26、中上のこと

 僕はここ数年、友人付き合いをできる限り避けていた。晃子がいればそれで充分だったし、晃子と別れてからも美紀がいた。正直、それまで付き合いのあった友人たちとは、学生時代からの惰性でたまに会っていただけで、僕も彼らも、お互いに飽き飽きしていた。単なる暇つぶし。さほど心が癒されるわけでもなく、イヤな気分になることさえあった。僕はすでに孤独に慣れていたし、恋人として晃子や美紀がいたので、まったく寂しくなかった。

 だから僕は、友人の誘いは基本的に断っていた。一番会っていたのは中上なかがみという大学時代からの友人だったが、彼にさえ半年に二度会うかどうかだった。


 7月下旬、中上から久しぶりにメールが入った。休日に、中上の運転で温泉に行こうという。中上の言う『休日』とは土日のことだ。だが僕は不定休で、必ずしも土日が休みではない。

 中上は、『今回は、金曜か土曜の夕方から、軽く一泊でいい』と言ってきた。僕は8月の第一日曜が休みだったので(それ以外は美紀との予定があったり、土日どちらも出勤だったりした)、そのタイミングで行くことになった。その前後の土曜と月曜は仕事が入っている。僕としてはハードスケジュールだが、中上にしばらく会っていなかったし、〈温泉〉にも惹かれた。

 もちろん、美紀にはすぐにLINEで伝えた。ごく当たり前に、遊びの許可を得ようとしている自分がなんだか滑稽だった。他の誰かと遊ぶ許可を得るのと同時に、会えないことへの謝罪……。何だか年齢が半分ほどの美紀に、すっかり尻に敷かれているようだ。だが悪い気はしない。美紀は『たまにはそれもいいでしょ』と、認めてくれた。

 僕はやはり(と言うべきだろう)、中上と出かける土曜に仕事の早上がりはできず、定時で上がって急いで帰った。中上は前の日の電話で、「会社の近くで拾っていこうか?」と言ってくれたが、僕は会社まで余計な荷物を持ってくるのは面倒だったし、スーツや革靴をいったん脱ぎ捨ててスッキリしたかった。いったんアパートに戻ってから、楽しい旅に出たかった。

「いや、ウチにいったん帰らなきゃならないんだ。早退できれば早退するけど」と僕は言った。

「じゃあ、お前んちに迎えに行くよ」

「いいのか?」

「いいよ。俺は昼間から遊んでるし。早退にしろ定時にしろ、仕事が終わったら連絡くれ」

「わかった」


 中上は28歳のとき、三度目の転職で大手の電機メーカーに中途採用され、支社で課長になっていた。国立くにたちのマンションに住み、5年前に購入した日産の黒いエクストレイルをこよなく愛していた。今や僕とはまったく違う世界の住人だが、ただひとつ、〈独身〉という共通点で、僕らは首の皮一枚(しかし、意外としっかりした皮のようだ)つながっていた。

 僕は帰りの地下鉄の中で、胸騒ぎを認めざるをえなかった。自然と鼓動が早く、強く打つ。久々に美紀以外の人間とプライベートで会うのだが、それだけでこんなに落ち着かないなんて……。逆に、これまでいかに友人たちをを避けていたかを知った。僕は今日、会社を残業もなくすんなり出てこれたことを、なんとなく残念に思ったくらいだった。たぶん早退だってできたのだろうけれど、言い出す勇気も湧いてこなかったし、面倒だった。のらりくらりとしながら、実は中上と会うのを避けようとしていたのだ――。

 僕はそれに気付くと、我ながら呆れて、車内で独り微かに鼻を鳴らした。『ま、会おうじゃないか、久しぶりなんだし』と自分に言ってうなずくと、胸騒ぎはあいかわらずだったものの、気持ちはだいぶラクになった。

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