第12話 合縁奇縁



 ――元婚約者・ウィリバルトと港町クナートで出会ってから、3日が経過した。



 そもそも、「実父からマリアベルを連れ戻すよう指示を受けてやって来た」という話しだったはずなのだが、星祭の夜に春告鳥フォルタナの翼亭で食事をして以降、現在まで一度も顔を合わせる事は無かった。どうやら宿も、マリアベルとは別の場所に取っているらしい。


 再会した翌日は、ウィリバルトに対する気まずさと申し訳なさと、その他諸々の微妙な感情もあり、何となく警戒しながら過ごしたマリアベルだったが、その次の日には普段通りの生活に戻って行った。



 そんなある日。



 晴れ空の下、着慣れた臙脂色のワンピースに短剣ショートソードを腰にいた簡単な装備で、町の中央広場を通り抜け、北区にある戦神ケルノス神殿へ稽古に向かおうとしていると、噴水の方から聞き慣れた声が飛び込んできた。


「だから、デートじゃねーって!」

「じゃあ、どうしてこそこそしてるのよ!」

「こそこそなんてしてねぇよ!」

「そうそう、デートというよりは、これが私とシアンの日常だ」

「だぁぁっ まぜっかえすなシュウカ!!」

「っひどい!! シアンのばかぁ!!!」


 パァン!


 小気味よい音が聞こえたと同時に、涼やかな水音がした。途端に、周囲の人々もそちらの方へ目を向ける。勿論、マリアベルも同様に。

 音の聞こえた先には、噴水の中で尻餅をつき、左頬を押さえて半目になっている濃紺色の髪の青年。そして、彼の前には黒髪を一つに束ね高く結い上げた女性と、金の髪をした華奢な女性が立っていた。後者は己の右手を左手で押さえ、半泣きになっている。どうやら彼女が彼の頬を張り倒し、そのまま彼は噴水の中に落ちたらしい。


「暑いとはいえ、服を着たまま泳ぐつもりはないぜ、俺は」


 ぶつくさと言いながら、彼は噴水の中から立ち上がり、ひょいと広場の石畳に降り立った。それから、黒髪の女性に目を向けた。


「っつー訳で、シュウカ。買い物に付き合うのは今度だ。この格好で町中を歩き回る訳には行かないからな」

「何を言う。この気候なら、すぐに乾くだろう」

「それまで見世物になれってか? そんなん、カンベンだぞ俺は」


 むっとする黒髪の女性――シュウカに、彼は乾いた笑いを浮かべながら肩を竦めた。続けて、金の髪の女性へと視線を移す。


「おい、アリス」

「!」


 半泣きで俯いていた女性の肩が、ビクリと震えた。


「相変わらず馬鹿力だな、お前。本当に妖精エルフか?」

「?!」


 揶揄からかうように彼がニヤリと笑うと、彼女は顔をサッと赤くして目を吊り上げた。


「何よ! シアンが浮気者だからじゃない! バカバカ! もう知らない!!」


 ぷいっと顔をそむけると、彼女は足早に雑踏の中へ消えて行った。それを見送った後、彼はシュウカに目を向けると、「お前もあっちに行け」とばかりに片手を軽く振った。

 やや納得のいかない表情ながらも、シュウカは「今度、必ず付き合ってもらうからな。買い物」と言い残し、その場を去って行った。


 女性2人が去った後、彼は上着の水を絞りながら、自身に注目する周囲に笑顔を振りまいた。


「どーもどーも~! これぞ、水も滴るいい男ってヤツか? いやぁ~、まいっちまうなぁ」


 一瞬の間の後、野次馬は痴話喧嘩が終わったと認識したのか、興味を失って方々ほうぼうへ散って行った。



「……やれやれ」


 小さくこぼしながら水が垂れる前髪をかき上げた彼の左頬は、先ほどの大きな音の割には少しも赤くなっていない。――彼をひっぱたいた彼女が手加減をしたのか、それとも面の皮が厚いのか――そんな事を思いながら、ふと一つの考えがマリアベルの頭の中に浮かぶ。


「……もしや、わざと噴水に落ちたんですか?」

「ん?」


 つい心の中の声が口に出てしまった彼女の声に、彼は群青色の双眸そうぼうを向けると破顔した。


「よぉ、ベルじゃん! 久しぶりだな!」

「はい。お久しぶりです、シアン先輩。……先ほどは結構な音がしましたが、大丈夫でしたか?」

「おう、この通りだ」

「では、やはりわざと噴水に?」

「ふっふっふっ それは秘密だ」


 ふんぞり返りつつ、彼――シアンは人差し指を立てて横に振った。その言い様から、マリアベルの考えは当たっているように思えた。あのままでは、シアンに平手打ちをしたアリスに対し、シュウカがどのような反撃を加えるか分からない。勿論、手を上げたりはしないだろうが、言い争いが過熱する事は必至だろう。

 また、そんな2人の事を見ていた野次馬が、後日面白おかしく他の人間に言いふらさないとも限らない。そうなった場合、アリスもシュウカも居たたまれない思いをしたかもしれない。

 あそこで、わざと大袈裟に、そして派手に噴水に落ちる事で、シアンはわざとを演じた。それによって、女性2人は気勢をがれ、且つ、野次馬は「女の子に平手打ちされて噴水に落ちた情けない男」の方を強く記憶に残す事になったに違いない。

 何だかんだ言って、シアンは気を遣うのが上手いのだ。――以前、共に東の村テアレムへ同行した際も、相手に気付かれないようにさり気なく立ち回る姿に、マリアベルは感心したものだった。


 彼と会うのは星祭以来だが、相変わらずといったところか。ベルトポーチから手布を取り出し、シアンに差し出しながら、マリアベルは「それにしても」と前置きをして小首を傾げた。


「常々疑問だったのですが」

「ん? 何がだ?」


 素直に手布を受け取りつつ、シアンも返すように小首を傾げる。そのまま、マリアベルは気になっていた事を口にした。


「シアン先輩の嫁は、シュウカ殿なんですよね?」

「ぶっ!!」


 マリアベルとしては、テアレムで絶妙なコンビネーションを発揮し、且つ、事あるごとに夫婦漫才のような掛け合いを披露していたシアンとシュウカは、お似合いの2人に思えた。それに、シュウカは良い人だ。やや――主に恋愛面で押しが強いところがあるのかもしれないが、のらりくらりとしているシアンには丁度良いのではないかと思う。

 しかし、彼女の言葉を耳にした瞬時に口から何かを盛大に噴き出したシアンは、直後、絡繰り人形のように素早くぶんぶんと首を横に振った。


「ヤメロ! 空恐そらおそろしい事を言うな!!」

「え? ですが、シュウカ殿はそう仰っていましたし、私もお2人は息がぴったりと合ってらっしゃると思います。……しかし、先ほどの女性とも親密そうでしたし、星祭の際のシエル嬢とも」

「だぁーっ だからっ 誰とも付き合ってねーし! シュウカもアリスも嫁じゃねぇ!!」


 顔を青くしながら、マリアベルの言葉を途中で遮るように早口でまくし立てたシアンは、受取った手布で乱暴に顔面をぬぐって無理矢理話題を変えようと、語気を強めに「そんな事より!」と口にした。


「星祭ぶりだけど、ベルはどうだった?」

「へ? ど、どう、と言いますと?」


 今度はマリアベルが動揺した。――“星祭”の言葉で、脳裏に浮かんできた黒髪の長身の男の姿。思わず声が裏返りそうになりつつ、努めて平静を装いながらマリアベルはしらばっくれて聞き返した。

 上手く隠せずに挙動不審なマリアベルをいぶかし気に眺めつつ、シアンは「って」と、首を捻った。


「ホラ、月桂樹の葉、お前も手に入れてただろ? 願掛け上手く行ったか? あと、会いたいヤツには会えたのかよ」


 そういえば、そうだった。そういう謂れジンクスのある祭りだった。ウィリバルトに出会った事で、そして、思わぬ彼の考えを知った事で、色々とすっぽ抜けていた。――しょっぱい顔をして黙り込むマリアベルを見て、失敗した事を察したのかシアンは苦笑した。


「あー、まぁ、毎年やってるからな。来年またやればいいんじゃねぇの?」

「そうですね。来年こそは、きちんと星をすくいたいと思います」


 気を取り直してマリアベルは顔を上げた。


「では、私はこれから戦神ケルノス神殿で打ち込み稽古をしてまいります故、失礼します」

「おう。……あ、この手布、今度洗って返すわ」

「ああ、お気遣いなく」


 一笑すると、マリアベルはシアンに別れを告げ、戦神ケルノス神殿へ向かって再び歩き始めた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 北区にある戦神ケルノス神殿は港を挟んで灯台と反対の位置にある。港を見下ろす事が出来る程度の高い位置にあり、そこまでは斜め左右交互に階段が続いている。

 階段を登った先は白い土壁で囲まれた建物――戦神ケルノス神殿がある。外壁は海風にさらされても耐久性を保つように極力金属を使わずに建てられており、土壁には見るからに重そうな樫の木の扉が取り付けられている。門は戦神ケルノスのシンボルでもあるグロリオサの花の色――真紅の色を塗られており、門構えにはグロリオサと剣の意匠が彫り込まれている。


 クナートへやって来てから定期的に通っている、マリアベルにとっては勝手知ったる神殿だ。重厚な樫の木の扉を軽々と開き、中へ入ると顔見知りの神官達へ挨拶をした。


「こんにちは! 本日もよろしくお頼み申し上げます!」


 はきはきとした明るい彼女の声は通りがよく、少し離れた位置の神官達の耳にも届く。明朗な声に、みな一様いちように笑顔で挨拶を返してくれた。だが、すぐに各々おのおのの鍛錬に戻り、打ち合いや、剣の構えや足さばきなどの基本型の練習に戻って行った。

 活気のある様子を見まわした後、マリアベルも「よし!」と小声で気合を入れ、練習の為の防具と刃引きをした剣を取りに倉庫へ向かった。


 潮風が入って来ないように気密性が保たれた倉庫は、平素は重い土扉で締め切られている。しかし、マリアベルが行くと、その扉は僅かに開いていた。どうやら先客がいるらしい。少し迷ってから、マリアベルは倉庫の外から、中へ向かって声を掛けた。


「どなたかいらっしゃるようだが、入っても良ろしいだろうか?」

「ええ、構いませんわよ、どうぞ」


 どことなく艶のある、大人の女性の声が返って来た。思わず目を丸くした後、「失礼する」と一声かけてから、そっと扉に手をかけた。

 果たして、中には紅桃色の髪をしたスラリとした長身の女性が、こちらに背を向けて立っていた。どうやら刃引きをした剣を何本か吟味しているようだ。


「邪魔をしてしまって済まない。私はマリアベルと申す。訓練用の防具と剣をお借りしたいのだが、しばしご一緒しても構わないだろうか」

「あら」


 くるりとこちらを振り返った女性は、マリアベルを見るとにっこりとあでやかに微笑んだ。


「ご丁寧に痛み入りますわ。わたくしはフィリネア・セントグレアと申します。どうぞ“ネア”とお呼び下さいませ」


 彼女の優雅な所作は、明らかに上流階級のものと思われた。無礼が無いよう、マリアベルは反射的に居住まいを正した。


「ネアですね。では、よろしくお願い致します」


 そう口にしてから、マリアベルは何か引っかかりを覚えた。それが何なのか、マリアベルが深く考えようとする前に、ネアが自身の口元へ片手を当てつつ、コロコロと笑って言った。


「あらあら、おほほ! 有難いお言葉ですけど、わたくしに“嬢”は結構ですわ」

「え? あ、はい。では、ネア様……」

「“様”も結構ですわ」


 ネアは目を細めて軽く首を横に振った。


「わたくし、今は一介の冒険者に過ぎませんから」

「分かりました。では、ネア殿、とお呼びします。私の事はどうか“ベル”とお呼び下さい」

「ベルさんですね。よろしくお願いしますわ」


 笑みを深めて軽く会釈をすると、ネアは手元の剣へ視線を戻しながら会話を続けた。


「ところで、ベルさんはケルノス様の信者でいらっしゃるの?」


 話しながらも、使用する剣を決めたのか、1本を残して他を片付けつつ、ネアは問うた。簡易鎧クロースを手に取りつつ、マリアベルは頷き返した。


「ええ。この町へ来たのも、ケルノス様のお導きなんです」

「あら? それではもしや、天啓を受けられましたの?」

「はい」


 言い淀むことなく、ハッキリと返答するマリアベルに、驚いたようにネアは目を丸くした。


「では、やはり勇者様を探してらっしゃるの?」

「え? 仰る通りですが……」

「んま! 素敵! 浪漫ですわねぇ~!」


 マリアベルへずずいっと顔を寄せつつ、ネアは赤みを帯びた茶色の双眸をキラキラと輝かせた。――と、彼女が近付いたタイミングで、ふわりと柑橘系の爽やかな香りがマリアベルの鼻腔を擽った。恐らく、身だしなみの一環として香水をつけているのだろう。間近で見ると、顔にもきちんと化粧が施されている。化粧っ気のない己と違い、成熟した大人の淑女レディに思えた。否、実際、大人なのだろう。

 彼女の迫力に圧倒されつつ、マリアベルは曖昧に頷いた。対して、ネアは「よく演目にされますものね! 先日の興行でやってましたもの!」とやや興奮気味だ。どうやら演劇が余程好きなようだ。――確かに、演劇や吟遊詩人の歌に出てくる“勇者様”には、大概ケルノス神官が旅の供として登場する。所謂、“定番の配役”といったところか。


「という事は、この町にいらしたのは、やはり冒険者が多く集まるからですの?」

「そうですね。当初はワーゼンへ復興の手伝いを兼ねて行こうと思ったのですが、まだ治安が安定していないだろうから、先にこちらの町クナートへ行った方が良い、と助言を受けたのです」


 ワーゼン、と聞いた途端、ネアは僅かに柳眉を寄せた。


「そうですわね。その助言は的確ですわ。……ご存知かしら? 今年の春先から少し前までの間、ワーゼンは妖魔モンスターの襲撃を受けていましたのよ」

「ええ、神官仲間から……あと、助言をくれた人物と、春告鳥フォルタナの翼亭で会った冒険者の先達の方々からも伺いました」

「あら、春告鳥フォルタナの翼亭? では、シアンさんやシンさんとお会いになられました?」

「はい、お2人ともお会いしました」

「ならば、安心ですわね」


 にっこりと満面に笑みを浮かべ、ネアは手にしていた剣に一度目を落としてから、マリアベルに向き直った。


「それではわたくし、鍛錬に行ってまいりますわね」

「はい! 私も準備できましたら加わります」

「お待ちしておりますわ。お時間が合いましたら、手合わせ致しましょう」


 そう言い残すと、彼女は悠々とした歩調で倉庫を出て行った。



 貴族然としており、身だしなみも整ったあでやかな淑女レディであるネアと“手合わせ”という言葉が、いまいち頭の中で結び付かなかったマリアベルだったが、その後に戻った訓練場で戦神ケルノス神殿お抱えの神官戦士の団長であるカルロス・ジアンと互角に手合わせをしているネアの雄姿を見て、目を剥いて驚く事になる。



* * * * * * * * * * * * * * *



「随分遅くなってしまいましたわね」


 すっかり暗くなった夜道を、マリアベルはネアと肩を並べて歩いていた。鍛錬の合間の雑談で聞いたところ、ネアは東区に住居を構えているそうだ。

 まだ東区には一度も足を運んだ事が無いマリアベルにとっては、せっかくの機会だ。ネアに「送らせてもらえないか」と申し出た。実際はネアの方がマリアベルより段違い……どころか、雲泥の差ほど実力が上なのだが、その申し出を彼女は「あら、素敵。どこぞの気の利かない男共に聞かせてやりたい言葉ですわね」と微笑みながら快諾してくれた。


 ランタンの明かりを手に、マリアベルは頷いて応えた後、周囲を見回した。


 随分と、春告鳥フォルタナの翼亭のある南区や、戦神ケルノス神殿や港のある北区とは雰囲気が異なる。足元には形の整えられた石畳が整然と敷き詰められており、両側には煉瓦レンガや美しい白い土壁の瀟洒しょうしゃな外壁がつらなっている。門と門の間が、ある程度の距離がある事から、この地区の屋敷はそれなりに大きいのだろうと推測された。


 しばらく歩いていると、緑みを帯びた白い石が組まれた外壁と、美しく洗練された意匠の施された門扉もんぴの前でネアが立ち止まった。


「ありがとうございます。こちらがわたくしの住まいですわ」


 マリアベルの方を向き、にっこりと微笑む。


「せっかくですから、お茶でも飲んで行かれません?」

「有難いお言葉ですが、時間も遅いですので、日を改めてお邪魔致します」


 失礼にならないように言葉に気を付けつつ、マリアベルは返答し頭を下げた。


「分かりました。ではいずれ、是非招かれて下さいませ」


 気を悪くした風でも無く、軽く頷いて微笑むと、ネアは「それでは、ごきげんよう」と優雅に別れの挨拶をすると、疲れを感じさせない軽やかな身のこなしで門の中へと消えて行った。



 彼女の姿が見えなくなるまで見送った後、マリアベルは小さく息を吐いた。今日は何だか、色々な事があった。星祭以降、久しぶりにシアンとシュウカに会ったり、ネアにも――と、そこまで考えてから、


「あっ!」


 思わずマリアベルは、小さく声を上げた。



 ネアの名を口にした際に感じた、



 マリアベルは、その名を以前、耳にした事があったのだ。



 ――“なるほど。確かに、ネアさんとシンさんなら、ぺんぺん草一本も残らないくらい殲滅しそうだな”



「テアレムでシアン先輩が仰っていた……!」


 そして、テアレムの村長も彼女の事を、以前妖魔モンスター退治に来た冒険者達の“リーダー的なまとめ役”と言っていた。――どうりで強いはずだ。それぞれの言葉を総合すると、かなり熟練ベテラン冒険者と言えよう。

 ネア自身がシアンやシンと顔見知り風といった話題になった時に思い出しても良さそうなものだったが、上手く行かないものだ。己のウッカリさ加減に、マリアベルはいささか落胆した。


「まぁ……今度の機会に、色々お話しを伺おう」


 敢えて口に出し、落ち込みかけた気分を振り払うと、マリアベルはランタンを持ち直して春告鳥フォルタナの翼亭へ向かって足を踏み出した――と、その時、


「ベル嬢?」


 低くよく通る……そして、聞き覚えのある声が、マリアベルの耳朶に響いた。ハッとして声の方を振り返ると、予想通り。3日ぶりの“自称・現在も婚約者”殿が立っていた。涼しそうな白橡しろつるばみ色の長衣の下にゆったりとした長ズボン、腰には長剣ロングソードを吊ったなめし皮の帯を着けている。


「これはウィリバルト様。こんばんは」

「ええ、こんばんは。……しかし、以前私があれほど言ったのに、貴女という人は」


 挨拶の後、一気にウィリバルトの声のトーンが落ちた。彼の言わんとする事が分からず、マリアベルは、よく見ようと目を凝らした。――そうして確認出来た彼の表情は、見まごう事のない、呆れ顔だった。


「追われる身としての注意に欠けているのではありませんか、と申し上げたはずですよ」


 明らかに棘の含んだ言葉が、マリアベルの耳にチクチクと刺さる。慌ててマリアベルは弁明を始めた。


「え? あ、いや、しかし……今はまだそんなに遅い時間ではありません。それに、ランタンの明かりもありますし、あと、武器も持っています!」


 これでもか! と言わんばかりに、腰に佩いた短剣ショートソードを見せるマリアベルに、彼は更に眉をしかめた。


「そういう問題ではありません。……今から春告鳥フォルタナの翼亭へ戻られるところですか」

「そうですが……」


 釈然としない顔のまま、マリアベルは頷き返した。


「では、お送りしましょう」

「え?! い、いや、結構です! 今日はちゃんと……」

「その短剣ショートソードで、数人を相手にする事は出来ますか?」

「す、すうにん、ですか?」


 ウィリバルトの圧にたじろぎつつ、マリアベルは何とか反論した。


「以前この町で襲われた時は、男が一人でした。それに、もし大人数が来たら、路地に入って一対一に持ち込めば良いのです!」

「以前は背後から剣を突き付けられたのでしょう。それは、気配を殺す事を得意とした生業の者だからですよ。そういった者が、もしまた背後から来たらどうします? 貴女は察する事が出来ますか?」

「それは、その」

「あと、路地に入る、ですか? この暗い時間に? 貴女は夜目が利くのですか? それとも、ランタンを持って戦いますか? 片手が塞がった状態で、複数を相手に戦えますか?」

「だ、だから、いや、その」

「路地はどれだけ知っていますか? 袋小路に入ったらどうするおつもりです?」

「う、ぐぐ……」

「反論はありますか?」


 ひんやりとした眼差しで言うと、ウィリバルトは腕を組んでマリアベルの言葉を待った。――しかし、勿論、言い返す言葉など彼女には見付ける事は出来なかった。


「~~っウィリバルト様は細かい!!」

「貴女が浅慮なんです」


 マリアベルの悪あがきともとれる幼稚な文句を躊躇ためらいなく一刀両断した彼は、組んでいた腕を解いて、彼女の持っていたランタンをやや強引に手に取った。


「全く……貴女とは今度改めて、もう一度よく話しをしなくてはなりませんね」


 言いながら、流れる様な動作でマリアベルへ腕を差し出した。反射的にその腕に手を伸ばしてから、彼のエスコートにこのまま甘んじて良いものか、マリアベルは躊躇した。その心中を正確に察したウィリバルトは、僅かに苦笑した。


「暗いですから、どうぞ」

「や、しかし」

「道に迷っても知りませんよ?」

「?!」


 ぎょっと目を剥いたマリアベルが勢いよくウィリバルトを見ると、彼は悪戯が成功したかのように笑いをこらえた表情で「ほら、行きますよ」と急かした。してやられた気分でマリアベルは頬を膨らませながらも、結局は彼の腕に己の手を伸ばしたのだった。

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