第19話 嫡子と庶子
織田信長の妹であるお市の方の夫、浅井長政にはお市の方と婚姻する前の妻との間に子供が居た。信長の浅井攻めの際に殺された子供は、その長男である可能性が高い。
お市の方の子供、三姉妹は父親は同じ。
信長の浅井攻めの本来の目的は、その母違いの長男を殺害させる目的が真にあった可能性が高い。
実際、その長男の命を奪ったのは木下藤吉郎こと、羽柴秀吉、豊臣秀吉であったが、お市の方は、柴田勝家に嫁ぎ、羽柴秀吉の元には行く事は無く、彼を終生嫌っていたというが、実際にはその浅井長政の長男であり、お市の方とは血が繋がっていない子供を殺した秀吉を嫌う事で、その信長の真意を隠そうとしただけかもしれない……。
嫡子とは正室の子供であるが、側室の子供等を庶子と言う。
江戸時代の水戸藩の初代藩主は、武田信吉という徳川家康の五男であるが、武田家重臣で
武田一族の名族穴山家に嗣子がいなくなった時、徳川家康が自分の五男の信吉に名門武田家の名跡を継がせた経緯がある。その武田信吉は遊女から感染した梅毒で逝去した。
梅毒とは性病で、男性の場合、陰茎(男根)と鼻が腐り落ちてしまうが、人類初のペニシリンという抗生物質で治療が可能だ。
徳川家康の五男武田信吉逝去後、水戸藩の藩主となった徳川頼房公は、家康の十一男だが、その子供で庶子である松平頼重公は、嫡子でない事で四国
水戸藩を継嗣した徳川光圀は兄である頼重公ではなく自分が水戸藩を継嗣した事で、若い時分の放蕩三昧の生活を改め、
水戸と高松の兄弟藩。茨城県と香川県……。
鎌倉幕府初代征夷大将軍であった源 頼朝公の側室であった丹後
島津家は征夷大将軍源 頼朝公の庶子であった事は、島津家が征夷大将軍を名乗れる名族であった事の証明となる。
伏見稲荷の狐。稲荷社の神の使いは狐……。
「あふっ! うッうっく……! あっっくッ!」
伏見稲荷大社の神事。
伏見稲荷大社の神事で、神の使いである巫女が、鰹節を使って、自分の
女性の自慰行為……。
美しい巫女が、自分の自慰行為を
赤い鳥居を潜る伏見稲荷。
千本鳥居と千本桜。
商売繁盛を願う商人達は伏見稲荷に鳥居を寄進した。
花の御所とされた室町幕府8代将軍足利義政公の正室日野富子に近づいた吉田神社の神官であった
1465年に生まれた足利義尚公と1467年から始まった応仁の乱。1465年より前に日野富子に近づいていた吉田兼倶が、日野富子に仕込んだ事は明白な事は応仁の大乱で日本全国が戦乱になった事が証明している。
吉田神道が送り込んだ神官が、武士の任官の為の金を受け取り、系図の書き換えに力を貸していた事も明白であるのは、各地の戦国武将が自分の出自を隠し、名族へ家系図を繋げた事が後世明らかになっている事実が存在する。
家の乗っ取り、家系図の乗っ取り、豊臣秀吉が自分の出自を天皇家の御落胤にする時に、尾張中村付近の神社の御宮参りの記録が、秀吉の出自を明らかにする証拠となるが、秀吉は政権を握った後で、自分の出身地の村の住人全てを虐殺している事実がある。
神社の御宮参りの記録は、自分の出生証明となり、お寺の過去帳は死亡年月日を記録した証明となる。
吉田神道の神官は、系図書き換えに手を貸し、その系図書き換えの報酬をせしめ取っていたのだ。
日本の一族の出自が遡れなくなった原因。
大凶である元凶であって、決して大吉ではないのだ。
赤い色はセクシャルの色として朱塗りの鳥居は魔除けでもあった。
赤い文字で書く事で、魔物を祓う事が出来るのは至極当然の
ンの
「う…っく! あふっっく! あ っうい!」
氏子の一人の青年が、巫女さんの
彼の
股を開き、自分の
「こんの野郎! でっけい
「……」
蹴られても蹴られてもどかない青年の山のような巨躯はピクリとも動かない不動の山の如し!
第19話 了
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