八、おかえり
カテナ「ん……」
気が付けば、いつもの部屋の寝床にいた。
窓の外に目をやると、もう随分と日は高く上っている。
カテナ「そうだ、オイラ……」
眠る前のことを思い出す。
頭への違和感はもうない。あるのは心の違和感だけだ。
カテナはゆっくりとその身を起こした。
目が覚めたカテナの耳に優しい音色が届く。
窓を開けて外を見ると、少し離れたところにある木の下で、パンドラがヴァイオリンを弾いていた。
優しいけれど、どこか寂しい──
イメージするなら、そのような曲である。
舞い散る木の葉に包まれながらヴァイオリンを奏でるパンドラの姿は、まるで絵画を切り取ったような美しさであった。
カテナ「───ッッ」
パンドラの姿を見た瞬間。頭ではなく、胸が。心が。違和感から苦しみへと変わった。
今までが嘘のように、頭はスッキリとしている。ブリギッドのサガのことだけではなく、それより以前のことも含め、今ではパンドラと、皆と、苦楽を共にした日々をハッキリと思い出せる。
それ故に。
廃墟の街でラスプーキンと出会ってから、皆に向けた自分の行動の記憶が、重くのしかかる。
カテナ「──ダ、ダメだ……。オイラ…みんなにあわせるかおがないよ……」
カテナはひょいっと窓の外へ出て、パンドラがヴァイオリンに集中しきっていることを祈りながら、家を離れようとした。
クルト「あっ、カテナ……!」
カテナが裏玄関の前に降り立つと、たらいと布巾を持ったクルトと鉢合わせた。
クルト「よかった、目が覚めて……まだ安静にしてなきゃダメだよ」
クルトは一瞬驚いて目を丸くしたが、すぐに安堵の微笑みを見せた。
カテナ「うがっ、クルトっ!?」
パンドラにばかり気を集中させていたせいか、クルトの存在に気づかず、カテナも驚いて目を丸くした。
カテナ「が…ぅ……え、えーっと~、そのぉ~、オ、オイラなんともないからッ! ずっとねてると、からだなまっちゃうし! だから、そのっ……は、はしってくる!!」
咄嗟の苦し紛れな弁解をし、くるっとクルトに背を向けて、そのまま二度と会わない覚悟で走り始めの一歩を踏み出した。
パンドラがいる方向とは逆の方に数十歩走り出したカテナ。
グレイ「逃げるのか?」
木にもたれかかりながらタバコを吸っている男、グレイがカテナに声をかけた。
グレイ「君のために彼女たちは命を懸けた。余計なお世話だったのかもしれないが、君が生きているのは彼女たちのおかげだ。感謝の一つもせず逃げるように去る……それは誇り高き獣人のすることではないよな?」
グレイはカテナを見ながら、タバコの煙を空に向かって吹いた。
カテナ「がぅ……」
タタタッ
タタッ
タッ…タッ……
木の横を通り過ぎようとした際にグレイの声が耳に入り、徐々にスピードを緩め、四つ足から、終いには二本足に戻って立ち止まる。
そしてグレイに詰め寄り……胸ぐらは背丈の問題で掴めないため、腰のあたりの服を掴み、ググッと力任せに木に押し付けた。そしてグレイだけに聞こえるように、小さな、しかし力のこもった声で話す。
カテナ「わかってるッ……わかってるよそんなことっ! でも、オイラ、じぶんをゆるせないんだ……!」
俯き、服を握る拳に、より一層力がこもる。
カテナ「オイラ、ラスプーキンのこと、ホントにおとーさんみたいっておもってた……。ラスプーキンからやさしくされたおもいでは、オイラがあこがれてたものだったんだ……。だから、またいっしょにくらしたいっておもったから……! オイラはオイラのねがいのために、みんなをうらぎったんだよっ……!? それなのに、どーしてみんなにあえるってゆーのさッ……!!」
目にいっぱい涙を溜めて、震える声で言う。
カテナ「じゃあっ…じゃあ……! グレイがみんなにつたえてよっ……! ありがとうっていってたって……! …さようならって、いってたって……」
グレイ「俺は君のことを、数多の死線を潜り抜けてきた、若いながらも一人前の男だと思っている。そんな君が決めたことなら、もう俺は何も言わない。好きにするがいい。但し、君のことを二日間寝ずに看病していたクルトちゃんが、君がいなくなったことでもし泣くようなことがあったのなら──俺も一人の男として、君を連れ戻し何度も頭を下げさせる。その覚悟はしておけ」
グレイはタバコを消すと、カテナの元からクルトの方へと歩きだす。強い口調であるが、その後ろ姿はどこか哀愁を帯びていた。
カテナ「…なんだよ……なんだよあいつ! きのうあったばっかのヤツに、なんでオイラこんなこといわれなきゃいけな……がぅ、きのうじゃ、ないんだ……」
零れそうだった涙を拭い、グレイが去った後の木を、焦点の合っていない目で見つめ続けた。
カテナ「オイラ、ふつかも……。クルト、ねないで……」
時折、グレイと何やら話をしているクルトをチラッと見る。
小さな半獣人は迷っていた。
ここにいる皆と一緒にいたい。
でも一緒にいたくない。
真逆の思いがぶつかり合い、身動きができなくなっていた。
グレイと話していたクルトは、ふとカテナと目が合うと、手を大きく振って駆け寄ってきた。そして叫んだ。
クルト「カテナ~! おうちに帰ろ! みんなカテナのこと待ってるよ~!」
カテナ「がぅっ…なっ…ちょっ…こえおおきッ……!」
普段静かに話す少女が突然大声を出したため、カテナは慌てふためいた。
そして、裏口から皆が現れた。ドルジ、パンドラ、アイグル、サーシャ、コヴァレンコ夫人。皆カテナに向かって手を振っている。
カテナ「……がぅっ」
見事に全員集合してしまった結果に、身体がピシッと固まってしまう。無意識に、クルトの手を握っていた。
カテナ「──いい、のかな、オイラ……。あのばしょにもどっても……。みんながよくても、オイラは……。クルトにもひどいこと、したのに……」
クルト「もちろんだよ! だってわたしたち、“家族”だから!」
笑顔でカテナの手をぎゅっと握り返すクルト。
パンドラ「よかったよ! 目が覚めたんだね!」
カテナに駆け寄り、クルトと一緒に抱きしめて喜ぶパンドラ。
カテナ「もがっ! ちょっ、“パンドラ”! くるしいからっ!」
パンドラに抱きしめられ、息し辛そうにもがいた。
始め、コヴァレンコ夫人が「パンドラお姉さん」と言っていたため、カテナもそれに倣って呼んでいたが、記憶を遮るものがなくなった今、過去に呼んでいたように、自然に「パンドラ」と呼んでいた。
サーシャ「カチェナ~!」
パンドラの後を追って、サーシャが駆けてきた。その後から、ドルジたちもやってきた。
コヴァレンコ夫人「カチェンシュカ、お帰り」
ドルジ「ほっほ、元気そうで何よりじゃ」
アイグル「お疲れさま、ほんとに頑張ったわね、カテナくん」
皆、温かい笑顔でカテナを迎え入れた。
パンドラ「ボリスさんも心配していたよ。元気になったら皆で食べてと、たくさんお肉やお酒をもらったんだ。おっと、カテナくんにお酒はまだ早いわね」
皆の笑い声がカテナを包み込んだ。
仲間たちに囲まれるカテナ。皆の優しさに動揺していると、少し遠くにいるグレイと目が合った。
グレイは優しく微笑み、親指を立ててカテナにウィンクした。
カテナ「サーシャ…おかーさん…じーちゃん…アイグル…グレイ…パンドラ…クルト……」
皆の顔を見る。
何事もなかったかのように、皆が自分を迎えてくれている。
その光景を見て、一度零さずに耐えた涙が、ダム崩壊を起こしたかの如く溢れ出てきてしまった。
家の煙突から、薪の煙の香りがほのかに流れてくる。
──ここは世界一優しい“おかえり”が待っている場所──
大粒の涙を流しがながら、カテナは笑顔で、仲間に、家族に向かって叫んだ。
「───ただいま!!」
パンドラ「さぁ! パーティを始めよう!」
コヴァレンコ夫人の家の庭にて、パンドラの合図で皆は持っていたグラスを高らかに挙げて、喜びを分かち合った。
パンドラ「
アイグル「わかってないなぁパンドラさん! Сакеの奥深さを」
グレイ「俺はどちらも好きだがな」
パンドラとアイグルがヤポニヤの酒について語っている横で、グレイはタバコを吸っていた。
アイグル「少しはタバコを控えなさーーい! 味覚が鈍るわよ!」
コヴァレンコ夫人「さぁ! どんどん食べてね!」
ボリスからもらった食材をコヴァレンコ夫人が調理して、盛大にふるまう。
カテナ「あーっ! サーシャそれオイラがたべよーとおもってねらってたやつ!」
サーシャ「えっ、そうなの? でもボクも食べたかったし、早い者勝ちだよね!」
カテナ「サーシャぁ!」
コヴァレンコ夫人「こらあんたたち! まだいっぱいあるんだから、騒ぐんじゃないよ!」
すっかり調子を戻したカテナ。
これまで情緒不安定なところが目立っていたが、今ではいつものように、明るく元気に振る舞っていた。
コヴァレンコ夫人「そういえばあなたたちは、あのヴァルトベルクの音楽祭で優勝したみたいね。この音楽にはうるさいコヴァレンコが聞いてあげてもよくてよ♪」
パンドラ「あはは、それでは聞いてもらうとしようかね」
パンドラはヴァイオリンを
クルトはフルートを
ドルジはバラライカを持って──
まるで申し合わせたかのように、即興で音楽を奏で始めた。
曲は“
はちどり(ハミングバード)は、愛と美の象徴。心と体を癒やし、人生の困難に際して導きを与えてくれるという言い伝えがある。
自然に笑顔になるような明るい音楽があたりに響き渡ると、それを聴いていたアイグルたちのテンションも上がっていった。
アイグル「グレイ! 一緒に踊ろう♪」
グレイ「いや、俺は踊りはちょっと……」
アイグル「いいじゃんいいじゃん!」
アイグルに手をとられ、渋々踊り始めるグレイ。
ぎこちないグレイをリードしつつ、アイグルはグレイの手を握りながら笑顔でステップを踏み、くるくると回って音楽を楽しんだ。
コヴァレンコ夫人「よし! あたしも踊るよ! ジルバやワルツは苦手だけど、クラブミュージックなら任せな!」
パンドラたちの奏でる音楽に、それぞれが自由に踊りだした。
サーシャ「カチェナ! ボクたちもいこう!」
太陽のように明るい笑顔のサーシャが、カテナに手を差し伸べた。
カテナ「がぅっ!? オ、オイアオっ!?」
食べることに集中し、リスのように顔を膨らませていたカテナ。べっちゃべちゃになっていた手を急いで拭き、サーシャの誘いの手を取った。
カテナはサーシャの腕ごとブンブン左右に振ったり、引き寄せたり離したり、挙句にはサーシャごと宙返りしたりとサーシャに優しくなく、激しくメチャクチャに動き回っていた。
サーシャ「カ、カチェナ~……目が回るよ~……」
サーシャは笑顔がやや引きつり、ふらふらとした足取りで振り回されている。
その様子を見て、クルトはカテナの頭をぽてっと軽く叩いて、
クルト「カテナ、激しすぎ! ダンスはこうするんだよ」
サーシャの手を取ると、軽やかに踊りだした。
カテナ「がぅっ……」
クルトに止められ、ばつの悪い顔をするカテナ。
サーシャ「クルトお姉ちゃん、上手だね~!」
サーシャに屈託のない笑顔が取り戻った。
サーシャの太陽のような笑顔と共に踊るクルトを見て、カテナも自然にふわっと笑顔になった。
アイグル「ふふ、まるで妖精さんの踊りね」
その様子を、アイグルも微笑ましそうに眺めた。
クルト「ほら、カテナも一緒に♪」
クルトはカテナに向かって微笑み、手を差し伸べた。
クルトからの誘いの手を断る理由はどこにもなく、にぱっとキバを覗かせた満面の笑顔で、その手を取った。
カテナ「がぅ! よろしくねっ、クルト!」
北の大地。少し冷たい風が吹く。冬がやってくる。
しかし、寒さを忘れるほど陽気な音楽に囲まれながら、人々の笑い声が絶え間なく続く。
パンドラはにっこりと笑った。
「おかえりなさい」
-完-
絆の記憶 鳥位名久礼 @triona
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます