怪獣というと、まずその存在は善なのか悪なのか、それを真っ先に考えてしまう人は多いかもしれない。日本では古くから怪獣が親しまれ、立派な文化となった。それは他の国にはない独特の感性なのかもしれないが、怪獣がそこにいたらどうする?と問われたら、ほとんどの日本人は倒すべきと答えるだろう。
いかに古くから親しまれてきた怪獣とはいえ、所詮は空想上の脅威。子供の遊びに大して理解の無い母親のように、怪獣=悪者と短絡的な考えをする人が多いのではないだろうか。
しかし、中にはそう考えない者もいる。今作の筆者のように、怪獣という存在は”自由とカタルシスの塊”なのだと少年のような眼差しで答える者だっているはずだ。
今作の最大の特徴は正にそれであり、少年の脳が産み出した怪獣は短絡的な悪ではない。むしろその出自は、一人の少年の無垢な恋心と、曇りなき無邪気な空想力と願望という、善という言葉ですら霞むような清純なものである。
終盤、主人公の多紀は、その少年の無垢さに中てられる。かつて、自分もそれを持っていたのではないかと。”頭の中の地図”と、朧げな児童館の姿。
それは、無垢な少年が土管に描いたような、ガヴァドン的ノスタルジーを思わせる。
そして、晴れやかなラストはせつなくもあるが、正にカタルシスを感じるものになっている。浜辺に続く足跡はやがて波に呑まれ、消え去ってしまうかもしれないが、その主である怪獣の存在を、少年を見守った三人と少女は決して忘れないだろうから。
怪獣という存在に対する想いと、ガヴァドン的ノスタルジーを無垢な恋愛に仕立て、せつなさとカタルシスでまとめ上げた上質な作品でした。