第5話 浅倉さんと一緒です
怪獣―
それは怪獣の絵だった。子供達が書いた無数の絵の中の一つとして、その怪獣は飾られていた。
怪獣は夜の国道101号線を歩いている。子供とは思えないような躍動感と描写にすぐれていた。毒々しい皮膚と凶暴な乱杭歯。目はギョロリと黄色い。
紛れも無く、多紀が見た怪獣であった。間違えようがない。なにせ多紀はここ数日、毎夜見ているのだ。
胸の鼓動が高まった。結実の声が遠のいていく。
絵の下を見ると「
言葉を失い、倒れかけた多紀はやっとの思いで、ここへ月舘を呼んでくれと叫んだ。
部屋は多紀の追いかけていた少年が入っていた病室だった。
四方にベッドを配置できる部屋だったが、今は窓側の一つしか使われていない。
ベッドには10歳前後の少年が座って、月舘と向かい合っていた。ベッドの外枠に掲げられたネームプレートには『タマイ カンタ』とタイプされた紙がぶら下がっている。
怪獣の絵を描き、多紀の部屋に折り紙を置いていった少年― 玉井寛太だ。
「これは君の描いた絵だね?」
月舘の手に持った画用紙が微かに揺れている。一歩下がった所には結実が居て、不安気な表情で少年を見つめていた。
怯えて困惑した顔の少年の頭上には、怪獣のソフビ人形が並べられていた。
ゴモラ、バルタン星人、ダダ、ゼットン………ツインテール…………― 多紀は端から順番に知っている怪獣の名前を頭の中で確認して行ったが半分以上は彼の知らない怪獣ばかりだ。
端まで行くと、フレームに入った一枚の写真が目に留まった。件の少年と一人の少女が並んで映っている。背景は黄色い壁。この病院で撮られたものらしい。
片方の少女に多紀は見覚えがあった。結実が見せてくれた写真に写っていた少女だ。
「君は怪獣になった夢を見ていたんじゃないか?」
月舘の言葉にハッとした表情を隠せない少年。彼は一体どこが悪いのだろう、と多紀は思った。俯いて、時折こちらへ視線を送って来る少年の顔は青白く、血の気が無い。
息を漏らす月舘。
「別に怒っている訳じゃないんだよ。前にも話しただろう? 私も怪獣が好きなんだ。だから教えてほしいんだよ。ね?」
「先生………」
少し、言葉が強くなった事を心配した結実が制すように問い掛けた。
月舘は結実を見ると、少年と視線を合わせようとしゃがみ込んだ。彼の手が、ベッドの上のシーツに掛かかる。
少しの沈黙があり、病室には少年の吐息だけが聞こえていた。その吐息は次第に激しさを増し、途端に泣き声になった。
「違うんだ……違うんだよ…………ぼくは、ぼくはあんな夢、見たくないのに。嫌なのにでも、毎日怪獣になった夢を見るんだ。でも、夢だと思った、夢だと思っていたのに…………」
少年は顔を押さえていた手を退けて、多紀を見た。
「でも、でもお兄さんを怪我させちゃったんだッ!」
少年の曇りのない眼が妙にくすぐったかった。その目から逃げるように多紀は窓の外を見た。混然する頭を整理しようと努めたが、無理だった。
窓際にはあの―巻貝の―折り紙が5つ並び、陽を受けている。伸びた影がくっきりと床に映し出されていた。
頭の中にあった考えや記憶が収束し、大きな波となって押し寄せて来る。それは無意識に近い言葉となって口から飛び出した。
「だから…………だから折り紙を置いていったのかッ!」
叫ぶ、多紀に月舘が返す刀で尋ねる。
「なに?」
「この折り紙は君が折ったんだろう? きっと、あの女の子に教えてもらって」
多紀が巻貝を指さすと、少年はしゃくりながら頷いた。
「君はきっと、夢の中で、怪獣になった自分に驚いてコケるバイクを見た。そしたら、次の日、本当に事故をして入院して来た僕を知って驚いた。きっとその時、これが夢じゃないって気づいたんだろう?」
また、少年は激しく頷く。
「で、君は怖くなってお見舞いのつもりで僕にこの折り紙を渡した。この折り紙はお返しのつもりだったんだろう? 例えば先生にとか。僕の病室に折り紙を置いていったのはせめてもの罪滅ぼしの気持ちだったんだ」
月舘は唇を指で触り、眼を泳がせていた。少年は頷くとまた、大きな声で鳴き出した。結実は堪らず彼に駆け寄り、背中を摩る。
無論、腹は立たなかった。むしろ、肩の荷が降りた様な気がした。
少年はごめんなさい、ごめんなさいと多紀に謝罪していた。
「そんなこと、信じられません」
アニメの見すぎか?― 結実の言葉に多紀は心の中で反応した。
7階奥のラウンジには夕陽が差し込み始め、海面で照り返した光が天井に当たって四方へ散っている。新聞をめくる音がいやに大きく聞こえた。
「最初は私もそう思ったが、事実だよ」
結実の向かい側に座った月舘が言った。
「でも、寛太君の夢が本当になるなんて、それも怪獣に、なんて………」
結実はコーヒーの入った紙コップを両手で持った。
「彼はきっと、外へ出たかったんじゃあないか?」
月舘が言った。
「昔、何かの本で読んだことがある。体外離脱………つまりは俗に言う幽体離脱。あれを経験したことがある人は案外少なくないらしい。10人に1人ぐらいは生涯に一度や二度、経験していてもおかしくないそうだ。私も、長年医者をやっているとそんな話を何度か聞いたことがある。夢の中で家に帰っていたとか、夜中に院内を散歩していたとか、手術中に、自分の手術をみていたなんてのもある」
月舘は苦笑した。自分でも何を言ってるんだと思っているようだった。
「勿論、そんなものは眉唾、オカルトの世界だよ。だが、こんな論文もあってね。体外離脱をしている間、人間の脳、特に右脳の一部、角回という部分が猛烈に活動しているというんだな」
脳は未知の精密装置― と言った月舘の言葉が多紀の頭を過った。
「彼、玉井寛太君は生まれつき右脳の角回が異常に発育している。そのおかげ…………いや、こんな言い方はよくない。だが、異常な発育によって、通常の子供より空間把握力や記憶力、加えて想像力もいい」
「だから、幽体離脱をした?」
「断言はできない。あくまで仮説だよ」
月舘はそう言うとコーヒーを口に運んで、海を見た。
「でも、幽体離脱だったら、なんで怪獣なんかに……?」
結実が言った。
「彼には歩くイメージが出来ないからだよ。異常発育した部位が神経を圧迫して、生まれつき足が不自由なんだ。だから、自分が歩いたり、走ったりする感覚が掴めないんだろう。それに怪獣は………」
「自由と強さの象徴………」多紀が呟くと月舘は頷き、続けた。
「論文の実験がどこまで現実味のある話なのかは判断しかねるが、奇妙なことにその部分が最も活動するのは人間が深い眠り、ノンレム睡眠にある時、だ。そして、多くの人は深夜の2時から3時まで最も深い眠りに落ちる」
怪獣が出現していた時間と一致する。
「深い眠りの中で、彼の深層心理にある外へ出たいという願望と怪獣のイメージが混ざり合い実体化し、怪獣となって歩き回っていたのかもしれんな」
「入院しっぱなしで、外へ出たかったから………そんな妄想を………… 彼は、いつ退院できるんですか?」
多紀が尋ねると、コーヒーを口に運んでいた月舘の手が止まった。結実は気まずそうに唇を噛んで俯く。
大きい息を月舘は吐いた。
「真の意味での退院は、彼にはない。脳の異常発育は遅らせることは出来ても、完全に止めることは出来ないんだ。それに………」
そう、先は長くない― 言わなくても分かる。多紀は拳を口に当ててゆっくりと呼吸をした。どういう気持ちで聞けばいいのか分からない自分が情けなかった。
「自宅療養と言う形にしてもいいのかもしれないな。お互いに負担は増えるが、病院よりも実家の方が落ち着くだろうし。毎夜あの怪獣が深夜徘徊すれば第二第三の君が現れてもおかしくないからな」
結実が空になった紙コップをぐしゃっと両手で握りつぶした。
「でもそれ、おかしいと思います………だって、散歩や一時帰宅だって何度もありますし、それに彼、少し前に家に帰っていたばかりです。ただ外にでたいからってだけで、そんな………」
看護婦は両手で紙コップを握ったまま言う。
たしかに。
怪獣を追跡していたあの夜。怪獣は何度も進行方向を確認し、なんらかの目的をもって行動している様にも見えたのだ。闇夜をただただぶらついているだけじゃない。
「彼は何処かへ行こうとしていた…………国道を東に向かって海岸線を歩いて……」
もしかすれば、その方角に少年の家があるのかもしれない。
「だがね―」
その言葉に被せるように看護婦は―あっ―と声を漏らして立ち上がった。彼女は夕陽に沈んでいく海岸線を真っ直ぐ眺めていた。ここからだと、丘と防風林を乗り換え、岬が見える。
「あの子………浅倉さんと一緒です………」
つづき
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