2-4
意識が明るい方へ浮上した。
オウルは目を開けた。黒曜の瞳がまどろみから覚めようと瞬き、ハッと開かれた。自分の寝室の窓から明るい陽射しが射し込んでいる。
(そうだ……クロウに運んでもらったのだった)
悪いことをしたわ、とオウルは眉を下げて反省する。あれが最善だったとはいえ、同僚に帰り道の宛を託すなど……今後は迷惑を掛けぬようにせねば、と反省を締めくくる。
任務終わりでシャワーも浴びずに寝たのだしサッパリしようと、浴室に向かうためにまずは寝室の戸を開けた。
……ソファーに座る人物に、目が留まった。
「…………くろ、う…………?」
「おう。おはようさん。どうだ、調子は」
次の瞬間。
オウルが飛び退いてソファーから距離を取った。実に、部屋の端から端まで飛んだ。
クロウが面食らった──面の下で、ではあるが。
「お前さあ、自分で引き留めといてその反応はなくね?」
「な、な……ッ!? なんで、引き留めたって、誰が!?」
「誰がって。お前に決まってンだろ」
「……嘘だあ」
「それも“
オウルが飛び退いた姿勢のまま目を白黒させる様子を見て、クロウははたと真顔になった。
「もしかして、覚えてねえの?」
「お、ぼえてないです……使ったの、わたし」
「だから家の外にも出れねえですよ」
「……何かまずいこと、やっちゃった? あの、その……何というか」
「あ、そっちは安心していい。限りなく白に近いグレーゾーンでセーフ。オレも手ェだしてません」
「当たり前よ! 出してたら八つ裂きにして森の養分にするところよ!」
クロウは声高らかに笑った。ソファーのサイドテーブルに長い手を伸ばし、黒の革手袋がパンをひとつ掴んだ。
「そんだけ喚けりゃ元気だな。オレは魔力やりすぎたんで、勝手にいろいろ食わして貰ったぞ。今回はお前持ちな」
「う……ごめんなさい……」
「パン十個に免じて許してやる。さあ“
「限りなく白に近いグレーゾーン」という言葉が気になったが、オウルは首を振って思考を消した。思い出すのならせめてクロウのいないところで、と無理やり切り替えて、ソファーの前で立ち止まった。
そして声に魔力を込める。
「『クロウ、帰っていいよ』」
一瞬だけクロウの全身が光に包まれ、そして消えた。パンを咀嚼しながら手を開いたり閉じたりして、クロウは頷いた。
「サンキュ。次からはああいう引き留め方はしねえこと。もしあの場にホークがいたらどうする、やっこさん目がいいから記憶消すだけじゃ足りねえぞ。つーかホークの前では使わねえ方がいいぜ、昨日お前が倒れた後で勘繰る真似しやがったあのじじい」
「……うん、気をつける」
──オウルの使う
本来魔法は呪文を唱えなければ発動しない。例えば火を起こすくらいの小さな魔法であれば、反復練習することで無言詠唱が可能になるが、大抵は理論に則った詠唱が必要になる。
だが彼女の“
紡ぎ出す言葉そのものに魔力が付与されており、強制力を持つ。これをかけられたものはどんな魔法よりも強い命令として、従わざるを得なくなる。
植物も。
動物も。
有機物、無機物、人間に至るまで。
一般魔法や固有魔法とは、根本的な質が違うのだ。強力な固有魔法を手元に置きたがる我らが王に知られたら、それこそ無事では済まない──これはオウルとクロウの共通認識である。
クロウは最後のパンを飲み込んで水を流し込んだ。
カラス面から覗く顔はやや青白い。オウルはソファーに近づいて、唯一露出している彼の肌……ちょうど頬の辺りに両手で触れた。
「……なに」
「おすそ分け。一晩中居てもらったし、あなたに回復してもらえたからわたしは無事なのでしょう? これくらいしなきゃ」
「言ったろ、パン十個で十分だって」
「いくら魔力量が多くて調整が得意だからってね、まだ万全じゃないことくらい分かるよ。今日はわたしはお休みだけど、あなたは違うでしょう、いつも情報をついばむカラスさん」
本当は首や心臓がいいのだけど、とオウルは呟いた。クロウは制服の下にも一枚、首まで覆うインナーを着ているせいで、素肌の露出が本当に一部しかないのだ。
(食事中でも手袋を外さないし、もしかしたら潔癖症なのかしら)
「オウル、ちょ、首。くびしめてるゥェッ」
「えっ。あ、ごめん」
カラスを潰したような声に慌てて手を離す。
──真っ赤になっているのは慌てたせいだ。そう自分に言い聞かせて。
「まあ気にすんなって、元々あんな状態のお前をほったらかして帰るつもりはなかったからよ。ちゃんと全快見届けてから帰るっての。任務だからな」
「……そう、ね」
任務。
チクリと痛んだ胸が、その言葉をオウルに思い出させる。
「うん。……いつもありがとう」
「どうしたよお前。まだ熱あんのか。ちったァ言い返せよ」
「……やっぱりまだ調子悪いみたい。今日は買い出しだけする、無理はしないから大丈夫だよ」
「そうしやがれ。んじゃ、次任務行く時はセーブして使えよー」
ひらりと一つ手を振って、クロウは小屋を出て行った。
一気に静けさが一人になったオウルを襲う。カラスのいない家はこんなに寒かっただろうか、と自分の体を抱きしめて、思い出したように浴室へ向かった。
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