29、観念的に世界一のワインを飲むことと恋バナを肴にすること
僕が寝ているとノックの音がした。中上かと思ったが、先ほどの仲居さんだった。
「布団を敷きにまいりましたが、もう敷いてよろしいですか?」
「ああ……はい」僕は寝ぼけた顔でそう答え、窓際の広縁の椅子に座った。仲居さんはテキパキと布団を敷き、挨拶をして去っていった。部屋に静寂が下り、空調の低音が耳障りに響いた。僕は椅子に座ったまままた眠りに落ちた。
中上の気配に気付き、目を覚ました。風呂上がりで顔を火照らせた中上が、カバンの中をゴソゴソやっていた。
「これ、持ってきたんだ」
中上は赤ワインを右手でつかみ上げた。それから、日本酒の一升瓶やウィスキーも取り出した。僕は正直なところ、これからそんなに飲むなんて、考えただけでもしんどかった。布団も敷いてあるし、このまま眠りたかった。だが、せっかくの旅行でそれもあるまいと思い、飲むだけ飲んで中上に付き合って、限界になったら寝ようと思った。
僕たちは広縁のテーブルに酒を載せ、対面して座った。こうしていると、いかにも旅先という感じがする。
中上ははじめに、「いいか?」と言って、タバコに火をつけた。「ふう――、ようやく落ち着いた。お前、もう吸ってないんだっけ?」
「5年ぐらい吸ってないな」
「健康的だな」
「ああ。でもお前が吸うのは気にしないから、大丈夫だ」
「ありがとう」
中上は僕のグラスに赤ワインを注いだ。「ロマネコンティだ」中上の、いつもの冗談だ。
「でもこれ、いいやつだろ?」ラベルにはよくわからないアルファベットが並んでいたが、高級そうな感じがした。
「大したもんじゃねえけど、そこそこ
「お前、ロマネコンティ飲んだことあるの?」
「あるわけねえだろ」皮肉そうに笑って言いながら、中上は自分のグラスにもワインを注いだ。グラス自体はあくまでもこの部屋に置いてあった、水を飲むためのシンプルなグラスだ。
僕たちは乾杯代わりにグラスを軽く掲げ、一口飲んだ。僕にとっては少し苦かったが、安物ではなさそうだった。ロマネコンティを飲んだことがないからこそ、これをロマネコンティだと思えば、もう僕の世界ではこれこそが〈世界一のワイン、ロマネコンティ〉になる。観念とはそういうものだ。単純で、都合が良く、魔法のようで、皮肉なものだ。
「で、今はどんなのと付き合ってんだよ?」一口飲むと、中上は唐突に切り出した。
「急だな……」
中上は
「ああ、そうだな……」
僕は妙な汗をかき始めた。だが、別に中上になら隠し立てすることもないだろう――と思ったが、もしかしたら馬鹿にされたり、妬まれるかもしれない。しかし、こうなったら隠すのもめんどうだし、なるようになれと思った。
「どこで知り合った? また職場か? いや、何かのコンパか……? あ、わかった、店か⁉」そう言うと中上はグラスを置いてタバコを手にし、楽しそうに煙を斜め上に噴き出した。まるで飛行機雲のように細くまっすぐだったが、すぐに崩れて広がり、僕たちの間に漂った。
「――いや、図書館なんだ」
「図書館⁉」中上は目を丸くした。
「そう、近くの。相手も同じ町に住んでる。あれ? 隣だったかな。どっちにしても同じ区内で、歩いていける」
「へ~え、いいねえ……」中上は、スポンジに水が染み込むのを待つように、ゆっくり言った。「それはつまり、図書館の人なの? 司書とか?」
「いや、違う」僕はワインを一口、多めに飲んだ。そのあいだに話が逸れてしまえばいいと思ったが、そんなことは起こらなかった。
「何の人?」中上は眉を寄せた。
「そこで勉強してたみたいだね」
「てことは、学者? 研究者とか?」
「まあ……、そんな感じかな……」
中上は眉を寄せたまま、タバコを何度か吸った。そして、「ああ、学生かあ」と肯きながら言った。僕は
「お前、あんまりいいように扱って、騙したりしちゃダメだぞ。相手が相手なんだから。将来があるんだから」
「いや、騙してはいない」僕は首を振った。
「ま、あっちがいいんならいいだろうけど。しかし、わからないもんだねえ――」中上は美味そうにワインを飲んだ。
その晩、中上は僕と美紀のことを
中上は酒にも話にもひと通り満足すると、1時過ぎに「そろそろ寝よう」と言った。僕もだいぶ酔っていて、それ以上は飲めなかった。僕たちは明かりを消して、布団に潜り込んだ。中上はすぐに寝付いたが、僕は眠気はあるのに何だか気が騒いで落ち着かず、さらに中上の
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