End Chapter- 拝啓、梟のあなた

エピローグ

 暗部の人間たちによって引き起こされたクーデターは、混乱が少ないまま終息した。

 長年の下準備と、北国ノルタニアや南国サウザとの水面下での連携があったためである。


 王がに暗殺された後、すぐさま南北の国が介入した。北区はノルタニアに、南区はサウザにそれぞれ吸収され、西区・東区、それに王城跡の残る中央区は“共同管理区”という名目で当面管理されることになる──だろう。双方の国にそれとない働きかけは済んでいるが、その後の展開まで旧暗部メンバーはシナリオを立てていない。



「夜明けか」



 王城の外壁上で、イーグルは夜明けの白い光を浴びていた。

 クロウが伝令用にと残したカラスが、次々と各地からの報告を運んできていた。想定していたよりも死傷者数は抑えられているようだ。小さく安堵の息をつき、空を仰ぐ。


 彼は面を外さない。

 罪を背負って身を投げることもしない。過去を負うのは年寄りの役割──王の元で働いた業は、最後までそそいで見せる。


 次の世に、正しい朝をもたらすために。






   ──◆──◇──◆──






 瞼に光が当たる。

 まどろみの中で、彼女は訝しむ。



(死んだ後の世界……? 思ったよりも明るいところなのかしら)



 戸惑いつつ目を開ける。

 柔らかな日差しが窓から射し込んでいた。どこかで鳥が囀っている。風に揺れる葉擦れの音が聞こえる。


 その部屋は、どう見てもオウルの家の寝室だった。



(……わたし、死んだはずじゃ……?)



 体を起こそうとした彼女──フクロウの少女は、ふと、ぎくりと動きを止めた。

 一度にたくさんのことに気が付くと人間は情報過多で動けなくなる。彼女が一体何を目にしたかと言うと。



 その一、自分の隣に男が寝ている。


 その二、掛け布団からはみ出す男の肩は、着衣でない。


 その三、自分も肌着しか身につけていない。


 その四、自分を抱きしめるついでか、男の手が肌着の中に入り込んで腹に添えられている。


 その五、ベッドサイドの棚に、



 フクロウ少女は固まった。

 死んだと思って目を覚ましてみれば、これやいかに。



「……ん……? 何だよ、もう起きたのか。まだ寝てろよ」



 よく聞き慣れた低い声。

 その顔を認識した途端、ただでさえ困惑している少女は、より混乱した。


 見た瞬間に思い出したのだ。

 ──“イザク”の顔を。



(えっ、待って……え、えっ、何、どうなってるの!?)



 混乱した少女を落ち着ける要素は、その場にひとつもなかった。

 だから誰も責められまい──オーバーヒートを起こした彼女が、魔法でナイフを呼び寄せたとしても。



「……んァ!? お前、ちょ、ちょっと待て、早まるな!」

「『黙れ』!」



 ……咄嗟に口をついて、秘密の技“言霊ロゴス”が飛び出したとしても、だ。

 黙れと言われた男は黙るよりほかになかった。“降参”の形に諸手を宙に上げたまま、少女の采配を待つ。


 少女はそのまま二、三深呼吸をした。が、すぐさま冷静さを取り戻せはしなかった。状況を打開するには、やはり、この男が鍵となるのだと判断した。

 渋々“おまじない”を解く。



「……『喋っていいよ』」

「光栄です」

「でも許したわけじゃない。どういうことか説明して」



 ナイフを鼻先に突きつけられて、イザクの顔をした男は青い顔で何度も頷いた。



「……あ、でもその前に」

「なによ」

「服。お互い、着た方が落ち着くと思う」



 限界を超えた少女は真っ赤になった。












 父親に瀕死の重傷を負わされていたイザクは、事件からひと月後にようやく目が覚めた。

 自分を助けに入った少女は既に町から姿を消していた。行方を知る者はなく、残された書き置きにも行先については触れられていなかった。手紙を送ってもすべて宛先不明として郵便局に溜まっていくばかり。


 イザク少年は自力で探すことにした。有り余る魔力を用い、カラスを操る術を身につけた。国内中どこにでもいるカラスという鳥は、行方の分からぬ少女を探すに最適と考えたのだ。

 するとある日、父親の“元同僚”を名乗る鷲面の男が現れ、取引を持ち掛けてきた。暗部の人間、〈オウル〉となった少女の上司……。



「力を貸してほしいのだ」



 イーグルはそう申し出た。父親の後継としてではなく、一人のエージェントとして。

 そしてもう一つ、魔力のタンク役として。



「父親から受け継いだ固有魔法アンチ・マギカは求めておらん。君は魔力操作を得意とする一族の末裔、しかも父親以上に魔力を有し、操作の緻密さも持ち合わせている。その力を──お前の探している少女に、役立ててはくれんか」

「お国のためじゃなく?」

「国のために働いてくれるのならば、それ以上のことはあるまい。だが……君たちにそれを求めるのが酷だと、私も分かっている」



 鷲面の奥は見えなかった。

 だが、苦渋の色を、イザクは見た気がした。


 その瞬間、王政に終止符を打つ計画が彼の中で組み上がった。王の信頼を得、同僚を仲間に引き込み、カラスを駆使して情報を集め、最後にある一点をつけば、この国は崩れるはずだと。



 エージェントとなったイザクは、“魔力回復役”という名目で〈梟〉の少女に会いに行った。ところが一目見た途端、急に不安が膨れ上がる。

 自分も成長したが、成長期を経た少女は女性になっていた。その変化は自分と少女の間に流れた長い時間を、嫌でも思い知らされた。


 何せ、四年だ。その時間は、少女と過ごした時間よりもずっと長い。

 もしかして、イザクのことは既に忘れたのではないか。少女の中にまだイザクはいるのだろうか。自分がイザクだと名乗ったところで、少女に明るさが戻るのかどうか。

 だから“クロウ”という人物を演じて、しばらくは様子を見ようと思った。


 ……そう決めた僅か数十秒後、にかけられるなど、誰が思おうか。



「『わたしを裏切らないで』」


(…………は?)



 王の“他者支配”よりも強い、根本的に異なる力。

 少女が紡いだ言葉は絶対的な命令として、“クロウ”に解けない鎖を巻いていく。



「『イザクに会っても、わたしのことを話さないこと』」

「……ッ、お前」

「『わたしに』……『イザクを会わせないこと』」



 黒曜色の瞳が揺らぐのを、カラス面越しに眺めることしかできなかった。

 少女にイザクを会わせてはならない。つまり──自分は彼女の前で面を外すことができない。自分がイザクだとすら、思わせてはならない。



(……マジかよ)



 しかし、この力があれば……王政を転覆させる計画の成功率が、格段に上がる。

 ゆっくりと少女に付き合っていくうち、彼女が“ネクロ・メモリア”を消滅させるつもりであると分かった。そしてある日──自分の中に固有魔法“反魔法アンチ・マギカ”が芽生えた気配がした。




 クロウのシナリオはその瞬間完成した。


 “ネクロ・メモリア”を使い果たして息絶えたら、“アンチ・マギカ”で蘇らせるのだ、と。











「……ええと」



 すべて聞き終えた少女は、ソファーで黒曜色の瞳を彷徨わせていた。

 その様子を黒髪の男が少し離れた隣から見守る。温かく優しいその視線に、少女はくすぐったい心持ちになる。



「じゃあ……その……あなたはイザクで」

「そう」

「イザクはずっとクロウで」

「うん」

「……一度死んだわたしを、固有魔法で蘇らせた?」

「よくできました」



 瞼がやや垂れている目を細めて、男は柔らかく笑った。その笑い方は間違いなくイザクのそれだった。



「上手くいく保証はなかった。魔法の効力をなくしたり、大火事を止めたり、そういう用途はいくらでも前例があったが、死を覆せるかどうかまでは机上の理論でしかなかったからな」

「そんな無茶を……」

「でもまあ成功して良かった。親父どのが一生かかっても出せなかったのはこのためだったのかもな」



 柔らかい笑みが、ニヤリといたずらっぽいものに変わる。



「オウルちゃんの望み通り、“ネクロ・メモリア”は消滅。イザクとも再会。悪役は死亡。ハイ、一件落着。オレ天才」

「バカ! あと何で脱がせたの!」

「それは悪かったと思ってる。“アンチ・マギカ”が思った以上に消費が激しかったんでさァ。俺も死にかけたから、素肌に触れて回復しようと」

「だからってあそこまで脱がせることない……」



 少女は両手で顔を覆った。いたたまれないのだ。

 それを男がいつもの調子でからかう。



「もっと食べた方がいいぞ」

「……バカ……本当、バカ」



 おどけた口調はクロウのもの。しかしよく聞いてみれば、低い声はイザクのものとよく似ている。よくも今まで気が付かなかったものだ、と少女は呆れを通り越して感心した。幼い記憶がショックで塗りつぶされていたとはいえ、八年ぶりに顔を見てようやく思い出すとは。



 チラチラと少女は男を仰ぎ見る。戻った記憶の中のイザクとはやはり違うところも多い。



(あの日の……傷かしら)



 目の前のイザクは額から右目下までざっくりと傷跡がある。開いたシャツの襟から覗く喉元には、やや薄れてはいるが手で絞められた跡。先ほど目にした上半身の至る所にも、刺し傷や煙草の火傷が残っているのが見えた。

 変化は傷だけではない。あの頃から身長も伸びているし、何より目の色が変わっている。



「……目の色、前は深緑色じゃなかった?」

「あーこれ。“アンチ・マギカ”が俺のものになった時期にこの色に」



 自分の目を指さすイザク。その瞳の色は、深い紅色をしている。



「魔法使っても戻らないんだな。ずっとこの色のままかも」

「身長伸びたよね」

「男は後から伸びるんだよ。親の虐待から解放されたってのもあったのかね、今ならあのくそ親父に殴り掛かられても完全に見切れる自信あるぜ」



 というか一発KOできるな、と嬉しそうな顔のまま頷く。細められた紅い目があの髪紐と同じ色だと気が付き、じわりと頬を赤く──ああこの色も赤だ、とますます頬を染める。



「何だ、どうしたよ。覇気がねえぞ覇気が。少しくらい罵られると思ったんだが」

「……罵られたいの」

「実はちょっと楽しみにしてた。……おいで」



 “イザク”と“クロウ”が交互に顔を出す。クロウの時は「おいで」なんて一度も言わなかったくせに、と睨んでもどこ吹く風で、男は自分の隣に詰めて来た少女の髪をくしゃくしゃ乱した。

 懐かしいその感触にしばらく身を委ねて、少女はふと目を伏せた。



「……これからどうしよう」



 死ぬつもりだった少女にとって、今という時間は突然降ってきた未来だ。

 所属していた機関は解体された。“ネクロ・メモリア”を失った今、以前のように固有魔法ありきの仕事には就けない。暗部の給料は破格だったから貯金には困らないが、することがないといくら金があっても仕方がない。生きる目的を探すところから始めなくてはならないのだ。



「どうしようったって、どうとでもすればいいのさ」



 男はそういって、なぜかカラス面を手に取った。前髪を掻き上げて面をつけると、見慣れたカラス男の姿だった。

 そして魔法で何かを手元に引き寄せる。



「まあまずお前がやることは、“イザク”の手紙に返事くれるところからだ。ホレ、“クロウ”としての最後の配達だ」



 真新しい封筒を差し出され、少女は困惑した。


 促されるがままに受け取り、封を切り、便箋を取り出す。

 いつもの癖で文字を指でなぞりながら読む彼女の顔が、



 ──読み進めるにつれ、真っ赤になった。



 カラス面を外した男は喉の奥で笑った。柔らかい笑みを浮かべて、もう手袋を嵌める必要のない手で黒い髪を梳く。

 細く長く、骨張った男の手。


 低い声が優しく少女の名を口にする。






「ノエル」











──◆──◇──◆──



「拝啓、梟のあなた」


 完

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