5-3

 検死官が書き上げた記録用紙は、実に数十枚を超えた。

 目元がげっそりと疲れつつも、瞳を爛々と輝かせて「早速イーグルの元へ持って行きます!」と通路をダッシュしていった。暗部顔負けの俊足であった。






 彼の姿が見えなくなった途端、糸が切れたようにオウルの体から力が抜けた。

 床に倒れ込む寸前、革手袋を嵌めた大きな手が細い体を抱き留める。



「回復はしない。手筈通りにね、クロウ」



 オウルは面を外した。

 死人に近づきつつある顔色だった。



「いいのか、本当に」

「うん。ずっと夢だったから。“ネクロ・メモリア”の継承断絶、わたしはこのためだけに……」



 ──あの日、母が自分に“ネクロ・メモリア”を継承する時の言葉を、オウルは忘れたことはない。


 あの時は何も知らなかった。「私で終わらせるつもりだったのに」という言葉の本当の意味を知ったのは、固有魔法を継承してしばらく経った後だった。共に受け継いだ“魔法に眠る記憶”を得たオウルは、代々の保有者がずっと一つの目的の元に動いていたと分かった。


 死体の記憶を暴くなど、気味が悪い。

 意味あって墓場へ持ち込む秘密だ。それを暴き、あまつさえ政治に利用しようなどと、誰が歓迎しようか。



「暗部で死体を暴き続けてきたはずっと、この世からこの魔法を、“ネクロ・メモリア”を消し去りたかったのよ。母はあと一歩のところまで行ったけれど、わたしが見つかってすべて台無しになってしまった……だから、わたしが、期の熟した当代で終わらせることができれば……」



 手段は簡単。

 後継を残さないまま死ねば、“ネクロ・メモリア”は永遠に失われる。


 クロウに運ばれながらオウルはゆっくりと、長年の思いを告白する。

 すべて失った自分が生きてきた目的。王政を覆すというクロウの取引に乗った理由。



「本懐も遂げられて、お父さんとお母さんの復讐もできる。これ以上ない取引だった。……だからねクロウ、あなたにずっと無理を言って手紙を運んでもらっていたのが、少し申し訳なくて」



 その上自分はこれから、タダで彼に頼みごとをしようとしている。

 何も返せない。返すものが、オウルの手元にはもうない。






 通路が終わりを迎え、王城のまわりを取り囲む森に出た。既に日が傾き始めている。クーデターの混乱はだいぶ治まったようだった。優秀な仲間たちがヒラヒラと飛び回ったのが陰ながらに功を奏したのだろうと、オウルは暮れなずむ空を目に映して思った。


 草むらの上にそっと下ろされる。

 クロウの手つきは壊れ物を扱うかのようだった。優しい人だ、その優しさにつけ込むわたしは悪い女だ、と胸の内でオウルは自分をわらった。



「……わたしの家の、テーブルの上にね」



 鮮やかなはずの視界から色が失われていく。赤い夕陽だけが目に焼きつく。

 死ぬ前に、唯一人の相棒に、最後の頼みごとをしなければ。



「手紙があるの。わたしから、イザク宛に。運んでくれる?」

「そんなに運んでほしけりゃ“ロゴス”でも何でも使えばいいだろ」

「ふふ……あなたはきっと運ぶわ。そうでしょう、運び屋のカラスさん」

「なら、オレにかけた“ロゴス”の命令を解け。それさえやってくれたら、考えてやらねえこともない」



 クロウがゆっくりと髪を撫でてくるのを、オウルは静かに受け止めた。魔力の残りかすを集めて『解除』と一言唱えると、クロウの中から光が抜け出て宙に消えた。



「どう?」

「……ま、かわいいオウルちゃんのためとあらば、どこへでも運んで差し上げますよ」



 おどけて見せるクロウの声は低くかすれていた。そう言えばいつもはやかましいカラスが、今日はほとんど喋っていない。

 そんなに神妙になることだろうか、とオウルはぼやけていく意識でそう考えていた。自分とクロウの関係は“同僚”で“仲間”、すっぱりと割り切ったドライな関係だ。“ネクロ・メモリア”を使い果たして死ぬことを承知の上で、今回の首謀者クロウはシナリオを作ったのだから。


 でも、この陰鬱な復讐への長旅を付き添ってくれた彼は、いつの間にかかけがえのない存在だったのかもしれない。もしかすると、彼にとっての自分も。

 今更それを言葉にするつもりもない。自分たちはそういう、暗に線を引き続けた、限りのある関係なのだから。



「……クロウ……」



 あと幾らも呼吸すれば、心臓は止まるだろう。


 最期の息を、感謝の言葉に変えよう。

 最期の息を、もしかしたら特別な関係になっていたかもしれない同僚に。



「なんだ、オウル」

「ありがとう」

「……おう。おやすみ」



 安心しきったように、オウルは黒曜の瞳を閉じた。

 長く長く息を吐ききって、少女の心臓は魔力欠乏によって停止した。
















 ──カラスが、ニヤッといたずらっぽく笑った。



「バァーカ。だからお前はいつまで経っても小娘なんだよ」



 その一声が発せられるや否や、周囲の森からカラスが一斉に飛び立った。

 クロウの遣い鳥たちが上空を舞う。その中心でカラス面の男が不敵に笑う。



「さァて頼んだぜお前たち。見張りと外敵排除、その他諸々。万一誰かに見られても、は“ロゴス”なんて便利なツールは持ち合わせてないんでね」



 クロウは手袋を外した。

 が、まだ温もりを残す少女の亡骸に翳される。



「さあ、一世一代の大仕事だぞ。──『反魔法アンチ・マギカ』」




 夕暮れの森が赤い光に満ちる。

 それを見た者は、空を舞う夥しい数のカラスだけであった。

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