に大丈夫なのか?」と問いながら、紫乃武の真向かいに座る也静。
額に巻かれた包帯が痛々しかったが、紫乃武はいたって元気な口調で、
「ご覧の通りだいじょぶですよ。ほら宇堂さんも座って、団子でも食べませんか」
何の心配もいらなかったようだ、と愁眉を開いてやっと口元を綻ばせた宇堂は、也静の隣にドカッと腰を据えると、紫乃武の差し出した団子を口の中に纏めて放り込んだ。そんな宇堂を見て、紫乃武と也静は視線を合わせて口元でクスッと笑い合う。
だがその時、
「おやおや、英雄殿の御帰還ですなぁ!」
食堂に入って来た一団の一人が、皮肉たっぷり声高に叫んだ。
「
実闇の回りには、四番隊の隊士や六番隊組長是麿以下六番隊の隊士達がおり、紫乃武達を見て薄笑いを浮かべながら、紫乃武達の脇をすれ違いざまに、
「みすみす取り逃がしてしまうとはねぇ」
「局長のお気に入りだか何だか知らねえが、あんな若造ごときが弌番隊長とは……」
「局長は自分の肉体を傷つける自虐症の女、筆頭組長はアーパーオコチャマ。何時から新撰組は病人の集まりになったんだぁ?」
態と聞こえるように呟きながら通り過ぎて行く。
「何だとっ!」
激昂した宇堂がガタンと立ち上がり、腰に手挟んでいる刀に手を掛けた。
その宇堂を制するように立ち上がって手を水平に出す也静が、深月を見据える。
「お~、怖いねぇ。粛正されたら堪ったもんじゃない。今のはただの独り言だ。気にせんでくれよ。な?」と、実闇は唇の片端を持ち上げ、座っている紫乃武の肩をポンと叩いた。
「はいっ!」と元気良く答える紫乃武君……。
紫乃武の快答大笑した深月。だがそのまますれ違おうとした実闇を壮絶な殺気が襲う。
ビクッ!
思わず紫乃武の肩から手を引っ込めた深月は、パッと飛びのき身構えた。
実闇は、ニコニコ笑って手の中の丸型のグミゲームをピコピコやってる紫乃武の背を睨めつけると、何事もなかったように隊士達を引き連れ、食堂を出て行ってしまう。
「嫌な男だぜ」と、実闇の背中に唾棄する宇堂。
「本当に気にするな紫乃武」と、也静が紫乃武を気遣ったが、
「はいっ!」と、アッケラカンとして恬然と答える紫乃武。これには宇堂や也静の方が参った。この青年には怒りというものがないのかと疑う。……だが、それが紫乃武の魅力なのだ。宇堂と也静は顔を見合わせて、フッと笑った。
「それより、紫乃武よ。お前のやってるそれは何だ?」
「これですか!」と、よくぞ聞いてくれましたとばかりに叫んだ紫乃武は、先程茶汲女と盛り上がっていたたまご型ミニゲームを也静と宇堂の前に差し出す。
「おっ……! そ、それはまさか!」と叫んで太い喉をゴクリと鳴らす宇堂!
「なんだ宇堂、お前知ってるのか?」
「ピンポーン!今、日本で流行してる『グミっ娘のおまけ』ですよ」
この『グミっ娘のおまけ』は、形状記憶スライムであるグミを、様々な餌を与えたりして上手に育成していくミニゲームであり、日本製アニメ『グミっ娘』シリーズのビデオ全巻を揃えるとおまけとして貰えるという、限定千個、ファン垂涎の超レアもののアイテムだった。
「し、紫乃武……! お、お前、一体、そ、それを何処で…… 」
わなわな震える手を、紫乃武の手の中にある『グミっ娘のおまけ』に差し出そうとする宇堂。
「あっ! 突然変異した!」
と叫んで、そのミニゲーを宇堂に渡す直前で引き戻した紫乃武の前で、宇堂が前のめりに突っ伏している。
「なぁ…、紫乃武。今回の作戦、お前はどう思う?」
僅か三㎝四方の液晶画面を蠢くグミに、可愛い犬のDNAを注射し直した紫乃武は、「う~ん」と真剣な表情で三思している。態勢を立て直したものの、ちょっと不機嫌になった宇堂は放っておいて、也静はゴクリと唾を呑み込んで紫乃武の次の言葉を待っていたが、「わっかりませんっ!」
ドッチラケとこける也静。それを見て、
「アハハハハハハッ」と大笑した紫乃武は、団子を二つ三つ頬張って、
「っふぇひゅうほはふほふぇふふぇほね。何だか態と何処かに追い込んでる気がしますね」
正に核心だった。宇堂と也静もそれを感じていたのだ。蘭蛇帝を戦闘不能にし、捕縛しようと思えば何時でも果たせた。その機会は今日まで何度もあったのだ。その機会を逃した結果、今日のような反撃に出られてしまった。
「それに、聞いた話だとこのまま壬生はプレタポルテに向かうそうじゃないですか。それって、奴の目的がプレタポルテにあるって事ですよね。ですけど、もし奴がプレタポルテに逃げ込んだとしたら、志士達はすぐに奴を匿うに決まってるじゃないですか。プレタポルテは倒幕の志士達が集結しているって情報がある場所ですよ? それに、現在紫京に倒幕勢力が集結しているなら、奴とてこのまま自分がプレタポルテに向かえば僕達新撰組を引き込む事になる事ぐらいわかる筈。そんな愚を犯す事をするでしょうか?
「うむ…」と、也静が頷く。
「捜し出そうにも、あそこは周囲を三千m級の山脈に囲まれている為に大気の流れは停滞し、香りが拡散しにくい場所。この壬生に創香師はいないんですよ。メゾンクラスの創香師ならば、一人の人間の体臭を、自然界に充満する幾千幾万の匂いから嗅ぎ分けてその位置を特定する事も可能ですけど、壬生に搭載されているPUSUS(香電磁監視システム)では一人の人間を遠距離から探索するのは殆ど不可能。ましてや無体臭の人間ともなればその位置特定は完全に不可能ですよ。然も副長は、『-どうせ奴の行く場所はプレタポルテしかない』と言ってたんでしょ? 何か奴の目的がプレタポルテだって初めから知ってたみたいな言い方じゃないですか」
何も考えてないように見える紫乃武が舌鋒鋭く迫る。宇堂は瞑目して腕組みし、也静は、テーブルに両肘を着いて手を組んで、こう言った。
「……どうやら副長は、奴がプレタポルテに入る迄、本気で捕縛する気がない……」
「~ん……。一体プレタポルテで何が起ころうとしてるんだッ!」
宇堂がテーブルを力任せに叩くと、飛び上がった茶碗が倒れた。その茶碗を元に戻しながら、紫乃武が呟く。深く、静かに、謎めいて……。
「大丈夫。行けばわかりますよ。行けばね……」
第3話 了
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