第12話 瞳



 元亀三(1572)年十二月二十日(太陽暦では1573年2月4日)


 上洛じょうらくを狙った武田信玄は、京都へ向かう為、徳川家康が支配していた遠江とおとうみ(現静岡県)へ侵攻した。

 近江おうみに対して遠江。

 近江は琵琶湖。遠江は浜名湖。

 近江は近淡海ちかあはうみ。遠江は遠淡海とほつあはうみ

 浜名湖は汽水きすい湖であり、淡水と海水が混ざり合う湖でうなぎの養殖で有名な湖である。


「おやかた様! 信玄しんげん入道にゅうどう、遠江領内へ侵入しております!」


「岡崎の二郎じろう三郎さぶろうに伝令を出せ!」


 岡崎の二郎三郎とは、岡崎次郎信康の事で、家康の嫡子、信康の事である。

 松平家嫡子の幼名の竹千代と共に、二郎三郎の名を元服後に名乗るのが通例であった。

 三河国岡崎は、松平清康が岡崎城を拠点とした場所。

世良田せらた二郎三郎元信が、家康公の影武者だった説があるが、徳川家の遠祖の新田世良田流源氏を名乗った家康の、松平家の嫡男が受け継ぐ元服後の名前に、二郎三郎がある。

 岡崎二郎三郎信康公が、徳川信康公だった事は、二郎三郎元信が、松平元信だった時代の家康の別の名前だった可能性から、世良田二郎三郎元信影武者説は否定出来るかもしれない。



 巨星堕つ……。


 武田信玄入道は、京への上洛途中で薨去こうきょした。


 伊達の統領、伊達輝宗嫡子である伊達藤二郎政宗も、米沢の土地でそれを聞く。

慶長遣欧使節を派遣した伊達政宗は、イスパニアに草を撒いた。

 草とは忍びだが、現在のイスパニア(スペイン)のハポンの名字は、その血筋。

 フランチェスコ会のルイス・フライ・ソテロを正使とし、副使は支倉はせくら六右衛門 長経ながつね

 支倉常長の名前を本人は一度も使っていない事が、宝島社の本「支倉常長異聞」で明らかにされているが、系図だけの名前が支倉常長だったとする説が存在する。


 黒脛巾くろはばき組。


 伊達の忍び―。


 彼ら間者も、京へ潜入している。


 楽市楽座で商人が自由に行き来できるようになった畿内。


 関所のない海を渡る商人。


 米を物流に京へ運ぶ廻船問屋は、西回りと東回り。

 日本神話の国生みは、天鳥舟で、東周りで島国だと確認した部隊と、西周りで島国と確認した部隊の神話であり、島国だと確認=国生みを確認した後で、永住しようとした本隊が天孫として下っただけだ。

 神秘的な神話でもなんでもないのだ。


 三方ヶ原の戦いは、家康の大敗で終わったか、信玄入道の死は戦国乱世の終焉を示す出来事でもあった。

人間の命の無情は、戦国大名へのキリシタン改宗を促す契機にもなった。


「イルマン様」


修道僧侶としてのイルマン。

キリシタン修道僧侶であった男は、フランチェスコ会士であり、イエズス会士ではなかった。

托鉢修道士であるフランチェスコ会は、中世アッシジのフランチェスコが、セラフィムに体感し、裕福な商人から托鉢(貧民としてお金を乞う修道士)として、貧民の心理を体現する生活を始めだが、イエズス会を創始したイグナティウス・ド・ロヨラとフランチェスコ・シャビエルとは違う二大勢力として、スペインを代表するフランチェスコ会が西から、ポルトガルを拠点に世界進出を目論むイエズス会が東から、世界を二分するローズラインが、大西洋沖の島にあったのだ。

日本では江戸に増上寺の浄土宗、天台宗の東叡山寛永寺が江戸を西と東へ分離していた。

阿弥陀は西方浄土。

薬師如来は東方浄瑠璃世界。

天台宗座主ざすで、黒衣の宰相、天海大僧正は、家康公死後、山王一実神道から東照大権現の神号を贈っているが、東方の教主=家薬師如来と家康公を重ね合わせたからだった。

吉田神道神官だった梵舜は大明神の神号を推したが、採用されなかった事で、吉田神道は負けた。

 足利義満甲賀、天皇家の女性を犯した事で天皇家乗っ取りを企んだとする説もあるが、その後足利義政公時代の応仁の乱が、天皇家のいみなである仁の字に呼応する存在が、その後の戦国乱世、戦国大名が群雄割拠する遠因ともなったのは、北朝天皇家時代の室町時代に勃興した吉田神道に、その根本原因があったのではないか?

 戦国乱世の原因が、天皇家を牛耳った神道であった時、足利義満公が、天皇家の女性を強姦したという県嫌疑も晴れるだろうが、誰と天皇家が呼応したのだろうか?

 誰が天皇家と神道で結ばれたと神道を起こしたのだろうか?

 真犯人を探し出す為に、現代でもその原因を探っている人間がいるのかもしれない。

江戸時代、朝鮮半島から友好使節を受け入れ、江戸時代は朝鮮半島との融和が成された極東の平和時代が成立していたのも、元寇への対抗で、元と高麗軍を敵とした北条時宗公時代に興った日蓮宗の根本経典法華経を用いながらも、天台宗と山王一実神道が、太平の世を作り出した事は、勝つ人が勝ち、負ける人が負けた事による。



「日向守様」


「紫乃武か」


織田信長蹴鞠道指南役、飛鳥井あすかい紫乃武しのぶ


「丹波平定の尖兵足るべく、派兵された貴殿きでんを、右府うふ様はめ称えていた」


無言の紫乃武。


「そちらの童女は?」


「この子は、有紗ありさ


日向守光秀に脇侍きょうじする、光秀の従兄弟いとこ、明智秀満(左馬介光秀春)が、ありさをまじまじと見つめ、笑顔を見せる。

秀満の後ろに控えていた太郎たろう五郎ごろうは、金平糖こんぺいとうを有紗に手渡す。


有紗は太郎たろう五郎ごろうを見ずにそれを紫乃武へ渡すと、太郎五郎は泣き出してしまう。

明智秀満が天海大僧正てあったという説が存在する。

歴史家が主張する天海=明智秀満説は、天海大僧正入寂の年齢(108歳)から逆算する生誕年が、完全に明智秀満が生まれた年と一致する事と、光秀の従兄弟として影武者説。山崎の戦い後、秀満が寺で僧服に着替えて落ち延びている伝承が存在する事。

秀満の庶子(側室の子供)であった太郎五郎か、土佐の長曽我部一族の元へ落ち延びた伝承は、土佐才谷屋本町筋坂本家の遠祖となった事、土佐の南国村の過去帳に記載されているのだ。


ソロモン王埋蔵金伝説がある四国剣山。

平家の落人伝説と祖谷いやだに

平家の二位尼が抱いた安徳天皇と共に海中に没した草薙くさなぎの剣。

織田家は伊勢平氏だったが、

熱田神宮が奉るレガリア。

三種の神器。


金平糖。

金比羅山こんぴらさん


 ひらではなく、たいら

鞠を取り巻くイボ。

鉄釘を埋め込んだ戦国蹴鞠。


「信長様の発案。貴殿には-」


「日向守様」


「?!」


「咲いておりますぞ-」


「?」


 光秀の視線を木陰に移す。

 艶やかに咲く事もない


山梔子くちなしの花」



 有紗が視線を逸らさず、投擲とうてきした鉄菱てつびし


樹上からバサリと落ちてきたモノへ一目もくれず、有紗は無表情のまま、紫乃武から金平糖を受け取ると、一つ食べ、太郎五郎を眼差しを向けた。


瞳を向けるだけで相手の術を返す「瞳術どうじゅつ」。「破幻はげんの術」。

美少女のみが体現出来る術。




有紗は、敵を倒した後で笑った-。





12ステージ タイムアップ



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