第13話 急襲
北区にある
ウィリバルトが持つランタンの明かりと、家々の窓から零れた僅かな光。そんな中にも関わらず、彼は迷う事無く歩を進めていた。
マリアベルより3日ほど遅れてクナートへ到着したという話しだが、それにも関わらずまるで昼間と同じように歩く姿に、マリアベルは何となく悔しくなった。とはいえ、それは完全にマリアベルの独りよがりな負け惜しみのようなものだ。さすがにウィリバルトへ食って掛かることなど出来ず、代わりに表情を隠すようにやや俯き加減で唇を尖らせた。すると、見透かされたかのようなタイミングで名を呼ばれた。
「ベル嬢」
慌ててマリアベルは表情を改めてウィリバルトの顔を見上げた。
「な、なんでしょう?!」
見上げた先にある
「ウィ……」
怪訝そうに彼の名を呼ぼうとしたマリアベルの口元に、ウィリバルトは素早く右手の平を掲げた。虚を突かれ面食らったマリアベルだったが、すぐに「声を出すな」というジェスチャーである事に気付き、口を
「前に3人、左右に1人ずつ、後ろに2人」
「!」
そこで、マリアベルは
「道向こうの路地が港に通じています。そちらへ逃げて下さい」
視線で左前方の路地を示し、静かに放たれたウィリバルトの言葉に、マリアベルは一瞬ポカンとした後、
「冗談ではありません。相手は私を狙っているんですよね? ならば、貴方こそ私を置いて逃げるべきでしょう?」
「そのような事、出来るはずが無いでしょう」
存外、強い口調で言うと、ウィリバルトは右手で腰に佩いていた
「まずは路地へ」
「承知」
短い言葉を交わし合った直後、ヒュ、と風を切る音がした。瞬時にウィリバルトの
ランタンの明かりと建物の窓から零れた光の中に浮かんだ人影はいずれもひょろりとした体型で、隠密活動を生業としている者のように思われた。
マリアベルとウィリバルトは目配せをしあうと、そのまま無言で左前方へ向かって駆けだした。黒い影達も音をたてずに2人の後を追う。元々左側にいたと思われる人影が一つ、2人の進行を
「ぐっ」
ウィリバルトの剣先がどこかを掠ったのか、短い呻き声が上げて
「ベル嬢!」
鋭い声で名を呼び、ウィリバルトは持っていたランタンを地面に投げ落とすと、そのまま彼女の左手を掴んで、ぐい、と強く引き、前方の路地に向かって勢いよく押しやった。咄嗟に反応できず、路地の奥へ数歩たたらを踏んだマリアベルは、驚いてウィリバルトの方を振り返る。
「ウィリバルト様?!」
「そのまま走って!」
「なっ」
「狙いは貴女なんです!」
「――――っ」
「嫌です! 絶対に一人で先に逃げたりしません!!」
「馬鹿な事を!」
「馬鹿はウィリバルト様です! 多勢に無勢どころの話ではないでしょう?! いくら貴方が騎士の家柄の生まれとはいえ、無事では済まないはずです!」
「逃げるならウィリバルト様も一緒です」
「しかし、」
「絶対嫌です」
剣を構えたまま、キッと睨むマリアベルの方を横目で僅かに見やり、ウィリバルトは短く息を吐いた。
「致し方ありません。路地を背に、貴女は右を、私は左を……――来ますよ!」
言うや否や、ウィリバルトの
一瞬、ウィリバルトの方へ気を取られたマリアベルだったが、己へ向かって繰り出される
足元に倒れたランタンから、油が通りの石畳の上に流れ出し火が移り燃え上がった事で、周囲がほんの僅かに明るさを増した。人影は――先ほどウィリバルトが言った通り、7人。皆一様に上下とも黒い衣装を身に着け、頭髪や口元を黒い布で覆っている。――覆面が無ければシアン先輩とお揃いの衣装に見えるな、などと馬鹿馬鹿しい考えがマリアベルの脳裏を一瞬過るが、あまり笑えなかった。
敵はウィリバルトの前に2人、マリアベルの前に1人。少し離れた場所に、左肩を押さえている者が1人。恐らく最初にウィリバルトが応戦した
「!!」
白刃が迫り、マリアベルは紙一重で身を
「くっ」
舌打ちしたくなるのを
「うわっ このっ」
ぎょっとして慌てて
「ベル嬢!」
引け、とばかりにウィリバルトが鋭く叫ぶ。応答しようにも、引こうにも、既に余裕が無い。次々と繰り出される刃に、
歯噛みしながらも、マリアベルは相手の隙を何とか探れないか目を凝らした。頭の中では「集中しろ、集中しろ」という言葉を呪文のように繰り返す。だが、次の瞬間、右腕に鋭い衝撃が――
「!!」
意識がそちらへ逸れた直後、マリアベルの右手から
「
切迫した声が路地に響く。マリアベルは、己に振り下ろされる刃から目を離せずに固まったまま、頭の片隅でその声の主がウィリバルトである事を意外に思った。そのまま、次に来るであろう痛みと衝撃を覚悟して両目を瞑り歯を食いしばる。
「あれ? ベルちゃん?」
場違いに呑気な声。え、と思わず瞼を上げる。目の前の、先ほどから対峙していた黒ずくめの覆面の男が、右手を押さえてよろめいている。と同時に、覆面男の得物と、握り拳より2回りほど小さな石礫が地面に落ちた。
一体何が起こったのか、全く状況が掴めないマリアベルは、もう一度「え?」と呟いて目を
「あ、やっぱりベルちゃんだ」
「は……え?!」
慌てて声の方を向くと、路地の奥に焦げ茶色の頭髪の
「ん? もしかして、怪我してるの?」
「い、いやあの、すみません! 危ないので逃げて下さい!!」
「んー……さすがにそういう訳にも」
「ベルちゃんは、あまり動かないでいてね」
「へ? あ、いや、しかし」
「いいからいいから」
へらり、と笑う焦げ茶色の頭髪の青年に、
「……どけ。邪魔立てするなら容赦しないぞ」
初めて黒ずくめの覆面男が声を発した。苛立ちを含んだ地を這うような、低い
「んー……でも僕、一応この子の
だが、彼の両手は今、何も持っていない。その事に
「シン殿、何か武器を――」
「ああ、いらないいらない」
あはは、とシンが笑うのと、目の前の覆面男が襲い掛かるのと、同時だった。危ない! と叫ぼうとした次の瞬間、マリアベルは息を飲んだ。シンはひょいと簡単に攻撃を
ほんの一瞬の出来事に、マリアベルの思考は追いつかずに、呆然と目を丸くして立ち尽くす事しか出来ない。呆気にとられたままのマリアベルにシンは悪戯っぽくウィンクして見せると、軽やかな身のこなしで地を蹴り、瞬く間に少し離れたウィリバルトの近くまで移動した。
「助太刀するね」
「
* * * * * * * * * * * * * * *
――“あーんな
いつぞや、シアンが口にした言葉は、大袈裟ではなく正にその通りだった。
ウィリバルトの傍に駆け寄ったシンは、まるで赤子の手をひねるように次々と相手を沈め、あっという間に片づけてしまったのだ。――それも、素手で。
「2人とも、お疲れ様」
ぱんぱん、と両手を払いながらマリアベルとウィリバルトに微笑みかけたシンは、息切れ一つしていない。マリアベルは両手を握り拳にして目を輝かせた。
「す、すごい……! シン殿! 本当にすごくお強いんですね!」
「ベル嬢」
片手で汗を拭いながら、剣を下げたウィリバルトが固い表情でマリアベルの目前までやって来た。その強張った表情に、マリアベルは叱られるのではないかと反射的に身構えた。
「怪我を」
押し殺した声に、ハッとする。そういえば、右腕に矢を受けていたのだった。彼はその責任を感じているのかもしれない、と思い至り、慌ててなるべく明るい声を作って言った。
「この程度、問題ありません! ホラ! この通り!」
内心かなりやせ我慢しつつ、左手で刺さっていた矢を抜き、そのままひょいと右腕を掲げて見せた。実際は刺すような痛みがあるのだが、
「むしろ、ウィリバルト様のおかげでこの程度で済んだのです。ありがとうございます!」
神妙な表情を崩さないウィリバルトに、“元気ですアピール”とばかりにぶんぶんと右腕を振り回す。
「こらこらベルちゃん。あんまり動かないでね、って、さっき言ったでしょ」
地面に転がった狼藉者を一か所に集め、彼らが付けていた革の腰帯を使って縛り上げていたシンが、マリアベルに向かってやんわりと
「しかし、こんなものかすり傷です」
鼻息を荒くしながら反論するマリアベルに、シンは肩を竦めた。
「うん、
「え」
きょとんと小首を傾げるマリアベルに直ぐには応じず、彼は地面に散らばった矢を1本手に取り、「やっぱりね」と呟いた。
「この矢、矢尻に遅効性の痺れ薬が塗られてる」
「!」
目の前に立つウィリバルトが息を飲むのが分かった。大丈夫だ、という言葉を繰り返そうとしてギクリとする。――右半身が痺れて上手く動かせない。
「うぅ……あ、……」
初めての感覚に恐怖を覚え、マリアベルは
「早く、施療院か神殿へ」
「大丈夫だよ」
2人が動揺している間に、シンがすぐ近くまで来たようだ。柔らかな光を
「遅くなってごめんね。先にあっちを拘束しておかないとゆっくり治療出来ないと思って」
そう言うと、マリアベルの右腕の傷にそっと手をかざした。
「“智慧神ティラーダよ、その叡智の光を我が手に宿らせ、傷付きし者の身に
直後、シンの手に白い光が宿り、マリアベルの傷口へ向かって一直線に伸びた――かと思うと、傷に吸い込まれるようにして消えた。
「“そして、
言い終えるや否や、緑みを帯びた光の粒が瞬きながらシンの手から生まれ、マリアベルの全身に降りそそぐ。初めて目にする光景に、マリアベルはぎょっとして
「! ……これって、もしや、解毒の?」
神殿の高位にある司祭が使うような神の力だ。その呟きには答えずに、シンは相好を崩して満足げに一つ頷いた。
「もう平気みたいだね」
それから、彼はウィリバルトの方へ向き直った。
「挨拶が後になってごめんね。僕はシェルナン・ヴォルフォード。シンって呼んでね。ベルちゃんとは冒険者の店で顔なじみなんだ」
「シン殿ですね。こちらこそ、助太刀して頂いたにも関わらず、名乗り遅れて失礼しました。私はウィリバルト・ハインリッヒ・ウル・ルーエンハイムと申します」
向き直り丁寧に礼を取るウィリバルトに、シンはにっこりと微笑んだ後、小首を傾げた。
「あの人たちはどうしようか。自警団に通報しても問題ない?」
マリアベルやウィリバルトの事情など知らないはずにも関わらず、問われた言葉に2人は顔を見合わせた。そして、ウィリバルトが答えた。
「可能であれば、自警団へ通報頂いても構わないでしょうか?」
「うん、分かった。帰りに詰め所に寄って言っとくよ」
深く追求せずに、シンはアッサリと頷いた。それからマリアベルとウィリバルトを交互に見やった。
「2人は
「私は東区に別の宿を取っているのですが、彼女を送りに」
「そっか。ここからならあともう少しだね。念の為、路地は使わないで大通りを通って行くと良いよ」
笑みを崩さすそう言うと、シンは「じゃあ、僕はこれで」と
「あの、シン殿!」
「ん?」
「本当にありがとうございます。そして、お手間をお掛けしました。治療頂いた分は明日にでも
「あはは、気にしないでいいよ」
「えっ いや、しかし……神の力をお借りした行為は、神殿に寄進が必要では」
神の力を使う事の出来る者は、神殿の中でも限られている。神殿内で位が高いからといって使う事が出来る訳では無い。しかし、逆に使う事の出来る者は高い位に着いたり、神殿で手厚い保護を受ける事が多い。神の力を借りて小さな傷を治す事が出来るだけでも、稀有な人材なのだ。そして、その力を振るった際は、その力を授けた神へお礼として物品や金銭を寄付する事が慣例だった。
断られるとは思っていなかったマリアベルは戸惑った。そんな彼女の様子を見て、シンはふんわりと微笑んだ。
「ベルちゃんも僕も、冒険者でしょ?」
「は、はい……」
「冒険者仲間なら、助け合って当然だよ」
「えっ」
「それでも気になるなら、次に
おどけた様に肩を竦めると、シンはクスリと笑った。それから、ウィリバルトの方へ視線を動かした。
「君も、帰りを気を付けてね」
「ありがとうございます。次にお会いした際、私からも何かご馳走させて下さい」
「あはは、ありがとう! 楽しみにしてるよ」
じゃあ、と軽く手を挙げ、シンは路地へと入って行った。夜目が利くのか、石畳の上のランタンの火が消えかけた暗がりの中でも危なげなく進み、あっという間にその背は見えなくなった。
シンが去った後、しばし、マリアベルとウィリバルトの間に沈黙が訪れた。それを破ったのは、ウィリバルトの深いため息だった。肺の中の空気を全て出し切るようなため息に、マリアベルは落ち着かなくなった。しばし視線を
「あの……」
「……何でしょう」
「申し訳ありません」
「……貴女が謝るのは、何に対してでしょう」
「その……またしても、己の置かれた立場を見誤っておりました。その結果、ウィリバルト様まで危険な目に遭わせてしまい、あそこでシン殿が来てくれなかったら……」
「ベル嬢」
ピリピリ、と刺すような空気。己を見る瑠璃の双眸に怒りや苛立ちのようなものを感じて、マリアベルはますます縮こまった。だが、彼は再び大きく息を吐き出すと、表情を和らげた。
「貴女は悪くありません。……私は、私自身に対して失望したのです」
「え? 何故です?」
「貴女を守れなかった」
予想外の言葉に、マリアベルは息を飲んだ。目を丸くして固まっている彼女に、ウィリバルトは苦笑した。
「怪我までさせてしまい……本当に、あそこでシン殿が通り掛かって下さらなかったと思うと、」
ぞっとします――最後は声にならずに、彼は片手で目元を押さえた。ウィリバルトは騎士の家系だ。“元”とはいえ、婚約者が襲われた際に守り切れなかった今回の事は、耐えがたい屈辱なのだろう。静かに己を責める言葉を紡ぐウィリバルトに、マリアベルは焦った様に口を開いた。
「こ、今回は、相手の人数が多かったせいだと思います!」
「……」
「それに、私の得物も選択ミスでした。
言いながら、マリアベルはウィリバルトの前方へ回り込むと、真っ直ぐと彼の目を見上げた。
「怪我は、私の慢心が招いた結果です。明日から、もっと鍛錬に力を入れようと思います! ですからウィリバルト様、ご自身を責めないで下さい!」
力強く言い切ると、ウィリバルトは目元から手を下ろし、僅かに眉根を寄せた。
「ベル嬢、私は――」
「待って下さい!」
続く言葉が、やはりウィリバルト自身の責を問うもののように感じとり、マリアベルは慌てて遮った――が、次の言葉が出てこない。
「あ……えー、……う、ええ、と、その」
「ベル嬢……」
「あいや、あ、そ、そうだ!! ウィリバルト様! い、一緒に鍛錬しませんか!?」
「え?」
突拍子もないマリアベルの言葉に、ウィリバルトは軽く目を
「鍛錬です! 私、この町の
両手を握り拳にして力説するマリアベルに、ウィリバルトは呆気に取られている。
「冒険者の先達も大勢いらっしゃいますから、様々な戦い方を試す事が出来ると思います! 私も明日からまず弓矢に対する戦い方を学ぼうと思います! ウィリバルト様もいかがでしょうか!」
ずずいっと身を乗り出して熱弁を振るったマリアベルだったが、沈黙したままのウィリバルトに気付いてハッとした。それから、ペラペラと勝手なことを口にしていた事に気付いて赤面した。
「あ、えー……っと、その、無理に、とは言いませんが、その……」
「いえ、良いアイディアですね」
「えっ?」
驚いて彼を見上げると、瑠璃の瞳が淡く微笑んだ。
「明日から鍛えにお邪魔します。それに、仮に鍛錬で遅くなったとしても、貴女を宿に送る事が出来ますから、
「い、いや、私はそういう意味で言ったわけでは……」
「さて、随分遅くなってしまいました。
狼狽えるマリアベルを尻目に、ウィリバルトは石畳の上で倒れたままになっているランタンを拾い上げ、彼女を
「ランタン本体は破損していないので、油を足せば点きそうですね」
螺旋のきざはし hake @hake2020
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