Chapter 2- 暗殺任務、かつての光

2-1

 任務のない日のオウルはあまり外出しない。

 森の気配を探りつつ、動植物を通して情報を集めつつ、本を読んだりラジオを聴いたりする。

 食料品や生活に必要なものを買うために時々町に繰り出したりはするが、それ以外で滅多に森を離れることはない。外に出ても森を散策する程度だ。




 今日もオウルは本を読んでいた。お気に入りのミステリー作家の新刊を、ラジオを聴きながら堪能していた。静かにページを捲る手を、しかしオウルはふと止めて眉を寄せた。森の気配が騒がしい。



「オーウールーちゃーん。お届け物ですよー」



 数秒後、扉をやかましく叩かれた。

 ソファーから腰を上げて扉を開けると、案の定黒ずくめのカラス──クロウがいた。



「……チッ」

「はい舌打ち貰いました。オレの顔見るだけで不機嫌になるのな、お前は」

「せっかく静かだったのに。あなたが来ると本当──」

「賑やかって? お褒めに与り至極光栄」



 大袈裟に芝居がかった仕草で、長身のクロウはお辞儀をした。妙に様になっているのがまたオウルの癪に障る。

 この男が来るといつも騒がしい、とオウルはラジオの電源を切って溜息を吐いた。一人の時とは違い、クロウが居るこの小さな家は空気が騒めく。自分の心まで乱されるようで、クロウが訪れるとオウルは居心地が悪くなるのだった。

 部屋が静かになると、クロウはマントの奥から何かを取り出してオウルに差し出した。



「指令書だ、オウル。上から預かってきた」

「……あなたがわざわざ持ってくるということは、急なのでしょうね」

「中身は知らんが大体見当はついてる。たぶん……まあ見てくれ」



 丸められた書類を受け取り、留め紐を解くと、宙に火花が爆ぜた。盗難や覗き見防止の呪詛だ。宛先人以外の者が開くと火花が目に入って失明するという、単純ではあるが恐ろしい呪詛である。

 指令書を広げて内容を確かめるオウルの表情が、ゆっくりと沈んだ険しいものに変わっていく。見かねたのかクロウが声をかけた。



「当ててやろうか。“暗殺”だろ」

「…………」

「クローブ通りの路地裏の酒場か」

「……どうして知ってるの」

「その任務、オレと〈ホーク〉の奴も一緒だ」

「ホークも? ……つまり」

「完全に隠密で、多分情報の奪取もあるんだろう。殺してでも読み取れってわけだ」



 黒曜の瞳が翳る。薄い唇がキュッと引き結ばれる。

 オウルのそのごく僅かな変化を、クロウは見逃さなかった。カラスの目は鋭いのだ。



「やめるか」



 つ、と伏目がちの目が薄くなる。

 クロウは構わず続けた。



「今ならオレの権限で却下できるぜ。〈梟〉は念押しみてえなもんだろ、オレクロウホークで十分事足りる任務だ」

「……ううん」



 眉間に寄っていた皺が緩められ、黒曜が瞼の向こうに隠れた。

 一つ息をついてオウルは緩くかぶりを振った。



「呼ばれるだけの何かがあるのよ。わたしは大丈夫」

「本当だろうな」

「うん」



 手をかざして指令書を燃やし、そして寝室に続く戸を開けた。仕事着に着替えるのだ。去り際、後ろに控える男に一言投げかける。



「着替えるから見ないでね」

「当たり前だ」



 そう返した直後、男は声を潜めて余計な一言を添える。



「言われなくたって、色気の欠片もねえ着替えシーンなんざ見る気も……」



 ガンッ!



「……どうもすいやせんでしたぁー」



 それ以上ドアが蹴られることはなかった。

 カラスは目ざといが、フクロウは耳ざといのだ。






    ──◆──◇──◆──






 夜も更けた頃。

 人気のない町を、三つの影が走り抜けていた。〈梟〉〈鴉〉そして〈鷹〉の三人だ。屋根から屋根へ、煙突へと鳥のように飛んで走っていく。

 月のない晩でよかったと、オウルはフクロウ面の下で思っていた。今夜は分厚い雲が空を覆っているお陰で、月明かりがなく闇に上手く溶け込める。



「ホーク、任務のおさらいをお願いしても? わたしの指令書には詳細が書いてなかったの」

うけたまわった、オウル嬢」



 そう返すホークの声は、ピリッと金属のような鋭さを含んだテノールだ。この声質で周囲に響かないのは奇跡だと、オウルはいつも思う。

 ホークはオウルと同じくらい小柄な体でバサリとマントを広げた。



「標的は“グレゴリー”という武器商だ。最新鋭の武器を隣国へ横流しし、その利益で自らの懐を温めていたというわけだ。更に厄介なことに、北の国の官僚と癒着して良からぬことを企てているらしくてな、そこを情報収集担当のオウル嬢とカラスに頼みたいのだ」

「んで、ついでに殺すわけか。似たようなことやらかしてるへの見せしめに」

「その通り」



 クロウが続けると、ホークは鷹揚に頷いた。



「ワタシは“千里眼”を用いて見張りをする。カラスとオウル嬢は素早くことを済ませられよ」

「了解」

「へいへーい」

「……カラスよ。オウル嬢からくれぐれも目を離すでないぞ。本件はどうもちときな臭い」



 声音を変えてホークがクロウに言いつける。言われなくても、とカラスはヒラリと屋根に飛び乗った。



(それほど危険ということかしら。──それとも、わたしのという意味で?)



 クロウに続いて屋根に上がり、夜風にマントをはためかせながらオウルは考えていた。


 オウルの持つ“ネクロ・メモリア”は、この世に二つとない強力な魔法だ。彼女が死ねば魔法も永遠に失われてしまう。国にとっては、それは避けたい事態だろう。だから魔力欠乏でオウルが死んでしまわぬよう、いちいち回復役・クロウを寄越してくるくらいには手厚い待遇を受けている。



(どのみち、ホークが居るとやりにくいのよね……)



 顔の向きは変えずに、しんがりを勤めて最後に屋根に着いたホークを目で追う。

 ホークは“視覚”に特化した魔法のエキスパート。彼固有の千里眼はもちろん、壁でも水中でも透過してものを見るほか、広大な視野も誇るエージェントだ。

 彼が居るとオウルは魔法が使いづらい。情報読み取りに特化したオウルは、自分が魔法を使うところをあまり人に見られたくはないのだ。



「ルナ。サンキューな」



 クロウは屋根の先にいたカラスを呼び寄せ、腕に止めて目を合わせて挨拶した。文字通りクロウはカラス使い、町から野山まであらゆるカラスを使役し、情報を集める。カラスはどこにでもいるのでオウルの魔法よりも汎用性が高い。



「ん、やっぱこの宿がアタリだ。やっこさんここで酒飲んだまま一歩も外に出てねえようだ」

「よし。では二人とも、頼んだぞ。人払いは任されよ」

「おう。オウル、行くぞ」



 一つ頷き返し、オウルもクロウに続いて建物上階の窓へと躍り出た。

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