約束の万年筆

 イザクと出会って一年近くが過ぎた。




 その頃にはもう、夜だけでなく学校が終わった後や休日にも会うようになった。相変わらず父親とは仲が良くないようだけど、前より回避率がアップしたんだぜ、と嬉しそうにデータを見せてくるようになった。データを取る前にやることがありそうだけど、何だかんだで楽しんでいるようなので、わたしは口を出さない。



「専修卒業したら家を出るんだ」



 そう語る彼の横顔は晴れやかで、陰なんて一つも見えない。今年で魔法専修学校を卒業する年なのだという。わたしも初等教育を今年で終えるから、卒業祝いに今度お出かけをする約束をしている。



「ようやくクズの親父とおさらばできる。あんな奴、借金がかさんでマグロ漁船にしょっかれて、粉砕機で擦り潰されりゃいいんだ」

「マグロ漁船?」

「借金を返せなくなったら、真っ黒ずくめの怖いおじさんが来て、遠い西の海でマグロ漁をさせられるんだぜ」

「わあ。マグロ食べ放題」

「……そういう話じゃなくてさ」



 眉を下げるイザクが面白くて笑うと、彼も笑い返してくれた。そのうち二人とも止まらなくなって、おかしくてけらけら笑い転げた。




 イザクの口ぶりから、卒業した後遠くへ行ってしまうのだろうと察せられた。

 早く大人になりたい、と思った。どれだけイザクと会っても、こうして笑い合っても、彼との歳の差は永遠に埋まることはないのだと、その時には既に幼いながらに悟ってしまっていた。






 わたしはその日も、母にイザクの話をした。

 母との夕食の席では必ずといっていいほどイザクの名が出るようになった。気恥ずかしいけれど、他に話したいことがそんなにない。イザクとの時間が一番輝いているのだ。



「今度ね、二人でお買い物に行こうって。お互いの卒業祝いにプレゼントを買うの」

「ふふ、いいわねえ。若いわねえ。私にもそんな時代があったわあ」

「お父さんとデートした?」

「そりゃもちろん。でもあの人、贈り物が下手でねえ、扱いに困るようなものばかりくれるの。でも嬉しそうにしなきゃ悪いでしょう? 演技力が鍛えられたわあ、ホント」



 イザクの話をすると、母から亡き父の話を聞けるので、それも嬉しかった。

 父はわたしが小さい頃に亡くなってしまった。職場で魔法の事故に遭ってしまったのだと、昔寂しそうに語ってくれた。



「……イザクくん、かあ。私も会ってみたいわね。今度紹介してちょうだいな、もしかしたら未来の義理の息子になるかもしれないのだし」

「そ、れは……わかんないし、気が早いよ……別に付き合ってるわけでもないのに」



 赤くなって言い返すと、母はおかしそうに笑った。



「でもその子のお父さんのことが気にかかるわね。仕事が上手く行ってないんですって? 何の仕事をしてるのかしら」

「よくわかんない……イザク、話してくれるかなあ」

「転職して仕事が安定すれば、お父さんとイザクくんの関係も良くなるかもしれないわ。口では何て言ってたってね、やっぱり愛されるに越したことはないのよ。子供っていうのは」

「お母さんは優しいね」

「そりゃあなたの未来の」

「それはもういいから!」



 今度は声を上げて母は笑った。肩が揺れるたび、黒く豊かな髪が光を反射していた。でも最近目元が疲れて、頬が痩せたと思うのは、気のせいだろうか。






    ──◆──◇──◆──






「卒業祝いだから、これから使えそうなものがいいよな。お互い」



 わたしもイザクも学生なので、お買い物とは言っても繰り出すのは地元の商店街。普段から食材や文房具を買いに来ていたりするので、新鮮味には欠ける。でも隣にイザクが居るというだけで、こんなにも楽しい。


 今日はちょっと背伸びをして、いつもは眺めるだけの雑貨屋さんに入っている。おしゃれな小物がたくさん並んでいて心が自然に浮き立つ。あれこれと見入っていると、ちょいちょいとイザクが手招きした。



「見てこれ」

「……万年筆だ」

「そう、ちょっと高いけどな」



 温かい色の明かりを品よく跳ね返す、黒いボディのペンだった。ガラスのケースに入って展示されている。

 チラ、と値段をチェック。──ずっと貯めておいたお小遣いをほとんど使ってしまうけれど、買えない値段ではない。



「これでさ、文通しよう。卒業したら」

「えっ」



 思わず振り返って見上げると、あの柔らかな笑みがすぐ近くにあってドキリとした。イザクはいたずらっぽい光を瞳に宿した。



「遠くに行くのが寂しいって顔に書いてあったからさ。夏休みとか遊びに来ればいいし、普段から手紙をやり取りしていれば寂しくないだろ」

「う……うん」

「な、約束。俺だってさ、心細いからさ。一人で新しい土地に行くの」



 イザクも寂しいんだ、とわたしはこっそり嬉しくなった。彼が寂しくて嬉しいなんて、絶対変だ。これは言わない方がいいのかもしれないと思って、胸にだけ留めておいた。


 結局二人でおそろいの万年筆を買って、交換した。同じものだから交換しなくてもよかったのかもしれないけれど、贈り合うのが目的だったからいいのだ。


 ──店員のお姉さんがにまにま笑っていたのは、全力で無視を決め込んだ。

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