4-2
「以上で終わりですか」
「ええ、終わりです。……大丈夫ですか、オウル? あなたといえど、さすがに一度に七体など無茶だったのでは……」
口元を覆っているマスクをずり下げ、検死官がオウルの顔を覗き込む。彼女は当然半分以上が面には覆われているのだが、露わになっているその頬は青白い。
「大丈夫です。ただ……少し休憩してから下がります」
検死にとあてがわれたテントを後にし、人の集まる休憩スペースではなく、物陰で一息つくことにした。検死官も血の跳ね飛んだ手術着を脱いで、オウルの隣に座り込んだ。魔法こそ使わないものの、遺体の所見や“ネクロ・メモリア”による情報を整理する彼も、顔色はあまり優れていない。
クロウに髪紐を贈られて以来──オウルが酷く動揺したあの日以来、クーデターが各地で相次いだため死体検分の任務が増えていた。これで何件目だろうか、オウルは既に数えるのをやめている。
元々顔馴染みでもあった検死官とはすっかり仕事仲間になってしまい、他のエージェントたちよりも彼の方がよく会うようになった。あまり嬉しい仕事仲間ではありませんね、と検死官は会うたびにマスクの下で苦笑いする。
「その魔法、魔力消費が激しいのですね」
二人でチョコレートを頬張っていると、検死官が口を開いた。あまり雑談はしない二人だが、こうも頻繁に顔(オウルは面だが)を突き合わせていれば会話も生まれる。
「通常の魔法よりも消費効率が悪いようだ。よく体が持ちますね」
「任務ですし、慣れています。それに……」
回復役がいるのだ、という言葉は何故か出ない。何も後ろめたいことなどないのに。
「……固有魔法なので、それなりに大丈夫です」
「なるほど」
検死官は納得したように頷いてくれたが、言った後でオウルは何がそれなりだ、と自分を嘲る。
クロウは元々、荒事専門に訓練されたエージェントだ。暴動鎮圧に駆り出されて忙しくなり、ここ最近魔力回復に彼が現れることはない。顔を合わせるのが気まずいオウルとしては助かるが、そろそろ心細くもある。
(……心細いって何よ……)
自分はそんなにあの男に依存していたのだろうか、とオウルは自分を笑い飛ばしたい気分になった。面を被っていると感情の起伏がより薄いはずなのに、あの一件があってからどうも揺れる。
(任務に支障をきたさないようにしないと)
それで、よくチョコレートを齧るようになった。糖分を増やして気分を整え、魔力の自己回復を促す。
そんな彼女に検死官が付き合うのは頭脳労働での疲労を癒すためである。「パパッとカロリー取れるから便利な食べ物だ」という、非常にドライで合理的な理由を述べてはいるが、この検死官はきっと甘党なのだろうとオウルは踏んでいる。何故なら毎度、消費する板チョコの量がオウルの倍、もしくはそれ以上だからだ。
「では、今日はもう状況も落ち着いたようですし、わたしはこれにて」
「お疲れ様です。……また近いうちに会うことになりそうですけど」
検死官は目元を隈で真っ黒にしている。面で隠してはいても、それはオウルも同じだ。
労いの念を込めて二人で頭を下げ合い、それぞれ帰路についた。
──◆──◇──◆──
家のある森へ帰る頃には明け方になっていた。
あとどれくらい眠れるだろうか……重たい頭とふらつく足を叱咤し、小走りでオウルは駆けていく。
しかし、何かに気付いたように立ち止まった。
森に満ちる空気が乱れている。
この感じをオウルはよく──自分でも呆れるほどによく、知っている。
向きを変えてそちらへ向かう。乱れの元はすぐ近くにあった。木の根元の茂みから長い脚がはみ出している。それを見たオウルの表情筋が僅かに動いた。
「頭隠して
カラス面の男はすっかりくたびれていた。
会ってみると案外平気なものね、とオウルはフクロウ面の裏でそう思った。
「……よォ。久しぶり」
「いつもは魔力を持て余してるあなたが、今日はどうしたの。これじゃあ立場がいつもと逆ね」
「悪い、森の魔力分けて貰ったわ」
「それは構わないけれど。わたしも分けられるほど魔力が残っていないし」
彼のマントのあちこちが破けているところを見ると、かなりの傷を負っていたようだった。大方
「肩貸してあげるから。少しわたしの家で休むといいよ」
「お前な……弱った男を家に上げるとロクな目に遭わんぞ……」
「言ってる場合ですか。そんなになっても口は減らないのね」
「そう言うお前はいつもより口数が多いな」
そうかもしれない、と自分よりも体格のいいクロウを起こしながら薄く笑った。彼の姿を久方ぶりに目にしたというだけで、チョコレートを食べた後のように体が軽くなったのだ。
どうかしている。
きっと疲れて眠いせいだ。自分も、クロウも。
「ほら、家に着いたよ」
肩を貸しているオウルは、クロウに合わせて一緒にソファーに身を沈める。
マントを掛けなきゃ、と立ち上がろうとしてすぐ引き戻された。犯人はもちろんクロウ。
「ちょっと。マントがシワになっちゃう」
「後でお前の“ロゴス”で直せばいい」
「面を外したいのだけど」
「その辺に置きゃいいだろ」
「……シャワー浴びたい。臭いが」
「明日でいい。大して変わんねえよ」
何を言ってもクロウはオウルを離そうとしない。それどころか腕に彼女を閉じ込めたままソファーに横になる始末だ。
「……なあお前、髪紐は?」
挙句、寝ぼけたようなことを言い出した。
表情を動かすのが苦手なオウルも、さすがにこの一言には顔をしかめた。
「任務だったのよ、着けてるわけないじゃない」
「今着ければ」
「……あのねえクロウ、だったら離してくれなくちゃ。そこのサイドテーブルに──」
言うが早いか、長い腕が片方離れて、数秒後にはオウルの目の前で赤い飾り紐が揺れていた。
(……何なの、この人)
黒い大きな手がフクロウ面を剥ぎ落とした。面が床に落ちてカランと音を立て、黒曜の瞳が揺らぐ。
「……着けたら寝てくれる?」
「おう」
「……分かっ、た」
結ぶために離すような真似はしてくれなかった。窮屈な体勢のまま何とか髪をまとめて見せると、カラスは満足げにゆっくり息を吐いた。
「オウル」
「なに、クロウ」
「……オウル」
大きな手が、髪を乱す。
指が瞼に触れ、そっと閉じられる。
「やっと眠れそうだ。おやすみ」
「……うん、おやすみ」
逃げ出したいほど胸が苦しいのに、この温度に何よりも安堵を覚える自分が、オウルは一番分からなかった。でも彼女は訳を分かろうとはしなかった。そんなことよりも眠気の方が勝ってしまった。
そのまま意識は、温もりの中に紛れてまどろんでいったのだった。
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