Chapter 4- 動乱の最中、揺れる黒曜

4-1

 オウルは目を開けた。ソファーに座って、両手を握りしめていた。

 ふう、と息を吐いてサイドテーブルに置いておいたマグに手を伸ばす。砂糖とミルクを多めに入れたカフェオレで糖分を摂取し、魔力回復につなげる。


 北区でまたクーデターが起こった。今度は他国との繋がりはないらしい。ほどなくして鎮圧部隊や諜報機関の実働部隊が出動し、規模を広げる前に事態を治めたのだった。

 その様子を、オウルは動物や虫を介して見ていたのである。



(少し、疲れた……)



 雪の少ない中央区や西区とは違い、北区は既に雪に閉ざされて久しい。オウルが直接寒さを感じることはないが、雪国で繰り広げられる暴動と鎮圧の様子は、見ていて気分のいいものではない。


 クーデターが起こるのも止むなし。オウルはそう考えている。

 この国は王政だ。そして魔法への依存度が、周辺国よりも強い傾向にある。強固な魔法国家を理想とする現国王がその座に就いてより、魔法依存は加速度的に度合いを増しているのだ。

 結果、固有魔法を血で伝える家は栄え、そうでない家や民との格差を拡げていった。身分制度がないはずのこの国で、性別でも生まれでも外見でもなく、先天的な魔法適性による差別が行われていた。


 周囲の国々はとっくに民主化や分権がなされている。魔法を科学的に解明・応用する取り組みも盛んだ。対してこの国は遅れている──という世論の風潮を、すべての張本人である王に止められようはずもない。そのことでますます王は強情になる。悪循環だ。

 強情な王と改革を望む市井、国家機関の各部署はこの両者の板挟みで思うように身動きが取れないでいる。それはオウルたち暗部も然り。


(早く手を打たねば。だけど、を進めようにも、わたしは特に王の目が強い。……あら、クロウだわ)


 チョコチップを混ぜたスコーンを頬張っていると、慣れた騒がしい気配が森に現れた。ああ、今日もカラスがやって来た。ガンガンゴンゴン扉がノックされる。



「オーウールーちゃーん!」

「そんなにノックしなくても、あなたが来たらすぐに分かるわよ」

「おや嬉しいねえ。オレの気配を分かってくれるとは……いってェ」



 黒い革ブーツに踵を落として、オウルはクロウを家に招き入れた。最近凶暴化してねえか? と呟くクロウにこぶしをお見舞いしようとすると、



「はいストップ。任務の通達です」



 スッと目の前に丸めた紙を差し出される。

 不服そうにこぶしを収めて、バチバチと火花を上げる通達書に目を通す。今しがた様子を窺っていた地域へ赴き、クーデターの際に死んだ人々の“読み取り”をせよ、という内容だった。どういった狙いがあったのか、武器の入手経路は、首謀者は……そういったことを割り出したいらしい。



「何体か読み取らなきゃならないみたい」

「そりゃしんどいな。大丈夫かよ」

「初めてじゃないもの。それにどうせ、あなたも同行するんでしょう。ガス欠を起こさないように」

「ご明察。だが、任務前にその魔力量じゃちとキツいな」



 流れるような動作でソファーに座り、クロウはオウルの食べかけのスコーンを口の中に放った。



「ちょっと」

「あん?」

「デリカシーなさすぎ」

「オレも魔力補充しねえとさ。ほら、来いよ」



 苛立つのは魔力が少ないせいだ。任務に向けて気持ちを整えようとオウルは気を落ち着け、大人しくクロウの腕の中に納まる。



「スコーン、まだ残ってる?」

「残ってない。オレが全部食っちまった」



 さすがカラス、食い散らかすのが早い上にすべて平らげてしまうとは。



「甘いのバッカだな。まあ、魔力回復にゃ持ってこいだが」

「……そうね」

「何だ、どうしたよオウル。覇気がねえぞ、覇気が」



 ギュウッとクロウの制服を握りしめる。

 自分の中で穴を広げていくこの感覚の止め方が分からない。縋るようにクロウにしがみついても、彼はカラス面という分厚い壁に阻まれている。


 この感覚の名前を、オウルはよく知っている。

 幼少から馴染み、イザクと母との別れからより奥深くに巣食うようになった、この感情。



「──寂しい」



 気づけばそう口にしていた。言葉を得た感情は、ますますオウルの暗い穴を深く広げた。言わなければよかったと後悔しても遅い。



(言ったところで、どうなるわけでもなしに)



 口走ったことを“ロゴス”で取り消してしまおうか。“ロゴス”を使った相手の記憶を消すのと同じ、そう、そうすればいい。

 ところが顔を上げる前に、それまで黙っていたクロウが口を開く気配がした。



「抱いてやろうか」

「……え、は」



 出し抜けにクロウがそう言った。それきり彼は再び黙ってしまう。

 オウルの頭の中をぐるぐると思考が駆け巡る。



(抱くって、ええと。今その姿勢なわけで……じゃなくて、っていう、え?)



 じわり、と熱が顔にせり上がってくる。

 心臓が暴れ出す。全身に力が入る。



(今、この体勢で言う!? それを!?)



 今自分を閉じ込めている腕は、視界に映る黒いインナーで覆われた首元は、低い声は、そういえば男のものだった。今更そのことに考えが及び、オウルは混乱するも、上手く声が出ない。



 けれど、すぐにオウルは思い当たった。

 なぜクロウが、同僚でのこの男が、突然そんな提案をしたのか。



(……律義だ。そして、あれこれ言うけれど、結局優しい人だ)



 ぐるぐると混乱する間、その気があればどうとでもできた長い腕を、クロウは一ミリも動かさなかった。彼はそういう人だ。見方を変えればズルいともとれるが。



「ありがとうクロウ。ごめんなさい、そんなことを言わせて」

「…………」

「たぶんあなたに抱かれたところで、この寂しさは埋まらないのよ、上っ面の一時的な満足はあるでしょうけれど。きっと一度じゃ終わらない。ずるずるもつれ込んでしまう。それはよくないことよね……わたしにとっても、あなたにとっても」

「小娘のくせによく分かってんじゃねえか」

「自覚があるのよ。でもクロウとは、ちゃんと同僚でいたいから」



 この気持ちに蹴りをつけられるよう、わざと自分ににそう言ってくれた同僚は、低い声でくくっと笑った。



「あーあ、残念。振られちまった」

「そのつもりだったでしょう。……それに考えてみたらあなた、最中も手袋と面を外さないつもりでしょ。そんな男とするなんて嫌だ」

「たしかに」



 漂っていた変な空気は消え失せて、クロウは黒制服の懐に手を差し入れた。



「さて、カラダ目当ての男を躱した賢いオウルちゃんにはご褒美をあげようかね」



 イザクの手紙かしら、とオウルは一瞬期待したが、黒手袋が持つそれは違った。小さな茶色の紙の包みだ。

 訝しげにクロウを見上げると、開けてみろ、と言わんばかりに顎で指される。カサカサと音を立てながら封を開けると、艶々と光る赤の飾り紐が。



「……髪紐?」

「アタリ」

「え、なんで」



 先日町で髪紐が壊れてしまってから、オウルは新しいものを買えずにいた。タイミングがなかったのと、どうにも気が乗らなかったのだ。

 あの暗殺任務以降、オウルはクロウに会っていない。髪紐事件のことを彼は知らないはずだ。となると、考えられることは一つ。



「……まさかあなた、どこにでもカラスを飛ばしてるの?」

「クーデターのことできなくせえからよ、国中にオレのカラス配置してる」

「わたしの森の近くは別にいいでしょう、守備範囲が重なって魔力もカラスも無駄遣いになるよ」

「あの日お前万全じゃなかったろ。スパロウとスワロウも顔色悪かったって心配してたぜ」



 改めて髪紐を見つめる。同系色の糸を何本か編み込んである上、端の糸止めには銀細工の飾りがついている。

 素直に綺麗な髪紐だと、オウルは思った。綺麗なだけに余計に受け取りにくかった。



(だってにしては……いつものセンスはどこに行ったのよ)



 どこかに皮肉が隠れているに違いないと丹念に眺めるも、何らおかしなところは見当たらない。それどころか、ますます綺麗さに目を奪われるばかりだ。



「なんだよ。そんなに気に入ったかい」

「……髪飾りを贈るのに何か変な意味はなかったかしらって」

「疑り深ェな。ありがたくもらっときゃいいんだよ」

「わ、分かった赤、この色に何か意味が」

「オウルー。しつこいぞ。フツーに普通のプレゼントだっつの」



 信じられないとばかりに目を剥いたオウルを見下ろし、くつくつと低く笑うクロウに悪だくみの色は見えない。

 恐るおそる髪をまとめ、紐で括る。自分では見えないからとクロウを見上げると、彼の雰囲気が変わった。




 口元が柔らかく弧を描く。


 手袋を嵌めた大きな手が、髪を乱すように撫でる。



「たまにゃそれくらい飾れ。プライベートぐらい」






 ──凪いでいた記憶の水面が小刻みに波紋を広げる。






「おい、どうしたよ。固まって」

「……え」



 かすれた声を出すと、クロウの雰囲気がいつものものに戻った。首を傾げて、おかしいなあと唸る。



「結構回復したと思ったんだが。まだ魔力足りねえのか? 悪かったって、スコーン全部食っちまったのは謝るから」



(……気のせい、だ)



 空になった紙の包みがくしゃりとか細い手の中で音を立てた。

 任務、そう、これから自分は任務なのだと繰り返し自分に言い聞かせる。



「大丈夫。ごめん、びっくりしすぎて」

「そんなに珍しいかよ。いっつも土産持って来てやってるだろ」

「テイストが常識的すぎたのよ。……任務だから外していくけど。ありがとう」

「あー、任務といえば。イーグルのじいさんにこの前会ったぜ」



 イーグル。〈鷲〉、オウルたちの上司だ。

 自分が暗部に入るきっかけとなった彼に、オウルは久しく会っていない。気を落ち着けるためにも世間話はうってつけかもしれない、とクロウの話に合わせる。



「そう。元気?」

「残念なことにな。ホークの野郎、あのじいさんに何か吹き込みやがったぜ、まったく……






 ──いちどは鎮まった記憶の水面が、今度は大きく波立つ。






 その言い回しはオウルを酷く揺さぶった。

 視界が揺れ、冷や汗が流れ、鼓動が早まり。



「クロウ」

「なんだ」



 カラス面の男は、急に様子を変えたオウルを見ても微動だにしない。

 震えるオウルの手が面に掛かった。



「──面を、外して」



 肌を刺すような緊張感が静けさをもたらす。

 自分の顔から血の気が引いているのが、オウルは嫌でもわかった。自分がこんなにも動揺しているのに、目の前の男は少しも動じていないのが、余計に彼女を混乱に陥れていく。



「面を外して、それで?」

「……ッ」

。オレは今、だ」



 静かに、確かな口調でカラスは告げる。

 へなへなとオウルの体から力が抜け、元のように長い腕の中に納まった。心臓が耳元にあるような感覚がオウルを襲う。目の前が黒いのは制服の色のせいではない。



(どうして……)



 オウルは気がついてしまった。

 自分が──イザクの顔を覚えていないことに。


 柔らかく笑うことも、自分の頭を撫でる手も覚えているのに、肝心の顔が思い出せないのだ。髪の色も、目の色も、形も、声すらも、何もかも。

 果たして自分の中にいる“イザク”は本当に存在していたのだろうか、とすらその事実はオウルに疑念を植え付けた。パニックは疑念を生み、疑念は更なる混乱を招く。



「分かるぜ、かっこいいオレの顔が気になるのは。ミステリアスな男って魅力的だよな。だが今さっきお前が言ったんだ、“同僚でいたい”って」



 震える背中を大きな手が撫ぜる。

 分厚い手袋越しでは、その手がどんな形をしているかも分からない。



「何をそんなにパニクってるのかはが、これから任務だ。しっかりしろ、エージェント〈オウル〉」

「…………うん」



 コードネームを呼ばれて、オウルの中でスイッチが切り替わる。

クロウ〉の鼓動に合わせて深呼吸を繰り返す。脳に酸素が送られ、先ほどまでの動揺が隅の方に追いやられ、彼女はゆっくりと“諜報員エージェント”の顔に変わる。



(任務とプライベートを分けるのは……大切ね、その通りだ)



「……着替えるから覗かないでね」

「当たり前だ。覗いても何も得しね……いってェなおい!」



 にこぶしを一発お見舞いして、は寝室の戸を開けた。

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